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プリンセス・ナタリア

         

 いつからだろう。

 何をしてもどこか満たされない気持ちが纏わりつくようになったのは。


 私は20年前に「東の大国」と呼ばれるサリアーデ王国の第一王女として生を受けた。

 私が生まれる3年前に、全国民の期待の中、産声を上げた世継ぎである兄・クロードは、正妃である母に生き写しだと、宮中の誰もが褒めそやす美貌を備えている。15で成人の儀を執り行った時など、王家の正装を身にまとった兄にその場に立ち合わせた女官らが皆、気を失ったというのは有名な話だ。


 私に遅れること2年で誕生した妹・リセアネも、兄と同じプラチナブロンドに夜明けの星空のような菫色の瞳で、まるで天使のような愛らしさを誇っている。

 「暁の巫女姫」(あかつきのひめみこ)というのが、彼女の通り名。

 妹の、そのあまりに人間離れした容姿に神の御使いではないか、という噂からつけられた呼び名だけれど、姉の贔屓目を差し引いてもぴったりだと思う。


 「ナタリア姫は、とても賢くあられて」

 「そう、幼い時から大変穏やかでお優しく、まさに一国の姫としてふさわしい気品をもそなえておいででしたわね」


 かくいう私は、性格や気性こそ褒められはするものの、一度も「美しい」や「可愛らしい」などの褒め言葉を身内以外からかけられたことはない。

 外見の美しさだけが人の価値の全てではないと、神様は教えているそうだからきっと私はこれでいいのだろう。

  

 賢王と謳われる父の揺るぎない統治のおかげで、豊饒な大地は多くの民をすこやかに育んでいる。

 周辺国との関係も良好。

 貿易港としても屈指の観光地としても名高いルザンの街には、今日も多くの外国人旅行者や商人が溢れかえっていることだろう。

 安定した王政と豊かな物資に守られた、宝石のように煌めく国・サリアーデ。


 そのような国に長姫として生きる私は、なんと恵まれていることか。

 年を重ね、物事を知るにつけ、より大きな実感を伴い、心からそう思うのに――。



 

 その日も発作的な気鬱に悩まされ、私は王宮の中庭にいた。

 

 ここではないどこかに行きたい。

 誰も私を知らない土地へ行って、そして小さな家に住むのだ。

 刺繍や裁縫の腕には自信があるから、小物でも作って売り生計を立てるのはどうだろう。兄や妹と引き比べたりされない遠いところへ。

 とりとめのない想像に身を任せながら、整然と整えられた初夏の薔薇に手を伸ばす。香りを味わおうと茎を持った途端、小さな痛みが指先に生まれた。


 ――『あなたのような方こそが、我が国のほまれです』


 先日、慰問に訪れた孤児院の院長先生は、私を評してそう言った。


 第一王女として、常に民に気を配る愛情深いプリンセス。

 そんな理想的な姿が、彼の眼には映っているのだろう。


 深いため息が、知らずのうちに口から零れた。

 私は、巫女姫リセアネとは違う。

 そうあるべきだから、ただ果たしている義務にすぎない。

 美しくないのなら、せめて心根だけは……と、無駄なあがきを続けているのだと誰かに懺悔してしまいたい。

 

 「おや、こんなところにいたのだね、私のナタリーは」

 「っ、兄様!」


 低く甘やかなテノールの響きに弾かれ、ビロウドのような薔薇の花びらから慌てて指を引いた。プツリと膨れた赤い玉は地面に落ち、小さな染みを作った。




 「それで? 今日はどんな事が可愛い妹を悩ませていたの?」


 中庭の中心に据えられた大きな噴水の近くに、あっという間にテーブル席が整えられた。大勢の使用人たちがどこからともなく現れ、見事な手際で全てを終わらせる。急遽用意されたとは思えない薫り高いお茶と、焼き立てのお菓子を運んできた私付きの侍女たちに、椅子にくつろいでいた兄が柔らかな笑みで応えると微かな悲鳴に似た嬌声があがった。


 「なにも。ただ、気持ちのいい日なので、散策を楽しんでいただけですわ」

 「侍女もつけずに、一人きりで? たった一人の兄に、隠し事とは感心しないな」


 やれやれとばかりに首を振った王太子は目線だけで人払いを済ませ、さて、とこちらに向き直った。


 「トルージャ国との話なら、気にすることはない。人を見る目のない馬鹿な王子に、お前をくれてやるつもりはないから。お前の目の前で、リセの見え透いた誘惑に乗るなんて呆れてものも言えやしない。」

 「……ごめんなさい、兄様。」

 「謝るな、ナタリー。お前には一片の非もない」


 きっぱりとした強い声に目をあげると、滅多に感情を露わにしない兄の、久しぶりに見る怒りに燃えた瞳とぶつかった。


 「兄様がそんなに怒らなくても」

 

 そんな表情も、わざわざ忙しい政務を抜けて探しに来てくれたのも、すべて私を思うが故。そのことに気がつくのと共に、暖かな気持ちがこみ上げてきて、思わず微笑んでしまう。


 「私以上に、リセアネは怒り狂っていたけれどね。……お前は、優しすぎるよ、ナタリー」

 「優しくなんて、ないわ。本当よ。私はただ……」


  ――慣れてしまっただけ。


  最後の言葉をかろうじて飲み込んで、心配そうにこちらを覗き込む美しい兄に、私は肩をすくめてみせた。


 

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