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僕の顔を見ると母親は嫌悪に表情を歪める。他に言う事はないし、こちらの事情など理解する価値もないとばかりに、同じ言葉を繰り返す。何故お前は普通じゃないんだ、他の人と同じように出来ないのか、と。
あの瞬間の、あの感覚だ。胃袋が拳大にまで縮まり、胃の底から止めどなく沸く不快な酸味が逆流してきて、舌の上に広がる時の。
学校に行くのを止め、海里と出会って以来、あの感覚は完全に消え去ってしまっていたと思っていた。だがそれは確実に僕の底に根ざし、ほんの少しだって薄れちゃいなかった。ただ、見ないようにしていただけだった。
君が常に大多数に属する生き方をして来たのならば、この感覚は絶対にわからないだろう。
これが前に言ったルールってやつさ。「あの感覚」を経験し、そして理解出来るかどうか。出来る者と出来ない者はそれぞれ別のルールに従って生きている。テレビなんかでまれに学者先生が引きこもりやイジメについて完全に見当違いの意見を述べてるのは、彼らがそっちのルールでしか物事を見れないからなのさ。
東大を主席で卒業したって、素手で熊には勝てない。ルノアールが脱帽するくらい上手に絵が描けたって、宇宙が何で誕生したかはわからない。
ルールが違うんだ。
自分がいかに他人と違って不幸かを語り、悦に浸りたいわけじゃないよ。いや、まあ、僕は多分にそんな部分がある事は認めるけれどね。
だけど僕だって語りたい事はあるんだ。部屋に籠もって、学校にも行かず、ただただ日々を鬱々と過ごしていたって、言いたい事はあるのさ。その気になればカップラーメンの液体スープの袋の開けにくさについてだって、一日中語れるよ。
いや、すまない。ついつい話が反れがちだな。
僕がその感覚に囚われていたのはほんのわずかな時間だった。二、三秒くらいだろうが、心を引き裂かれるにはそれで十分だった。それ以上味わっていたらどうなっていたかわからない。
幸いだったのは僕が転んだ事だ。おかげで幽霊は首根っこを掴む事が出来ず、ただ指先がかすめただけだった。
海里ともつれ合い、彼女を押し倒す形で場違いな陽光の下に転がり出る。女の子を押し倒す……魅力的なシチュエーションだが、向こうはすぐに僕をはねのけて立ち上がった。




