3.再びヨットへ
僕のような生活をしていると日々はあっと言う間に過ぎてゆく。毎日はただの空白で、何も起こらないから。
けれどあのボトルの中で起きた事はいつまでも脳裏に焼き付き、決して薄れる事はなかった。数日過ぎてなお、ふと気が付くと漫画の台座に置いたボトルに視線が行っている。
あれから数度触れ、時には手に取って中を覗き込んだりもしたが、今の今までとうとう蓋を外す勇気は持てなかった。僕が臆病ってのもあるだろうけど、でも、これまで築いて来た常識の通用しない、未知のものを恐れるというは、人間として当然じゃないか?
前回はたまたまあのヨットの近くと繋がったけれど、次にこの蓋を開いて吸い込まれた先が月の裏側とかだったらどうするんだ? 「うわあ、海は海でも静かの海だ。それにしてもほんとに静かなんだなあ」とでも呟きながら真空中で窒息死か?
ある日の明け方近く、僕は布団に仰向けになりながら、手にボトルを掲げていた。樹脂で固定されたヨットは逆さにしても落っこちたりはせず、重力を無視して海に浮かんでいるようだ。
手を蓋に添え、ギリギリまで緩めてはまた戻すという一連の動作を繰り返しながら、僕は考えた。あのホームレスはこのボトルの正体を知っていたのだろうか。それともそのへんのゴミ捨て場で拾ったものを、たまたま通りかかった都合のいい相手に売り付けただけ? どちらにしろもう一度彼に会って聞かねばならない。
蓋を開く寸前まで緩めたところで、僕は窓の外を眺めた。闇は薄まりつつある。今朝あたり散歩に行けば、あの男に会えるかも知れない。
そう思ってふと気を抜いた時だった。指に摘んだコルクの抵抗が失われ、一度掌にぶつかってから、床に落ちた。もてあそんでいるうちに意に反して外してしまったのだ。
何の心構えも出来ていないまま、手が解れて渦巻きながらボトルの口に吸い込まれてゆく。あらがおうとしたがもう遅かった。せめてもう一度ホームレスと話してこのボトルの詳細を聞いてからにしたかったのに、いや、もう一度行ってみて中身を確かめてそれからの方がいい……
相反する二つの意見が、僕を中途半端なところにとどめてしまったらしい。かくして話は冒頭に戻るというわけさ。
ボトルの口に引っかかった足を引っこ抜こうともがき、身をよじったりくねらせたりして何とかその場から逃れようとしたものの、どうしても抜けない。一度外に戻ろうかと振り向いてみるが、吸引力が作用しててさかのぼる事は不可能だ。掃除機に吸い込まれそうになりながらも、床にしがみついて必死に抵抗しているゴキブリみたいなもんだな。




