7.電車の乗り方がわからない
不眠は僕のお約束だけど、眠るのがあんなに辛かった事は後にも先にもなかった。昼夜逆転のせいで体内時計が狂っていた事もあるけれど、とにかく眠れずに困った。
目を閉じてじっとしても、頭の中がざわざわするんだ。お喋りな思考回路が僕の耳元でずっとこの先の不安を並べ立てていて、眠らせてくれない。
彼女がもし……僕がもし……この先もし……母親がもし……ああもう、勘弁してくれ!
浅い眠りとけだるい覚醒を繰り返し、ぶつ切れに意識が飛ぶ。外が明るくなり、暗くなり、また明るくなると、もうこれ以上まどろんでいる事は無理だった。
まだ世界は薄明に包まれているという程度で、僕がいつも散歩に行く時間と大差なかったけれど、起きるしかなかった。頭痛がどんどんひどくなるんだ。このまま横になっていたら頭が風船みたいに破裂するかも知れなかった。
朝五時。ネットで調べた時に面会時間は昼十時から夕方四時までと書いてあった。港区に行くまでに電車で一時間かかるとして、あと四時間も何をしていればいいんだ?
消化器官の調子は史上最低だ。胃の底から酸味を含んだ不快な臭気が立ち上ってくる。まったく、何だって僕の腹ん中はこう、いつだってストを決行してるんだ? 待遇改善とか何とかってのは建前で、最初から働く気がないだけじゃないか?
僕はとにかくシャワーを浴び、着替え、資金を調達した(親の財布から)。何か食っておかないと持たないとはわかっていたが、冷蔵庫を開けても口に入れたいものは何もない。ラップのかけられた麻婆豆腐があったけれど、匂いを嗅ぐと拒絶感がこみ上げてきた。
まあ、途中で何か買えばいいんだ。
他にはもう、何もやる事はなかった。僕は部屋に戻り、ボトルシップを手にした。ガラスの器の中に閉ざされた世界では、変わらず帆に風を受けたヨットが疾走している。
津田海里は現実の自分に僕が会いに行くなんて知らないだろう。知ったら嫌がるだろうか? 勝手な事するなって怒るだろうか。
僕は、何のために外の海里に会いに行くのだろう?
本当の動機は上手く説明出来ない。だが、会いに行かねばならないような気がした。彼女は自分の肉体が病院に運ばれた事を知っているかどうかはわからないけど、多分それを知ったとしても別にどうもしなかったんじゃないか。彼女はもう外に出る気はないんだ。
僕はそれを知りたいのだろうか。津田海里が現実を拒否する、本当の理由を。それを得て、海里を理解したいのだろうか。




