幕間~フィンの災難~
回想が終わったので
閑話をはさんで、現在に戻ります。
舞踏場の喧騒から逃げ出すように、エドワルドはカードルームとして準備された一室に早々に立て籠もった。
一度は踊らなくては済まないだろうダンスも、リセアネ姫が相手役を務めてくれたおかげですんなり終わった。
貴族の紳士だけが集うこの部屋までくれば、パーティが始まってからずっと、こちらに近づく機会を狙っている貴婦人方も追ってこられまい。ダンスは苦手な方ではなかったが、媚びを売ってくる女性の相手をするのは億劫だ。結婚など全く頭にないのだから、適齢期の娘を持つ母親連中に捕まりたくもない。
フィンも一緒に来るとは思わなかったが、彼がカード好きなことを思い出して納得した。
黒のロングコートに金糸の縫い取りがあるだけの、動きやすさを重視した近衛騎士の団服を着慣れているせいか、今日のような正装はどうにも落ち着かない。せめて今だけでも首に巻いているクラヴァットを外せれば……とエドワルドは喉元に手をやったが、侍従の結んだ複雑なそれを解いた後、また元に戻すのは至難の業だ、と諦める。だらしない恰好で王宮をうろつくわけにはいかない。
フィンはといえば、部屋の隅のテーブルに準備された酒杯を片手に、壁際のソファに悠々と腰かけていた。
「今日はやらないのか?」
アルコールを含まない飲み物は見当たらなかったので、使用人に水を頼み、フィンの隣の椅子に腰を下ろす。中央にしつらえられた大きなテーブルでは、数人の貴族たちがポーカーを始めている。
エドワルドがそちらを指し示すと、フィンはちらとテーブルに目をやり、ゆるく首を振った。
「気分じゃないな」
完璧な顔立ちのエドワルドは、黒曜石のような瞳とまっすぐな黒髪で多くの淑女を魅了しているのだが、そっけない態度と容赦ない物言いのせいで、彼に積極的に秋波を送ってくる貴婦人の数は多くない。貴族らが催すパーティに出席することもほとんどない為、『高嶺の華』として遠くから崇拝されていることが多かった。
一方フィンは、騎士学校時代から多くの令嬢や未亡人との艶な噂があり、派手な交友関係で常に社交界を賑わせている。
そんなフィンが、最近おかしい。
「私に付き合ってここまで来ることはなかったんだぞ」
てっきりカードをやる為にここに来たのだと思っていたエドワルドは、いぶかしげに友を見遣った。
「そんなんじゃないさ。ちょっと最近頭の痛いことがあってね。今は、可愛いレディ達の相手をしたい気分じゃない、というだけだ」
今は、という部分にアクセントを置いて人の悪い笑みを浮かべる。
茶色の濃い瞳に金色の巻き毛のフィンがそうやって微笑むと、彼を取り巻くご婦人方は決まって蕩けるようなため息を漏らすのだが、あいにくエドワルドは男だった。
フィンの言葉の前半部分にひっかかりを覚え、素知らぬ顔で酒杯を傾けている幼馴染を、なおも追求する。
「頭が痛い? 何かあったのか」
「はあ。そう直球でこられると、誤魔化しにくいなぁ」
「いいから、さっさと吐け。……まさか殿下方に関してのことではないだろうな」
エドワルドの脳裏に、優しい灰黒色の瞳がひらめく。
王宮を取り巻く情勢に不穏な影は一切見られないと思っていたのは、間違いだったのだろうか。
今夜は王妃殿下の誕生祝いの祝賀パーティだ。警備は厳重に厳重を重ねているはずだが、何かが起こってからでは遅い。
エドワルドが慌てて腰を浮かすと、フィンが呆れたようにそのがっしりとした肩を掴んで、無理やり椅子に引き戻した。
「違う、落ち着け。お前の姫様は、安全だ」
「っ! ナタリア姫とは言っていない!」
俺も名前を出したわけじゃない。『お前の姫様』と言っただけなのに、とフィンは笑いを噛み殺した。
彼の物言いたげな表情を見てとり、エドワルドはぶつぶつと言い訳をこぼした。
「クロード殿下の剣の腕前はお前も知っているだろう。王太子殿下に刃を向けたって、返り討ちにあうだけだ。身を護る術を持たないナタリア王女殿下を心配して、何が悪い」
「今夜は我らが隊長のナイジェル伯爵が、陛下直々に佩刀を許されて王族方を護っているんだぜ。俺らの出番はないさ」
「それはそうだが……」
エドワルドもフィンも長身の部類に入るのだが、近衛隊隊長のナイジェルは彼らより頭一つ分も大きい。がっしりした岩のような体つきで、40をいくつか越えるというのに、その身のこなしは野生の獣を思わせるほど素早かった。
剣の腕は言うまでもなく、今の王陛下が王太子であった頃から傍付きの騎士だった彼の忠誠心は、折り紙つきだ。ナイジェル伯爵が控えているのなら、有事の際にはその身を挺しても王族を守りきるだろう。
「では、なんだというのだ。早く言え」
エドワルドは椅子に身を沈め、長い脚を組むと、珍しく口の重い友を急かした。
フィンの瞳に陰鬱な影が落ちる。嫌そうに唇を歪めながら、彼はようやく口を開いた。
「父上に、とうとう結婚を迫られた。領地に面した隣の土地を持参金に持っている令嬢と、至急婚姻を結ぶようにとのご命令でね。今回ばかりは逃げ切れそうにない」
「――結婚? お前のか?」
「俺以外に誰がいるっていうんだ。父に隠し子でもいるのなら、いっそそいつにご登場願いたいね」
エドワルドのあっけにとられたような顔を見て、フィンは彼が憎らしくなった。
ロゼッタ公爵には、エドワルド以外に2人の息子がいる。
彼が領地に戻らず王宮で騎士として一生を終えたいと願い出たとしても、公爵ならば許すだろう。爵位は、エドワルドの弟のどちらかが継げばいいのだから。
フィンには姉と妹がいるだけで、姉はとうの昔に幼馴染の子爵の元に嫁いでいるし、妹はまだ15歳で社交界にデビューすらしていない。
彼女がいずれ婿を迎え、爵位を継いでくれれば……と虫のいいことを考えていた時期もあったが、父が欲しいのは花嫁の持参金であるトレッサという土地なのだからどうにもならない。
サリアーデ王国は、大陸の北東に位置しその気候は穏やかだが、秋過ぎに「乾季」と呼ばれる雨の全く降らない時期が訪れる。
せいぜい二月ほどのものなのだが、広大な領地のほとんどを農地として運用しているパッシモ伯爵にとっては、それが長年の悩みの種だった。
穀物の品種の改良に取り組んだり、雨を貯めておく灌漑池を作ったり。様々な工夫をこらしてはきたものの、毎年領民の間に少なくない被害が出る。
そこで伯爵が目をつけたのが、トレッサだった。
細長い貧弱な土地なのだが、真ん中に大きな川が流れている。その川が大きいせいで土地自体の面積は狭く、たいした利用価値はないと思われてきた。
雨の多い春には増水対策として治水工事が必要になるし、土地が少ないために、農作や放牧にも向いていない。
一見、手のかかるばかりで実りの少ないように見えるトレッサが、パッシモ伯爵のものになりさえすれば、乾季が訪れても領民たちが水に困ることはなくなるのだ。
そこまでの話を聞いて、エドワルドは首を捻った。
「購入すればいいのでは? トレッサは飛び地なんだろう? そんな土地を持っていたって、領主の役には立たないのだから、いい値段で買ってもらった方が向こうにとっても良さそうなものじゃないか」
「お前もそう思うだろう? だが、そのリカルドとかいう男爵は、頑として首を縦に振らないそうなんだ。『あれは、我が娘のものですから』と言い張るばかりで、それ以上の話が出来ないのだと父上が嘆いていた」
「……それは、完全にお前目当てだろう」
「ああ、最悪なことにね」
嫁ぎ遅れの娘を片付ける手段として、持参金を利用しようと云うのだろう。よくある話だったが、相手役として選ばれたフィンにとっては災難でしかない。
「どんな娘なのか、知ってるのか?」
「さあ。そこも謎なんだが、さんざんトレッサを餌代わりにちらつかせている割に、娘の話をしないんだよ。どこかに行儀見習いに出しているのか、男爵家には今はいないと言われてね。礼儀としてご機嫌伺いの手紙を出した後、一度屋敷を訪ねてみたんだが、丁重に追い返されてしまった」
「そうか。よく分からない話だな」
「だから、頭が痛いんだ」
フィンは、飲まねばやっていられない、とばかりに二杯目の酒を取りに立った。