月命日と陰謀
18日は秀吉の月命日である。そのため、北政所は必ず豊国神社に社参している。
つまり、18日に社参すれば、必ず北政所に会えることになる。
というわけで、社参した人物と関連した出来事を挙げていく。
4月18日、豊国神社の祭礼が行われ、各大名が社参する。
5月18日、北政所が社参する。
6月16日、徳川家康が会津討伐へ出陣。
6月18日、北政所が社参する。
増田長盛、前田玄以が社参する。
7月17日、細川ガラシャ自害。
7月18日、北政所の社参記述なし。
小早川秀秋が北政所と面会する。
内々に石田三成が社参する。
7月27日、細川幽玄が八条宮智仁親王に古今伝授を伝え、烏丸光広に草子十二帳を送る。
8月16日、八条宮智仁親王が社参する。
京極高次が社参する。
8月18日、北政所が社参する。
烏丸光宣(烏丸光広の父)が勅使として社参する。
9月 3日、京極高次が大津城に立て籠る。
9月 9日、北政所が社参する。(月命日ではない)
前田玄以が醍醐寺座主の義演に9月16日の大般若経転読を依頼する。
9月13日、田辺城が落城し、細川幽玄が前田茂勝(前田玄以の息子)の居城に入る。
9月14日、大津城が落城し、京極高次が高野山に入る。
前田玄以が、大阪城を退去する。
9月15日、関ヶ原の戦い
9月18日、北政所が社参する。
こうやって並べてみてみると、北政所が全てを操っているように
見えるから不思議なものである。