第11話 家族の過去
「パパは、昔はママじゃない女の人と、お兄ちゃんと一緒に暮らしていたんだ。当時のパパは仕事のことばかり頭にあってね、家にあまり帰れなかった」
子供というまだ充分な理解力のない私に話すのは、どう考えても不適切な内容だ。昔はママじゃない女の人と、なんて、ませた子供なら『浮気……!?』などと思っても仕方ない。
でも私はその人が以前の奥さんだと分かったので、うん、と頷き続きを促す。
「家のことなんか考えられなかったパパは、お兄ちゃんがパパに助けを求めていたのに気づけなかった。お兄ちゃんは……一緒に暮らしていた女の人に、暴力を受けていたんだ」
えぇぇ……。
……えぇ………?
いやいや、待ってよ。話し始めに頭の中で『確か前の奥さんの浮気が原因で離婚したんだったよねー。うんうん』って思っていたけど、まさか浮気だけでなく子供に手を上げていたとか……。
口汚く罵りたくなってきたけど、父の話は終わっていないのだ。最後まで聞こう。
「パパはそれに気づけなかった。燐はずっと、一人で耐えていたんだ。あの子がどれだけ苦しんでいるのかも知らずに、いつも遅くに帰ってあの子の顔を見もせず、会ったときだってあの子の心の不安に気づけなかった」
酷くつらそうな顔で、祈るように両手を組みながら言葉を吐き出している。
しかし私と目が合うと、ぎこちない笑みを形作って私の頭を優しく撫でた。
「結局燐の苦しみに気づいたのは、パパの親戚の人だった。その人は燐の様子を見てどんなことをされているかにすぐ気づいたらしい」
様子、か……。頭を撫でられそうになると、その手の動きに怯えるとか、あるよね。大人が手を大振りに動かすだけで肩を竦めて身を縮めることもある。動きが自分を殴るかのように見えてしまうのだ。
父は私を安心させるための笑顔を消さないように、けれど情けない表情を浮かべて心情を吐露する。
「まったく駄目な父親だ、僕は……」
駄目な父親、ね……。
難しいなぁ。燐くんの様子に気づけなかった、そして気づこうとする努力をしなかったのは責められるものなのかもしれない。けど、今はこうして自分の子供と交流を図ろうと努めている。
そもそも虐待をしていた先妻が悪いのでは、とも思うけど。でもその人がどうして燐くんに手を上げたりなんかしたのかにもよる。何かつらいことがあって、燐くんに当たっていたのかもしれない。そのケアをするのも父には必要だったのかもしれない。どっちにしても、子供に虐待なんて絶対にしてはいけないことだけど。
誰かの責任にすることなんか、簡単だ。原因を辿れば問題なんていくらでも湧いて出てくる。けれども、だ。互いに支え合えば、きっと、たぶん、苦しみは減るはずだ。
結論を言うと、またつらい思いをしないようにお互い頑張ろう、ってことです。結局これからを頑張るしか手がない。後悔してもいいけど、後悔だけじゃ悲しいだけだし。
そしてこの気持ちを父に伝えたいところですが、そんなの無理に決まってるじゃないですかぁ! 私、ナウ、幼女! どうすればいいの!?
ちらっと両親を見れば、お葬式にでも出席してるときのような顔をしている。こんな話題にさせた自分が恨めしい。
うーん、こんなときは幼女の特権として『よく分からないけどパパは駄目なんかじゃないよ!』とかいうとにかくポジティブなふわふわしたことを言うしかーー!
「ぱ……」
「でも」
私はぱちくりと目を瞬かせた。
逆接。つまりこれまでの反対。これまで暗かったから、今度はつまり。
「もう燐の苦しみに気づけないなんて、そんな馬鹿なことはしたくない。今はまだ、ぎこちないけどね」
笑顔。笑顔だ。まだ責任を感じて、燐くんの素っ気なさに自分を責めて、罪の意識を背負い込んでいるのに。父はちゃんと、前を向いていた。
……そっか。
……………そっかぁ。
父はちゃんと乗り越えているんだ。私みたいなやつの言葉なんか必要としていない。どうせと言ってはあれだけど、母が支えてくれたのだろう。
愛の力とはかくも偉大なものですね、えぇ。嫌味じゃないよ。私が勝手に惚気られたように感じて砂糖吐きたくなっただけだからね、はい。
「じゃあ、前の女の人は?」
私は話の大半を理解できてません、でもパパが笑ってるので自分もつられて笑っちゃってます、みたいな顔をして訊ねると、今度は寂しそうな顔をされた。
「今は自分のお父さんとお母さんと一緒に暮らしている……はずだ。あれから噂も聞かないから、はっきりとは……」
「? そーなの?」
調べれば分かるんだろうけど、進んで調べようとは思わないんだろうな。
ここからは私の予想だけど、虐待が発覚した先妻は父と微妙な関係になったので浮気をして、そこから離婚した、とか。もしくはずっと浮気をしていて、虐待発覚によって芋づる式に浮気も発覚。それで離婚したというのも有り得る。
父の言い方からして、夫婦仲は良いとも悪いとも言えない状況だったのではないか。
精神年齢すら成人前後の私には理解の範疇外だ。離婚どころか、結婚のことも。たぶんそういうのは当事者にならないと実感湧かないんだろうな……。
本当に、難しいことだらけだ。
さてと、聞きたい話も聞けたし、どうするかな。あとは燐くんが父をどう思っているかによりそうだ。何か私に、お節介と思われない範囲でできることはないかな。
これまで見上げていた父の顔から視線を逸らして、自分の部屋にいこうか悩む。やはり考え事をするなら一人になりたい。
「あの、ぱ……」
あ。
待って。
待ってください。
視界の端にですね、ここ最近の一番の話し相手がですね。こちらをキツい眼差しで……。
恐る恐る、目を合わせてみる。
「……」
「……ふん」
小さく鼻を鳴らして、燐くんは去っていった。
あ……罪悪感が。
燐くんがいたのは、両親の後ろ側だった。ちょうど、見られていない。鼻息にも気づかなかったようだ。
燐くんは私を見ていた。私に対して鼻息を鳴らした。つまりそれは私に不満があるということ。
あぁ……。どこから見ていたんだろう。父の話を、どこから聞いていたんだろう。
両親から私に事情を話すことになったとは、きっと思わないでくれる。私が聞き出したのだと、察してくれているはずだ。だから両親を嫌うことはないはず。
いやいやいや、私は嫌われていいっていうもんじゃない。燐くんに嫌われたら悲しいし寂しいしこれからどうすればいいのか真面目に分からなくなる。
三年間はお喋りなしで生きてこられたというのに、燐くんと話せるようになってから随分と彼に甘えてしまっていたらしい。うぅむ、難儀な。こうやって危機感覚えてからようやくそんな事実に気づくなんて……。
こういう時、やるべきことはきっと一つだ。
勝手に転生者である妹が自分の過去を探る、なんて、思春期の男の子には耐え難いものに違いない……。きっと傷つけた。私が傷をつけたのだ。燐くんが私を嫌うことになる以前に、燐くんに傷を……。なんていうことだよ馬鹿野郎……。
謝ろう。前世ではもっぱらスマホにしていた土下座をするのだ。……スマホにしていたのはガチャする直前か、素晴らしいネット小説に出会った時にしていただけです。変人じゃないよ!
………こうやって脳内でふざけていないと吐きそう。後ろめたいことしてるのがバレるのって、罪悪感で心臓が壊れそうになる。
「巳稀、顔が真っ青よ!?」
笑顔だった父を見て微笑んでいた母が、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
大丈夫です。緊張で血の気が失せているだけだから。前世でも緊張すると顔から血の気が失せていたし。でも真っ白になることはあっても真っ青はなかったな。
はぁ……当たって砕けよう……。
私は心配する両親をなんとかして誤魔化して、燐くんの部屋に向かった。どういうタイミングで土下座すればいいのか分からないので、いっそ部屋に入った瞬間してしまおう。上手い具合に度肝を抜ければ、呆気に取られて怒りとか悪感情消えてくれるかもしれない……。