2-7
いてもたってもいられなくなり、最後に彼女が言った事を思い出す。船室の瓶がどうたら、と。足音を立てないように、自分の存在など最初からなかったのだと言わんばかりに、僕は甲板からキャビンへと入った。生乾きのスウェットからぽたぽた水滴が垂れる。
中は僕の部屋よりもはるか広く、居心地がよかった。ちょっとしたマンションの一室という感じだ。シャワールームもクローゼットもキッチンも何でもあるし、カウンターにはバーまで設えてあった。見慣れない酒瓶が並んでいる。まさかあの子が飲んでいるんじゃあるまいな。僕よりほんの少しだけ年上か、少なくとも同い年くらいに見えたが。
フローリング張りの床を歩くと、窓際に飾られたボトルを見つけた。床と水平になる形で木の台座に固定されている。だが中にあるのは船じゃなかった。
僕は体を屈めて瓶の中を覗き込んだ。中にはどこか見覚えのある住宅街の一角のジオラマが封じられており、ボトルハウスというところだ。それを見れば見るほど不思議な感覚がこみ上げてきた。だってこの家は、どう見たって僕の家だったからだ。絶対に間違いない。よーく見ると家の表札に僕の名字が刻まれているのがわかった。
何となく要領がわかった。左手でネックを掴み、右手で蓋を掴むと、一息に引っこ抜く。すると僕の体はここへ訪れた時と同じく、よじれながら中へと吸い込まれていった。
一度は分解して散り散りになった体が元に戻ると、僕の体は布団の上に放り出された。しばらく汗臭いシーツにうつ伏せになったまま、僕は虚空を凝視していた。今起きたすべてを、どう受け入れていいのか計りかねたまま。
すぐに跳ね起きて、ボトルシップに飛び付く。変わらず合成樹脂の海にヨットが浮かんでいる。
今のは? 夢か? 夢なら何で服と下着が濡れたままなんだ? それに潮風を浴びたせいか、かすかに髪の毛からしょっぱい臭いがする。
僕は「そんな筈はない」と「でも実際に起きた」の狭間でしばらく葛藤し、身悶えせんばかりに苦悩した。つまり常識だとか物理法則だとかを全部すっ飛ばしてありのまま今起きた事を説明するとすれば、僕はこのボトルの中に入っていたということになる。そして向こうの世界ではこっちの世界がボトルの中にあったんだ。
何を言っているんだか我ながらさっぱりだけど、断じて僕は正気のつもりだ。統合失調症になると、こんな妄想に取り付かれるのだとネットの記事で読んだ事はある。だけど、いや……そんなまさか。
確かに、引きこもってるうちに僕の頭がおかしくなったのだという可能性もある。妄想に取り付かれて、一時的にありもしない幻を見ていたのかも知れないじゃないか。