10-9
霧を大きく掻き乱さないよう、そっとコンパスを取り出して方角を確かめると、確かにここが西の果てだ。ここに至るまでに大分北上したから、後は縁沿いに南下すれば帳尻が合う。
船首の舳先から隣の船に移れそうだが、助走を付けたとしてもあの幅を飛び越えられるだろうか? 走り幅跳びは持久走と同じくらい苦手なんだ、くそっ。
幽霊はしつこくこっちを探している。……いや、ちょっと待て、二人いないか? いやいや、もっとだ。三人か、四人か、もっと。
たちまち頭が混乱し、僕は更に小さく縮こまった。何てこった、どういう訳だ。濃厚に立ちこめる霧の中には、確かに複数の人型が見えた。あいつらは何だって、この船に限ってあんなにたくさん集まっているんだ。
この理由は後にホームレスから聞く事になる。幽霊は死ぬ寸前、つまりもうすぐ沈む船に集まってくる習性があるって。何でかって言うと、彼らは海に落ちると溶けてなくなってしまうからだ。
彼らにとって永遠に続く苦しみを終わらせる唯一の方法は、船と共に沈んで消えてなくなるってだけなんだ。じゃあ何で自分から海に飛び込まないんだって思う人もいるだろうけれど、それは多分、僕がかつて病気になって死にたいと思っていたのと同じなんだろう。自分の意思や判断よりも、成り行きのまま何もしない事を優先したがるのさ。
さあ、困った。幽霊たちは死ぬ気満々だが、かと言って僕を見逃すほど無気力でもないようだ。そりゃあ、誰だって黙って死にたくはないさ。僕に取り付いて自分の過去を思い知らせるのが彼らの遺書代わりってとこなんだろう。
僕はともかく、立ち上がろうとした。極めてゆっくり、スロー再生のようにのろのろと。霧の流れに不自然さが生じない程度に、そよ風ほどの速度で。
くそっ、海里。無事でいてくれ。あの子が今あんな姿でいるかも知れないだなんて思うと、堪えられない。胸が内側から張り裂けてしまいそうだ。
彼女の心配が済んだら、次は自分の問題だ。しかし……いや、今考えても情けなくって涙が出るが、僕はこの時、激しく後悔していた。進退窮まり、どうしようもなくなると、自然とそうなってしまったのだ。
進むことも戻る事も出来ない。幽霊たちは僕の気配が消えたあたりから離れず、ひたすら動き回っている。あの合間を抜けるのは不可能だろう。
何でこんな事に……何で僕はこんな事をしてるんだ……来るんじゃなかった……誰か別の人ならきっと……