閑話 ゲームと兄と ◇
平日の夕方でのことだ。
困った。
これは、どうすればいいんだろう。
「んぁぁぁぁ困った……」
「どうしたんだ急に……」
こんなわざとらしく困っている人にも声をかけてくれる燐くん、とっても良い子ですね。
それはそうと、冗談抜きで困っている。これは、二度目の人生をまっとうすると決めた私にとっての大きな悩みだ。
こちらを見て『早く言え』という顔をする燐くんに向かって、私は重々しく口を開いた。
「前世でやってたソシャゲをやりたいんだけど」
「やれば」
「そのソシャゲはリア友もやっていた。ていうか、そのリア友が私にオススメしてきたからやっていた」
「そう」
「一から始めるにはあまりに……あまりにも、つらい。元々そのソシャゲは強くなってからが面白いのだという声が大きく、弱いうちはほとんど何もできない。弱いと周回することすらできない。マルチバトルだってワンパンしたら死ぬ」
「……へえ?」
分かっていないね。なんか、どこか分からなかったっていう相槌の打ち方だね。
でも質問しようとせず続きを待っているようなので、後でちゃんと説明するから今は言いたいことを言っちゃおう。
「それにせっかく手に入れたSSRを手放すのは惜しい。あんまりにも、惜しい。ホイホイ出してくれるゲームじゃないし、約二年間分のデータが消えるのつらい。でも使ってたアカウントでログインするとリア友にバレる可能性がある。それって私が生きているって証拠みたいなものじゃん。どうすればいいと思う?」
「お前の言い方からして前から使ってたアカウントでログインしたがってるから、そうすればいいと思う」
「よしそうしよう」
疲れたように息を吐く燐くんの様子に冷や汗が垂れた。
まぁ、そうなんだよね。リア友にバレる危険性よりも最初からやり直すことも大変さの方が語る量多くなるくらいには、私の意思ははっきりしている。
ログインしても、フレンド以外には知られないし……。リア友とはフレンドになっていたけど、四年間ログインしていないから切られていると思うんだよね。そもそもリア友が今もそのゲームをやっているかも不明だし……。
「じゃあ、燐くんよ。私はこれからゲームサイトにログインするためにパスワードを思い付く限り片っ端から打ち込む作業に入ります。周りで何があっても気づかないと思います」
「つまり親が帰ってきたら教えろと?」
「さっすがー!」
察しの良い子、それが燐くん。私が言うことやることに溜め息をつきつつも手伝ってくれる。対価は勉強を教えること。win-winどころか私の方がお世話になっていますねえ。
今、燐くんはテーブルの上に勉強道具を広げて、頬杖を着きながらさらさらと文字を書いている。教えればすぐに吸収してくれるから、頭良いんだよね。羨ましい。
じーっと見つめていると、しかめられた顔が見つめ返してきた。
「……集中しろよ。音がしたら教えるから」
「……えへへ。ありがと」
そういえば燐くんって親に遠慮してるところあるけど、何でなんだろう?
本人に直接訊くにはまだ早いだろうから、もう少ししたら訊いてみようかな、なんて。答えたがらなかったら勿論無理には訊かないけど。
……さて、パスワード、どういうのだったっけな……?
当時気に入っていた言葉や数字を思い出そうと、私は必死にキーボードを打ち始めた。
「…………来た。来た来た来たぁあああああ!! 入れたあああああああ!!」
「はいはい、おめでとう」
「ありがとおおおおおおおっ!!」
棒読みでも祝福してくれた声が嬉しくて、まるでアリーナでライブをする人みたいに叫んでしまった。ありがとう! 嬉しいよ、オレ!
興奮冷めぬままマウスを勢いよく動かし、前世やっていたゲームにログインした。現れる変わらない画面に、ちょっと感動。
マイページに飛ぶとログインボーナスが貰えーー
「四年前よりボーナス精神高くなってる。ヤバい」
あれ? ログボでこんなにアイテム貰えたっけ? こんなに、というか、あれ? なんか種類も増えてる? え?
「いやいや、やっぱ四年もすると変わるもので……あ、ダメ。機能増えすぎ。何だこれ。戸惑う。四年のブランクが憎い」
四年のブランクのせいで私の今の強さ、たぶんザコの部類に入っちゃうよね。あの頃はこれでもそこそこだったのに……。
フレンドもほとんど切られてる。今もフレンドの人は、本人もあまりやってないからなんだろうな。
「ヤバいヤバい。ヤバすぎる。機能増えすぎてるし、色々増えすぎ。運営おかし……いや、四年もすればこんなものかね……」
とにかく追加された機能と増えたキャラの把握、現在やっているイベントを確認する。
「おほほう、しばらくぶり過ぎてテンション上がる」
「ふぅん」
配信終了になっていなくてよかった。あの頃の苦労の結晶が凝縮されているからねこのゲーム。勿論倦怠期もあったけど、私が一番やり込んだのがこのゲームだから。
増えた機能を試したり、よく分からないのは検索したりする。それだけで時間はかかった。
やりたいことは粗方やり終わり、ようやくまたゲームに熱中できそうだと一息ついた、その時だった。
マイページの通知に示される、『挨拶が一件あります』の文字。
……あぁ、うん。
………そういえば、リア友、フレンドのままだったような?
…………いや、違う人からでしょ。
……………み、見ないと……。
恐る恐るクリックし、現れるプロフィールページ。視界に映るユーザー名とコメント。
『キミ、誰?』
……ノオオオオオオオオオオオオッ!!
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ーー俺の妹は転生者だ。
こんなこと、親に言えば頭を心配されて確実に病院に連れていかれる。誰に言ったって頭のおかしいやつだと思われるだろう。
本音を言うなら、俺だってこんなの信じたくなかった。常識を覆される経験なんて、混乱するだけだ。けれど、生後三年の小さな女の子がペラペラと言葉を話し、中学の勉強をいとも容易く解き終え、『前世の家族』と会った後、懸命に取り繕いながらも涙を流す姿を見せられれば、否定なんかできやしない。
元から、どこか妙だとは思っていたのだ。産まれてからほとんど泣くことがなく、いつも明るく笑う、異母妹を。ともすれば無表情で両親と俺を観察ーーそう、あの目付きは『観察』だったーーするのだ。不気味なことこの上なかった。
駄々も捏ねず、物もねだらず、大人しく、親にされるがまま。唯一嫌がったのは車の後部座席に座ることくらいか。もしかして遺伝子をいじって『理想の子ども』を作ってしまったのかと、俺は父親を疑いすらした。
そんな違和感があったことも大きく、俺はある日見せつけられた本性を、そう時間をかけることなく受け入れられたのかもしれない。
本性を知って、もう二週間ほど経っただろうか。常にふざけた態度で、茶化すことばかり言うこの転生者を、俺は……この家の中で、一番信頼している、かもしれない。
どこか、そういう力があるのだ。信じても大丈夫だと、思わせる力が。
全然俺のことを見てくれなかった実の父親よりも、後から母親になった血の繋がらない女性よりも、未だ得体の知れない“転生者”を信じているのだ。自分でも思わず笑ってしまう。
そんな転生者は今、ゲームのことで騒いでいるようだが……。
「ね、ヤバいよ。マズった。リア友、が、コメントしてきた。『キミ、誰?』だって。何て言えばいいかな。『乗っ取りました』? あぁだめ。アホか私。データ買ったってことでいいかな……」
本気で焦っているようで、若干青ざめた顔がこちらを振り向いた。
どうやら前世を断ち切り今世の自分をまっとうするという決意は本物だったらしい。なら危険を犯してまでゲームなんかやろうとしなければよかったのに。
「俺、そういうのは分からないよ。上手い言い訳考えて逃げれば?」
そう言うと「ですよねー。適当にかわすわー」と苦笑混じりに返された。
パソコンに向き直って呻き声を上げつつ悩む三歳児の姿はどこか面白く、俺は口の端を微かに上げた。
「……お前、友達いたんだな」
単なる話題として発言したつもりだったのだが、巳稀にとってはどこかダメージを与えるものだったらしく、「ぐへぁ」と小さく呟かれた。
パソコンの画面を見つめたまま巳稀はわざとらしいほど動揺し、変な笑い声を上げた。
「ふっ、ふへっ。いたよ、もちのろん。今世でもすぐできるからね、大丈夫だよ」
「あぁ、来年になったら幼稚園に行くんだっけ」
「初めて聞いたんですけどそれ。めっちゃ楽しみ」
巳稀はニヤニヤしながら、パソコンのキーボードを一際力強く押した。
「よし、言い訳はこんなもんですね。あ、でももうちょい付け足そうかな……」
ぶつぶつと呟きながらも軽快な動きでキーボードを叩くその音が心地よく、俺は少し目を閉じた。
不意に、先日貰ったとある二つの連絡先について思い出し、「そういえばあの連絡先書いたメモって……」と切り出した。
あの時に見せたメモはすぐさま奪い取られ、そのまま巳稀が持ったままなのだ。どこにあるかは教えられていない。演技ではあったが、破り捨てようとしたのが悪かっただろうか。
しかし訊いてみると巳稀は何でもないことのように答えた。
「あれね、神棚に飾ってあるよ。私お手製の、金キラな神棚の中」
あぁ、こいつの部屋に金色の折り紙で作られたやたらと壮大な箱みたいなのがあったような。
「折り紙上手いな……」
「趣味は多岐に及ぶべきであるのだよ、燐くん」
気取ったような言い回しで照れを隠したようだが、口元が震えている。見える横顔が緩んでいるぞ。
この家は広く、部屋も多いので俺達子どもにもそれぞれ部屋が割り当てられている。巳稀はあまり使っていないようで、いつもリビングにいるのだ。俺がいないときのことは知らないけど。
それにしても、前世を断ち切ると決断したのに前世の家族の連絡先は大事に取っておくのか……。
「飾っておくくらいいいかなーとか、思うんだよね」
ギクリ、と身体が強張った。
再びこちらを向いていた巳稀の顔は気まずそうで、寂しさを持て余しているようにも見えた。
俺の表情から考えていることを読んだのか、自分でも俺と同じことを思ったのか知らないが、それを言われたら俺まで少し苦しくなった。
飾っておくくらい。それくらいなら、前世の一部分だけ残しておいてもいいんじゃないか。関わることはせず、書かれた電話番号に電話をかけることもしない。ただ、大切に仕舞っておくだけ。
霜月巳稀として生きていくと決めても、大切なものは大切で、それはきっと死ぬまでーーもしかするとまた、死んでも変わらないかもしれない。それとも悲しみが予想よりすぐに消え去ってくれるのかも知れない。
いつもふざけて、茶化してばかりで、変な発言が多い巳稀だが、葛藤がないわけでは、ないのだ。
「巳稀、俺はーー」
お前がやったことは、大事なことだと思うと、そう言おうとしたのだ。が、
「燐くんのお友達候補の連絡先だし、破り捨てられて困るのは燐くんもだもんね」
「はぁ?」
訂正。やっぱりこいつの頭の中はお花畑だ。日本で一番綺麗な花畑が咲いているに違いない。
「燐くんの友達、見たことないから……いないんでしょ? 大丈夫、お母さんも叔父さんもいい人だから、きっといい友達に……」
「古いテレビは故障しても多少なら叩けば直るって聞いたことがある。お前の頭はどうだろうな?」
「いやん。虐待反対」
くねくねと身体を動かしてにやつく顔にはもう溜め息しか湧いてこない。こいつが本性を現してから、もう何度溜め息をついただろう。
「溜め息ばっかしてると幸せが逃げるぞー。ほら笑って笑ってー」
「お前が大人しくなれば幸せも戻ってくるはずだ」
「それはそれは」
じゃあ絶対無理なんだね、ごめんよ、と両の掌を合わせる。
罪悪感なんぞ欠片も感じていないだろう笑顔の明るさに口元を引きつらせ、俺は何かを振り払うように頭を振った。深く考えると頭がパンクしそうだ。
「それよりゲームの、その、対処はいいのか?」
「ご丁寧な言い訳を並べ立てておいたよ。申し訳なさあるけど、仕方ない仕方ない」
申し訳ないなんて言っておきながらも澄ました顔で肩を上げてみせられると、本当にそんなふうに思っているのか問いたくなる。
案外ドライなところもあるのか、こいつ……。
「そんなことより勉強、進んでないみたいじゃん。教えようか?」
「あぁ……うん」
単純に考え事をしていたら手が止まっていただけなのだが、教えられながらやった方が理解もしやすいので頼ってしまうとしよう。
三歳児に勉強を教えてもらうなんて、絵面的におかしいよな、などと思いながら。