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いやあ、一生を通してもこれだけ不思議な体験はなかったよ。だけど受け入れられたのは、僕の生活そのものが現実と切り離されたものだったからだと思う。半分眠っているような、遊離した毎日を送っていたおかげだ。
この瞬間の事はちょっと筆舌に尽くしがたい。体がばらばらになって闇に溶け、どこかに落ちて行くんだが浮かび上がってゆくんだか。でも苦痛や恐怖はなくて、あのホームレスと接した時と同じく、僕はただ呆然としているだけだった。
僕はこれまでとずっと同じように無反応で、無抵抗で、無感覚だった。周りで起きるすべてに対して。
目はずっと開いていたつもりだけど、はっきりこれが見えたと言えるものは何もない。ただ曖昧に感じられたのは、長い長い洞窟のような場所をものすごい勢いで抜けるような感覚だった。周囲は透明で光を好かすトンネルのような場所で、それを抜けると一気に世界が広がった。今思うと、あれはボトルのネックを通り過ぎていたんだろう。
レゴブロックみたいに分解していた僕の体は再び一カ所に固まって一つになり、僕という形に戻ったようだった。曖昧だった五感と自我がはっきりし、剥き出しの魂が重たい血と肉に包まれる。
真っ先に感じたのは息苦しさだった。水風呂に放り込まれて頭を押さえ付けられているような、耐えがたい圧迫感が四方八方から押し寄せて来る。いまだにどっちが上なのか下なのかわからないまま、とにかく僕はもがいた。
頭が水面を破って虚空に飛び出した時は、心底ほっとしたよ。いやあ、空気がこんなにありがたいものだとは思わなかった。
いっせいに起きた色んな事を全部まるごと理解するのは不可能だったので、僕は指差す要領で一つずつ順番に確認していった。
まず右腕だが、これはちゃんとくっついていた。良かった。左腕と二本の足もあるし、到底整っているとは言いがたい顔のついた頭もある。つまり五体は満足で、寝間着兼用のスウェットがそれにぴったり張り付いている。何故張り付いているかと言うと、僕は水面を漂っているからだった。
体は沈むまいと本能的に不格好な立ち泳ぎをしているが、今にでも沈んでしまいそうな我ながら頼りない動きだ。
疑問は連鎖となって繋がり、そして何故立ち泳ぎをしているかと言えば、そこが大海原の真ん中だからだ。海面は微風で静かにさざ波立ち、その上は果てしない青空が広がっていた。空の青と海の青を区切る水平線からは、綿飴みたいな雲が立ち昇っている。