10-11
眼と鼻の役割を果たす霧を失い、幽霊たちはこちらを見失った。というか、自分が立っているのか寝ているのかすらわからなくなっていた筈だ。見えなくなったのはこちらもお互い様だが、構わず包囲を突っ切る。
単に連中にぶつからなかったのかも知れないし、霧の外では触れてもどうって事なかったのかも知れない。どっちかはわからないが、ともかく僕は何ともなしにそこを抜けた。船首から舳先へ駆け上がり、ラムを伝って隣の船に飛び移る。生涯で一度のスタント無し、それも一発撮りのアクションシーンだ。
隣の船の縁に捕まり、甲板に這い上がった時、僕は後ろを振り返った。さっきまでいた船は沈んでおらず、すぐに戻ってきた霧の中を人型の空白がうろうろしているのがかろうじて見えた。
彼らはいまだ僕を探し続けているのだろうか。ひょっとしたら、あれからもう何年も経った今でも。
それから先ももちろん幽霊はいたが、さっきほどの難所じゃなかった。可能な限り霧を乱さないように進むうちに、とうとうヨットが見えてきた。
茶色や黒に薄汚れ、もう白い部分の少なくなった船体を見た時、十年来の友人に会ったような懐かしさがこみ上げて来た。まだ数日しか経っていないのに。
ヨットは痛々しいほど朽ちていた。船体は錆と汚れにまみれ、マストが一本折れてなくなっている。喫水がかなり上がっているところを見ると、どこかで浸水しているのだろうか? とにかく、いつ沈んでもおかしくない。
甲板には他と同じく濃い霧が見える。僕がその時乗っていた船はヨットより幾分背の高いクルーザーだったから、甲板上のすべてを見下ろす事が出来た。眼を凝らし、海里を探す。
「海里」
名を呼んだ時だ。ヨット上の霧の流れに乱れが生じた。
彼女がいた。
ちょうど、僕に振り返ったところだった。何故すぐに気付かなかったかと言うと、もうその姿がほとんど消えかけていたからだった。
海里は半透明で、今にもその姿は消えてなくなりそうだった。砂浜に書かれた文字のように、波に一撫でされただけでなくなってしまいそうな。
僕を見上げ、彼女は何かを囁いた。その言葉が何だったのかは、今でもわからない。とにかくそれを口にした瞬間、船底から泡が染み出して来て、船の周りを取り囲んだ。