広間の中央で、哀を叫ぶ
煌びやかな夜会。
着飾った男女が笑い、ざわめくそのど真ん中。
私は、広間いっぱいに響くように大声で叫んだ。
「離縁してくださいませ!!!!!」
貴族たちのグラスが一斉に止まる。音楽さえも止まったような静けさが広がり、誰もが信じられないという顔で私を見ていた。
目の前の夫は、目を見開いた。
「何を、言っているんだい?僕たちは仲の良い平等な夫婦だろう?」
そうですよね。私は大人しく従順な、あなたを愛する妻。
でもそれは、たった今終わりを告げたのよ。
⭐︎
愛してやまない婚約者と、学園卒業後すぐに結婚した。笑うと少し目が細くなる、細面の優しい人。夫婦となってからも彼は私の淹れる紅茶を美味しそうに飲み、寒い日は温かい上着を掛けてくれる。理知的で、冷静なところも大好きだった。
結婚から2年経った時のことだった。
「ご懐妊ですね」
月のものが止まって医師にかかると、妊娠したことがわかった。
「あなた!子が、子ができましたわ!」
「本当か!あぁ、ありがとう!」
愛しい人との子供が、お腹にいる。あぁなんて幸せなのだろう!子供服も用意しなくては。匙もいるわね!
今思えば、あれが幸せの絶頂だった。
⭐︎
確か、子供の名前を調べている時だったと思う。トントンと扉がノックされた。
「奥様、よろしいですか?」
執事の声がした。
「えぇ、どうぞ」
仕事の早いと評判の執事は少し躊躇った後、こう告げた。
「奥様。旦那様より、ご出産費用は折半とのことで、奥様名義の口座からお支払いするよう申し付けられております。その、お間違いないですか?」
「え……?」
そんな話、聞いていないわ。
⭐︎
その日、夫の帰りはいつもより少し遅かった。
「あぁ、疲れたぁー今日は会議が長引いてさー」
寝室でゴロゴロと転がる夫は、いつもと全く変わらない。
「あ、あの」
「んー?」
「出産費用のことなのですが、半々なのですか?」
「あぁ。そうだよ。それがどうかしたかい?」
夫は、ん?と首を傾げている。
「なぜ、何も相談してくださらなかったのですか?」
そう問うと、夫はさも当然のことのように告げた。
「だって僕たちの子だろう?二人の子なのだから、公平に払うべきじゃないか」
確かに。夫婦なのだから、平等に半分ずつ払う。そう言われれば、その通りなのかもしれない。
どことなくもやもやとするけれど。
「わかりました」
理にはかなっているわ。
⭐︎
つわりが、始まった。
つわりは人によってまちまちだが、私は死んでしまうかと思うほど辛かった。
まず、思うように食べられなくなった。朝食の匂いが気持ち悪く、夫と共に食べることができなくなった。
最初はいつものように過ごそうとしていた。でも、だんだんと吐き気を催す時間が長くなった。自室とお手洗いの往復でさえも辛く、寝室に戻って寝ようとしても吐き気のあまり眠れない。結局、お手洗いに清潔なマットを敷いて、小さなクッションと薄い毛布を持ち込んで、とろとろと眠った。もちろん、貴族の夫人としての仕事はできなかった。
夫は、私のことなどどこ吹く風で、接待だという宴や遠乗りに出かけた。かけられた言葉といえば、
「君の吐く声が夜も響いているんだ。辛いとは思うが、もう少し声は抑えてくれないか」
だった。後は、
「大丈夫かい?女性は大変だね」
とか。
吐きながら、ぼろぼろと泣いた。
私がおかしいのだろうか。妊娠すると精神が不安定になると聞くから、私もそうなっているだけなのかしら。
涙が止まらないけれど、彼の言動は全て普通のことなのかしら。
わからない。もう、わからないわ。
でも、きっと私がいけないのよ。
確かに、彼は私のそばにいてくださらないけれど、医者は呼んでくださった。王都で有名な、腕のいい医者。お仕事で忙しくなさっているのだから、仕方のないことだわ。
子供服も、笑顔で選びなさっていた。名前も調べなさっていた。優しい、夫。
お仕事もできないし、お屋敷の使用人のみんな、メイドのみんなにも迷惑をかけている。何より、優しい夫にもご迷惑をおかけしているんですもの。
⭐︎
王女殿下から手紙が届いた。しばらくの間、近くのタウンハウスに滞在予定であるので、私の体調の良い日があれば少しだけでも会えると嬉しい、それどころでなければ遠慮なく断って構わない、との仰せだった。
学生時代からの友人である王女殿下は、大層豪気なお方で、周りをも笑顔にするような華のある方だった。あぁ、お会いしたい。荒い息で、力を振り絞りペンを握った。
⭐︎
王女殿下にお会いできたのは、少しだけ、吐き気がましだった日のことだ。
「お久しぶりでございます。このような形となり大変申し訳ございません」
「あぁ、いいのよ。横になりなさい、顔色が悪いわ」
立ち上がり、カーテシーをしようとした私を、王女が慌てて押し留める。
体力が底を尽きていて、瞬きをするのも億劫なほどだった。
王女は、会えてよかったわ、と微笑まれる。あまりにも優しくて、涙腺が決壊した。
「殿下ぁ……」
「ど、どうしたの!」
「私、おかしいのです。いくら至らないといえど、公務もできず、ご迷惑をおかけするばかり」
ぜいぜい、という音が耳に届く。息が苦しい。ぼろぼろと涙が流れていく。
「あんなに、あの方はお優しいのに、恨めしく思ってしまうーー!」
濁流のように言葉が溢れた。費用のこと、つわりのこと、遠乗りのこと。
げほりと喉が疼いて、思わずうずくまる。たらり、と黄土色が口から溢れた。
殿下はハッとしたように私に駆け寄ると、口にハンカチを当ててくださる。
いけない、汚れてしまうのにーー!
「ゆっくり、息をしなさい。大丈夫、大丈夫よ。自分の呼吸の音を聞いて……そう。それでいいわ」
殿下の目は黒く、妙な光が宿っていた。
「費用も、遠乗りも、彼のいうことは確かに一理ある。正しいことのように聞こえるわ。ただ」
ざわざわざわざわ、と木々が蠢いた。
「片方は仕事もできず収入もないままに命を賭しているというのに、もう片方と費用折半は、身体的負担として平等でない気がするわね」
手が震える。
「私の勝手な感想だけど」
王女の目が光った。
「それ、は」
「もちろん、あなたの夫を否定するわけではないわ。本当に平等で、互いに納得しているならね」
い、や。あの方は、優しい人でーー
「でも、納得していないでしょう?」
ピシッ。
脳裏の夫の顔に、少しだけヒビが入ったようだった。
⭐︎
その夜、夫の帰宅は遅かった。
「ただいま、おや今日は元気なのかい?」
「は、はい」
いつもよりはーー
そう、言おうとした時だった。
「なら、仕事してくれよ。君のせいで公務が滞っているんだ」
え?
「つわりはしんどいとかいうけど、人によるんだろう?それに、元気な日もあるんじゃないか。君のできていない業務がたくさん僕にまわっていて大変なんだよ。つわりだからって怠けないでくれるかい?」
何を、おっしゃられているのだろう。
「今日は、王女殿下とーー」
「あぁあと明日から領地に行くからしばらく帰らない」
聞いてない。この方は私の話を今聞いていないし、私はその話を未だ聞いていない。
「聞いてない、です」
「言ってないからね」
「な、ぜ?」
「なぜって、領地で仕事があるし。君はしばらくつわりが続くだろう?移動も辛いだろうから、君はここにいなよ」
それは、そうですけど、そうじゃなくて。
「それに、君がここにいたら僕は向こうでしっかり寝れるし」
は。
バキバキバキ。
バリン。
優しい彼の顔が、剥がれていったようだった。
「それは、私のせい、ですか」
「え?」
「子供なんて、妊娠しなければよかった、と」
「なんの話だい?」
「合理的は、全て正しいのでしょうか」
「正しいだろう」
「そう、ですか。」
「身体的負担が偏っていても、平等ですか?」
「身体的負担は計測できるものではないし、人によるんじゃないか?」
「命を賭しているのに、労いもないのですか?」
「元気に生きているじゃないか」
「聞いてください、お話をーー」
「すまないが疲れているんだ。君も早く寝たほうがいい」
せめて手紙をと書き残したが、反応はいまひとつだった。
「この国は、妻からの離縁がほとんど成立したためしがない。おかしかろう?」
ある時、王女がつぶやいた。
⭐︎
出産後、初めての夜会。
着飾った男女が笑い、ざわめくそのど真ん中。
私は、広間いっぱいに響くように大声で叫んだ。
「離縁してくださいませ!!!!!」
貴族たちのグラスが一斉に止まる。音楽さえも止まったような静けさが広がり、誰もが信じられないという顔で私を見ていた。そう。あなた達も無関係ではないかもしれないのよ。
目の前の夫は、何を言っているんだと目を見開いた。
「何を、言っているんだい?僕たちは仲の良い平等な夫婦だろう?」
私は、すぅっと大きく息を吸い込んだ。
「平等、公平、対等。ずっとそれをおっしゃっておりますが、本当にそうだとお思いで?」
彼が眉を顰めた。
「違うのか?離縁の、理由は?」
「今ここで申し上げていいのですね?」
手が震えた。
お願い、やっぱり頷かないで。
ーー戻れなくなる。
祈りも虚しく、彼はこくりと頷いた。
あぁ、もう戻れない。
「私は命を賭して子を産みました。吐き続けて、仕事もできなくて。つわりは人によりけり、というのはまさしくその通りですし、怠けるなとの仰せも全くもってその通り。ですが、あなたが仕事をしろとおっしゃった日は王女殿下とお会いしておりました」
あなたは、話を聞いてくれませんでしたが。
「続いて、仕事ができなかったことによりあなたの仕事が増えた、と仰せでしたが、私の公務は分解してまわせる分は小分けにして周りに頼んでおりましたし、本当に私がやらねばならない分はこなしていたはずです」
労りの言葉もなく。
「そして、夜中の私の吐く声で眠れないとのことでしたが、迷惑と仰いましたね」
心配ではなく。
「ご飯も、私は食べれないというのに平気で匂いの強いものを食べて。自分は食べられるのだからいいだろうというのはわかりますが。」
気遣ってはくださいませんでしたね。
「片方は仕事もできず収入もないままに命を賭しているというのに、もう片方と費用折半。そういう価値観もあるのでしょうが、私には受け入れ難いことです」
そう。あくまでも私にとっては、だけれど。まるで。
「ーーまるで、平等の皮を被った不公平のようで」
夫の顔が、崩れた。
「でも、僕らには、子供がいるじゃないか」
「えぇ、そうですね」
「父親のいない子など、かわいそうだ。それに君は僕が嫌いになったわけでは、ない、だろう?」
そう、だけど。そうじゃないのだ。
哀しさが込み上げて、目を伏せた。
「今後は、王宮にお仕えいたします。父親に関しては、誰か探しますわ」
「待て、待ってくれ」
「今までも、待ちました。お話も、何回もしたはずです」
「そうじゃない。俺は君をーー」
「あなたが嫌いというわけではありません。ただ、もう、疲れたのです」
彼が、愕然とした表情になったのが見える。
「最後に」
震える声を、紡ぐ。
「ーーずっと、考えておりました。平等とは、公平とは、対等とは、と」
広間に、静かな声が落ちた。
ーー私の愛しかった旦那様。合理的と、それらは異なるのですよ。
王女がそっと目を伏せた。
静かに、静かに、彼が崩れ落ちた。
ざわめきは、見えないけれど着実に広まった。
⭐︎
その後、ゆっくりと離縁の申し立てが増加した。そのほとんどが、妻からの訴えであった。
「男に生きにくい世の中になった」
「どこが悪いんだ」
そう憤る者もあれば、
「離縁するほどではない」
と、とりなそうとする者もいた。逆に、
「俺が悪かった」
そう謝罪して態度を改める者もいた。
⭐︎
数年後のことである。
一人の男が、婚姻法の条文変更案を議会に提出した。離縁に関する条文に、身体的、精神的苦痛に関する記載の明示を求めた。
提出した男は、元妻に夜会で離縁を申し渡されたその男であった。
何が、彼に心境の変化をもたらしたのか。答えは誰も知らない。
だが、彼は知人にこう呟いたという。
妻の言っていたことを、理解はできなかった。
だが、妻を傷つけたことは確かだった。
だから、案を提出した。
わからないなりに、歩み寄れるように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
主人公は夫に限界がきましたが、嫌いになったわけではありません。夫も、妻の理屈を完全に理解したわけではありません。主人公は、夫の理論的なところも本当に大好きでした。
人の価値観はそれぞれです。ですが、理解できなくとも、尊重して歩み寄ることはできます。
彼らは、別居婚、事実婚の間のような、不思議な形に落ち着いています。元の夫婦には戻りませんし、離縁したままです。それでも、互いのことは大切なままです。離れて暮らすことで初めて、対等に尊重し合える関係になれました。
皆様は、どう思われるでしょうか。




