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晩年は本格的に頭がどうにかなったらしく……と言っても疎遠だったし、知りたくもなかったのでこのへんの事はよくわからないが、精神クリニックを行ったり来たりの生活をしていたという。小鳥が餌をついばむようにして安定剤を飲んでいたという話だが、それでもいつもイライラしていたと言う知り合いの話を聞く限り、何ら効果はなかったみたいだ。
これはカウンセリングや化学合成剤ごときで人は変わらないという、日本昔話の題材にしてもいいくらいの教訓を含んだエピソードだと思う。人間は変わらないのさ。
あんなになってしまうまで何もしなかった僕と兄貴、父親はヒドい奴かい? まあそうだろうな。実際、葬式の時も親戚のおばさん連中がそんな事を囁いてるのを何度か耳にしたよ。
だが、そりゃあ認知症の老人を抱えた家庭に「家族が介護するのが当然」だと言い張る自称良識者と同じってもんだ。お前らはいいさ。苦しいのは、お前らじゃないんだから。あの女の相手をするのはお前らじゃない。ヒステリーのサンドバッグ役を勤めるのは、お前らじゃない。
吹けば飛ぶような愛や義務感でそこまでは出来ないね。金をもらってもゴメンだ。
全然後悔してないわけじゃないよ。何かしてあげるべきだったとは、今でも思ったりする。でも何をするべきだったかと聞かれても、間違いなく「僕が直接あの女に会ったり世話したりするのだけは絶対に嫌だ」ってなっちゃうんだ。
わかってくれ。肉親に対する憎しみはそう簡単には癒されないんだ。消えてなくなったと思っていても、ある日突然どこからか染み出してきて、白昼夢のように僕を苛むんだ。そいつが死んだからと言ってある日突然、憎悪が丸ごと消えてなくなってしまうわけじゃない。人生はそこまで単純じゃない。
人を許すってのは、実はものすごく難しい事なんだ。この点だけは母親と僕は共通していると思う。彼女は(彼女の中の基準で)僕が普通じゃなかった、学校へ行かなかった、生まれたばかりの時に思い描いたような子供じゃなかった、そのすべてが許せなかったのだろう。
もしもあの女が僕を先に許してくれたのならば、学校なんか行かなくていいよって言ってくれたのなら、その時は僕もまた母親を永久に許せたのだろうか? 憎しみを引きずったまま生きて行かなくて良かったのかな。
まあ、全部今となっては、ってやつだ。考えたところで日本軍が太平洋戦争で勝ってたらってのと同じくらい無意味な発想だ。
ただ一つだけでも他に……まあ、やっておかねばならない事があったとすれば、それは生前に母親に謝らなければならなかったという事だ。殴った事、あっただろ? 他のすべてがどうあれ、あれだけは謝るべきだった。