10-7
次から次へと船を渡り歩き、とうとう肺が限界に達しようとした時だ。僕は霧の向こうに空白を見た。今いる船を渡ったもう一つ向こうの船の先には、船影が見えない。きっとあれは外周部を漂っているんだ。
とうとう縁にたどり着いた。だけど、どうする? 背後には鈍足ではあるけれど幽霊が迫っている。海に飛び込むべきか。真っ白な蒸気に満たされた頭の中に、かろうじて残された正気で考えながら、板橋を渡ろうとした時だった。
甲板の上、板橋を渡り切ってすぐのところに、一瞬人型が見えた。いや、正確には人型にくり貫かれた霧が。幽霊が僕を待ち構えていたんだ。
慌てていたせいもあるけど、視線がその後ろ、つまりサルガッソーの外を見ていたというのが大きい。注意していれば霧が不自然な形をしているのがすぐにわかったのに、意識が向いていなかった。
しまった!
止まるには遅すぎた。僕は悲鳴を上げ、両手を体の前に翳しながら、頭から幽霊の体に突っ込んだ。
この時見た事、感じた事は、あまりにも断片的で抽象的だ。夜に見る悪夢の大半が説明のつかない恐怖に覆われているように、上手く話せるかちょっと自信がないが、出来る限りやってみようと思う。
最初に幽霊に触れたのは体を覆った腕で、それから頭のてっぺん、顔、首、体……と順番に突き抜けていったわけだけど、何というか、氷水の壁にぶつかったみたいだった。といっても体の外は何て事はない、何も感じない。その氷水はすぐさま体の内側へと染み込んで来て、僕の体を海里が好きだったビールみたいにギンギンに冷やしてしまった。
子供の頃、真冬に縄跳びをした事ってない? 他人のもののように冷え切った耳に、勢いよく回転する縄がぶつかった時は? 冷え切った体が痛みに切り裂かれるような感覚に悶えた事はある? あの感じだ。あれを何百倍にも強くして、精神そのものを切りつけられた感じ。
後にも先にもあんな苦痛は味わった事がなかった。魂が引き千切られるってやつさ。幽霊は僕の体温を奪おうとしていたのだろうか。同時に、奴が持つ記憶の断片を見た。眼に見たって言うより、心の中に流れ込んできた。否応なしに押し付けられたんだ。
誰からも愛されず、誰にとってもお荷物で、いつも周囲の誰かが誰かに押し付けて回っているような存在。家庭、学校、職場、どこにも居場所がない。
自分は人間じゃない。それ以下の何かだ。いっそ虫か何かならここまで悩んだりはせずに済んだのに、それにすらなれない。これだけ自分を苦しめる「感情」はどうやっても消せず、永久に苛み続ける。