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「関ヶ原の戦い」が「9月15日」なわけ

「関ヶ原の戦い」に至るまでの、徳川家康の動きを以下に示す。


8月14日、東軍の多くが、清洲城に集結する。

8月23日、東軍が岐阜城を一日で攻め落とす。

8月24日、東軍が赤坂に布陣。

8月26日、東軍が岐阜城を攻略したとの連絡が、徳川家康のいる江戸城に届く。

9月 1日、江戸城出陣。

9月11日、家康が清洲城に入り、秀忠の到着を待つ。

9月13日、秀忠を待たず、岐阜城に入る。

9月14日、隠密行軍で東軍の赤坂本陣に入る。

9月15日、東軍が関ヶ原に移動。

      関ヶ原の戦い


次に西軍の動きを、以下に示す。


8月17日、小早川秀秋が、西軍から離脱。近江国石部に布陣。

8月25日、西軍が安濃津城を攻め落とす。

9月30日、小早川秀秋が、伊勢国鈴鹿に布陣。

9月 2日、大谷、脇坂が関ヶ原に着陣。

9月 3日、京極高次が大津城に籠城する。

      宇喜多、島津勢が大垣城に入城。

9月 7日、毛利勢が南宮山に布陣。

      小早川秀秋、近江国高宮に布陣。

      西軍が大津城を攻め始める。

9月13日、西軍が田辺城を落城させる。

9月14日、小早川秀秋が高宮を離れ、松尾山城に入城。

      西軍が大津城を落城させる。

9月15日、石田、宇喜多らが大垣城を出て、関ヶ原に着陣。

      関ヶ原の戦い


西軍の「9月7日」を見てほしい。

毛利勢20000が南宮山に布陣。南宮山は急峻な山で陣には不向き。

大津城に西軍15000が攻め始める。

小早川秀秋の兵15000が高宮に布陣。

更に、田辺城では兵15000が取り囲んで、講和交渉中。


西軍のうち、65000もの兵が遊んでいる形になっている。


関ヶ原の戦いでは

毛利勢20000は動かず、

田辺城・大津城の30000は間に合わず、

小早川秀秋の15000は裏切った。


全ては、「9月14日」に小早川秀秋が松尾山城に入城したため。


だから「9月15日」が「関ヶ原の戦い」になった。


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