おまけ小話(エドワルドの苦悩・後編)
前編はナタリア視点、後編はエドワルド視点です。
読みにくかったら、申し訳ありません。
「……プリーヴァ館へ?」
聞き間違いかと思い、もう一度尋ねてみた。
「ええ。ロゼッタ公爵とナイジェル様にも、ご挨拶をと思って」
緑色のドレスを身に纏ったナタリアが、ティーカップに愛らしい唇を寄せた。ドレスの襟ぐりは大胆に開けられ、彼女が腕を動かすたびに鎖骨が浮かび上がる。
きつく拳を握りしめ、自分の中に湧き上がる衝動を押し殺そうと必死になった。
このまま誰もいないところに連れ去って、思う存分抱きしめたい。
どこにも行くな、と言い聞かせ、そして――。
「……エド?」
「ああ、すまない。……それはいい考えかもしれないな。三日ほど待ってもらえれば、私が案内出来るだろう」
ナタリアは、何故か視線を自分の手元に落とし、切り出しにくそうに何度か下唇を舐めた。チラリと覗くピンク色の舌に、頭がおかしくなりそうだ。
「ええと。その……今から、行ってもよろしくて?」
「は?」
「パーシヴァル様が早馬を飛ばしてご都合を伺って下さったの。そうしたら、ちょうど公爵様が王都から戻られているから、夕食をご一緒にどうか、と返事が来て。このお屋敷からそう遠くないところにあるのでしょう? 今から支度をしても、充分間に合うわ」
確かに、今はまだ昼を回ったばかりだ。
しかし、ナタリアがここに来たのは、ほんの一昨日のことだった。まだ数える程しか、共に過ごせていない。もっとゆっくり彼女との時間を楽しみたいのだが、二人きりになると自分を押さえられなくなりそうで怖いし、パーシヴァルが一緒にいると、彼女の視線が彼にばかり向けられるのが我慢ならないのだった。
ただ同じ屋敷にいて、同じ空気を吸っているのだと思うだけで、例えようもなく満たされた。婚約中の身なのだから、節度のある交際を心掛けなければならない、と分かっている。
しかも相手は、我が国の第一王女。降嫁させ、公爵夫人の座におさめてしまうには、あまりにも惜しい稀有な方だった。
自分の我儘で、それを彼女に強いてしまう。拭い去れない負い目が常に付き纏い、私を苦しめた。
それでも、誰にも渡したくないのだから、仕方ない。
せめて正式に爵位を継ぎ、彼女の隣に並ぶのにふさわしい男になるまでは、決して触れてはならない人なのだと改めて自分を戒めた。
「では、そのように」
それがナタリアの要望であるのなら、突っぱねることなど出来るはずもない。承諾の意を伝えると、彼女は悲しそうに眉を下げた。
「行くな、とは言って下さらないのね」
ここに引き留めても、仕事で手一杯の私は、彼女に何もしてやることが出来ないのだ。
休憩や食事の時に貴女の顔を見たいから、ここに居てくれ、とでも言えというのか。
じきに彼女がこの屋敷から出る、と考えただけで、胸が苦しくなる。人の気も知らないで、そんな残酷な問いを投げかけるナタリアに、加虐心がくすぐられた。
「……姫の好きにされるのがよろしいかと」
ナタリアの瞳が、深く翳った。
短剣がその場にあったなら、すぐさま自分の手に深く突き立てたことだろう。
そして、ナタリアは本当に行ってしまった。
同じ馬車に乗りこもうとしたパーシヴァルの襟元を掴んで、引きずりおろす。
「く、苦しいじゃないか!」
「同じ馬車に乗る必要はない。うちの馬車で行け」
「えー。でも、ナタリー姉様が一緒でいいって」
馴れ馴れしいその呼び名に、カッとなる。私の顔色の変化を素早く読み取り、末の弟はしまった、というように顔を顰めた。
「わ、分かった。ちゃんと弁えます!」
降参だというように両手を挙げた弟から、一歩離れた。これ以上近くにいたら、殴り飛ばしてしまいそうだ。
「分かってると思うが、姫を煩わせるんじゃないぞ。あと、カイト殿とリカルド嬢もだ。彼らにも近づくな。それから」
「そんなに心配なら、一緒に行けばいいのに」
小さいぼやき声は無視した。
仕事は山積みだ。そして、それを全てやり遂げなければ、彼女との婚姻は成立しない。
「エドワルド」
馬車の小窓が開き、愛らしい灰黒色の瞳が覗いた。
「……なるべく、早く戻るわ」
か細い声に、唇を噛み締めた。そんな顔をさせたいわけじゃなかった。今すぐに抱きしめ、この馬車から降ろし、そして自室に連れていく。結い上げた髪をほどき、心ゆくまでその艶やかな手触りを楽しめたら、どんなにいいだろう。
「私のことはお気になさらず。どうか、楽しんで来てください」
口角を引き上げ、笑みを浮かべてみる。上手く笑えてるといい。
一行が遠く丘の向こうに消えるまで、私はその場に立ち尽くしていた。
その日の夕食は、酷く味気ないものだった。殆どを残してしまった私に、料理長が飛んでくる。震え声で自分の責を問う彼に、すまない、と詫びた。
彼のせいではない。ただ、食欲が湧かないのだ。
私の謝罪に余程驚いたのか、彼はおぼつかない足取りで食堂を出て行った。
部屋に戻り、書類の続きに目を通そうとするが、なかなか頭に入っていかない。
「くそっ!」
毒づいて立ち上がり、そのままバルコニーに出た。頭を冷やさなければ。
夜空は澄み渡り、淡く発光している星々が連なっている。
『見て、なんて綺麗なんでしょう、エド』
一緒に見上げれば、きっとナタリアはそう言って、頬を上気させただろう。
柔らかな身体を無防備に預け、私を信じきった瞳で、こちらを見つめてきただろうか。
王都に彼女がいると思えば、まだ耐えられた。華の宮で、彼女も自分の役割を立派に果たしている。そんな彼女に恥ずかしくないように、頑張らねば、と思えた。
だが、今は違う。
せっかくここまでやって来てくれたというのに、不甲斐ない自分が彼女を遠ざけた。
「……会いたいよ、リア」
掠れた声が酷く惨めに響いた。
そして、一週間が経った。
殺気だってきた私に、使用人たちは近づこうとしない。
――いつまで、そこに居るつもりなんだ。
父かナイジェルが、姫を引き留めているのだろうか。そう云えば、婚約式でナイジェルは、ナタリアに見惚れていたような気がする。
私から彼女を奪おうというのなら、実の弟であろうが容赦するつもりはない。無意識のうちに、執務室に置いてあった愛剣に視線が向いた。
「そのように苛立たれるのでしたら、お迎えに行かれて如何です?」
とうとう見かねたブルックが、忠言しにやって来た。
「姫様は、この旅を王陛下に認めて貰う為、かなりの量の公務を短期間にこなされた、とカイト殿から伺っております。睡眠時間を削って、倒れられそうになったこともあったとか」
私があまり勢いよく立ち上がったものだから、いつも泰然としたブルックが流石に後ずさった。
「なぜ、それを私に言わない!!」
カイトにもブルックにも、腹が立つ。
だが、一番殴ってやりたいのは、自分だった。
「馬の準備を。すぐに出かける」
「はい、旦那様」
身支度を整え、急ぎ足で厩舎に向かった。足の速い鹿毛がすでに用意されていた。
「夕刻までには戻る」
厩舎番に言い残し、私は馬の脇腹を軽く蹴った。
屋敷を出て、プリーヴァ館の方を目指して走っていく。そういえば、昔はよくこうして馬を走らせ、ナタリアを遠乗りに誘いにいったものだ。何をしていも、彼女が浮かんできてしまう。やれやれ、と頭を振り、丘を越えた。
しばらく進んだところで、私は自分の目を疑う羽目になった。
白い馬に横乗りになり、こちらに駆けてくるあれは――。
あの栗色の髪は、間違いなく。
「リア!!」
大声で叫ぶ。馬上のその人は、眩しそうに目を細め、こちらに手を振ってきた。
辺りを見回すが、供の一人も付けていない。
湧き上がる恐怖心で、上手く息が出来なくなった。
サリアーデは治安のいい国だ。ロゼッタ領も、自慢ではないが、かなり安全な土地だと断言できる。盗賊の類はいないし、領民たちも穏やかな気質の者が多い。
だからと云って、危険が皆無というわけではないのだ。
「エド!! 良かった!!」
そんな私の気も知らないで、ナタリアは嬉しそうに白馬を走らせ、こちらに近づいてきた。
「早く帰りたくて堪らないのに、マアサもパーシーもまだダメだって意地悪言うの。カイト達に頼んでも、もうしばらく焦らして差し上げては? などと言うし。だから、勝手に抜け出して来てしまったわ」
「貴女は、バカですか!!」
大声を出した私に、ビクリと身を竦ませる。その拍子に、ナタリアは体のバランスを崩した。鹿毛から飛び降り、彼女に駆け寄る。危ないところで、彼女はなんとか体勢を立て直した。
「ご、ごめんなさい」
怯える彼女を、半ば無理やり馬から降ろした。滅多に出さない私の大声に驚いたのか、体が硬くなっている。温かなナタリアの体温に、私の理性の糸は切れた。
もう二度とこうして抱きしめることは出来なかったかもしれない。冷たく変わり果てた彼女を見つけて――。
「リア!! 頼む、こんなことは、これきりにしてくれ!!」
思い切り抱きしめると、ナタリアは小さく息を飲んだ。
「君になにかあったら、とてもじゃないけど生きていられない。嘘じゃない。私は、本気だ!!」
「……ごめんなさい、エド」
たおやかな手が私の背中をさする。その仕草で、自分が震えていることに初めて気がついた。
「――愛してる。私には、君しかいないんだ」
「分かってるわ。私が悪かったの。……もう、大丈夫。大丈夫だから」
何度もナタリアはそう繰り返して、私の背を撫でた。薔薇の香りがそよ風に乗って、私の鼻先に届く。愛するリアの香りだ。ようやく安心して、彼女の首筋にそのまま頬を埋めた。
その後すぐに、消えたナタリアの後を追ってカイトや他の近衛騎士たちが駆けつけてきた。うち数名は私の表情を見て、顔色を変えている。本音をいえば、しっかり仕事をしろ、と怒鳴りつけたいところだった。だが今回のことは、元はといえば私に非がある。
「姫様! 肝が冷えましたよ!!」
真っ青になっている一人の騎士に、姫の乗ってきた白馬を父の館に戻すよう頼んだ。
「非常に面目もなく」
何度も謝罪を繰り返すカイトが、流石に気の毒になる。
ナタリアも眉根を寄せ「私が悪かったのよ? お願い、もう謝らないで!」と悲鳴を上げていた。
「では、館までお供を」
「いや、必要ない」
「しかし、それでは」
「……必要ない、と言っている。私が信用できないか?」
ああ、十分、焦らされたとも。私は、ギラリと彼らを睨みつけた。
カイトは諦めたように首をすくめ、部下たちに指示を出した。
ようやく引き取ってくれた近衛騎士たちを見送り、自分の馬にナタリアを乗せる。背中から抱きしめるようにして、馬をゆっくりと進めていく。自分の腕の中におさまったナタリアに、深い安堵の感情が込み上げてきた。
「してはいけない事だと分かっててやったのよ。ロゼッタ公爵には呆れられてしまうわね。カイト達にも申し訳なかったわ――でもエドに会いたいと思ったら、どうしても自分を止められなくて……」
「いや、私が悪かった。変に遠慮してしまって」
「……遠慮?」
「いや、嫉妬も、かな」
「ええ!? 一体、誰に?」
目を丸くしている純真な姫に、クスリと笑みがこぼれる。
「誰にかって? パーシーが戻ってきたら、正解が分かると思うぞ」
私がそう言うと、ナタリアはゆるく首を振った。ふわふわと豊かな髪が風になびく。
「そんな。だって、パーシヴァルは貴方の弟なのよ?」
「誰であっても、関係ない」
「でも、ご存じのはずだわ。私が愛してるのは、エドワルド、貴方だけだって」
そんな目で私を見上げないでくれ。
……早く結婚しないと、まずい。このままだと、いつかクロード王太子と陛下に顔向けの出来ないことをしでかしてしまいそうだ。
ナタリアは嬉しそうに、手綱を握る私の手に自分の手を重ねてきた。
「結婚しても、こうやって一緒に馬に乗ってくれる?」
「ああ、もちろん」
ドレーサ館まで、あと少し。あの屋敷の女主人としてナタリアが来る日を、待ち望む。
――そして一日も早く、この苦しみの檻から私を解放してくれ、可愛い人。
彼女のつむじに軽いキスを落とし、心からそう願った。




