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祓火の番ー二十年の因縁と、封印された伝説の魔物。ハズレものの最強師匠に拾われた俺が、真実を焼き出す眼に覚醒して帝都の闇を焼き払うー  作者: ミスミシン
第八章 今際の際

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第九十話 ただしいころしも

 その蛇は、最早竜と言ってもいいくらいの大きさだった。

 顔面だけで、俺の身の丈ほどの長さ。

 ゆっくりと持ち上げられて、ゆっくりと降りてくるその顔が動くだけで、僅かに風が舞って着物の裾が揺らぐ。

 大きな鼻は、呼吸をするたびに開いて、それ以外の時には閉じている。

 寒いところの生物や水棲生物がする時の、鼻腔の動きだ。

 出来る限り寒い空気や水が入ってくるのを遮断するために、そうやって動くと聞いた。

 口呼吸を出来る生物は人間だけだと聞いたことがあるから、なんか、そういうものなのだろう。


 ぼんやりと、眼の前にある鼻の穴を見つめる。

 別に鼻の穴がどうとかそんなことは今は意識の外にあるべきことのはずなのに、つらつらとくだらない事を考えていると自然と凝り固まっていた思考がほぐれていくようだった。

 そして、気付いた。

 コイツ、目玉がない。

 閉じられた目蓋は開かず、じっと閉じたまま、それでも俺の事を見つめている。


 お前は、ただ殺しを、したいだけなのか


 この蛇は、そんなことを聞いてきた。

 そんなこと──そんなのは、俺だって、

 俺、だって


「俺は……殺したくはない」


 ぽとりと、言葉が自然と溢れる。

 殺しをしたいかしたくないかなんて、そんなの、したくないに決まってる。

 でも夜住は倒さなければいけないもので、そもそもが元人間というだけであってもうアレは人間ではない。

 霧子も、きっとそうだ。

 俺は霧子が人間でも、きっと、殺していただろうとは思うけど。


「でも、殺しを選ばなきゃいけない時は、あるんだ」

『お前は、殺しを、ただしたいだけなのか?』

「したいわけじゃない。でも、俺が殺すことで大事な人を守れるのなら、俺はなんだって殺せる」


 蛇はまたブフーと音をたてて、鼻息を吐き出した。

 どこか生臭さのある、人間のものとは違う獣の吐息だ。

 

 取捨選択。


 先生は、先生を残して直紹さんを連れて戻れと言っていた。

 直紹さんは、先生が死ぬのならば自分が死ぬと言っていた。

 2人はとっくに選んでいて、でも俺は、そのどちらもを受け入れることが出来ない。

 どちらかを受け入れろと言われたって、ならばその選択肢を強制してくるヤツを倒すと決めるだろう。

 取って、捨てて、選択する。

 でもそれは、なにも提示されたものだけが答えであるという意味の言葉ではないはずだ。


「俺は、霧子や夜住を殺す事を厭わない。殺さないでいいものが居るなら、殺したくはない。でも、あいつ等を殺すことをもう、躊躇しない。それは私怨で、私情だ」


 取捨選択。

 俺は今それをしているんだろうと思う。

 何者かも分からない巨大な蛇を前に、問われた言葉の中で己のすべきことを、選ぶ。

 夜住や霧子に殺される命を、肯定しない。

 例えそれが運命というもの轍を通るべきものだったとしても、否定し続けてやる。

 

『お前は』


 ぬぅ、と巨大な頭が上がり、俺を上から見下ろす。

 閉ざされた目蓋の中、目玉は存在していないかのように蛇の眼窩はペタンコだった。

 それでも自分は「視られている」とわかる。

 コイツは今、選んでいる。


『殺しを、正したいだけなのか』


「そうだ」


 ぶふぅーと、大蛇は三度目の鼻息を散らした。

 しかし今度はまるで笑っているようにも感じて、俺は鼻息で飛ばされそうになりながらその場に踏ん張った。

 俺の背後には、空間が同じかは分からないが先生と直紹さんが居る。

 揺らいだら、彼らにも影響が出てしまいそうで嫌だった。

 

 俺が今自分の殺しを肯定するのも、その肯定一本で立っていられるのも、彼らが同じ空間に居るからだ。

 彼らが──いや、2人だけじゃなく大事な人たちが同じ世界に居て、同じ国に居る。

 だから俺は、己の悪逆を肯定することが出来るんだ。


『吾は、お前が隠している者たちを食らう』

「!?」

『だが、それは殺しではない』


 ズルズルと、蛇がゆっくりと鱗を歪ませながら近付いて来た。

 俺達3人と、大蛇と、ぼんやりと立ち尽くしている刀を持つ者たち以外には存在しない、真っ暗な空間。

 この大蛇は、その空間のどこからか俺に近付いて来ているけれど、いつまでもその尾は視えない。

 どれだけ巨大なのか。

 どれだけ、長いのか。

 神守の封庫で見たものよりも圧倒的に巨大な存在感に、汗が滲んだ。


 こんなヤツが、2人を食らう?

 でもそれは殺しではないなんて、意味がわからない。

 一体何が、どういう意味で──コイツは……


『正される、ころしもよ』

「ころ……なに?」

『よぅく、視ておきなさい』


 大蛇は、ゆっくりと目蓋を上に開けた。

 ぺたんこの、何も無い真っ黒い眼窩にはやはり何もなくて。

 でも確かに、その眼差しは俺を見ていた。


 ビクビクと、いきなり下瞼が震えて驚いて俯く。

 目が疲れた時なんかはこんな風になることもあったが、両目ともにいきなりこんな風になるなんて、初めてだ。

 痛いわけじゃない。

 ただ、自分では制御出来ない筋肉の動きを、無意識に指先で抑え込む。


「ぅ、えっ」


 下瞼の痙攣のせいで目をうまく開けなかった俺の耳に、突然音が戻って来る。

 さっきまではあの蛇の声と蠢きしか聞こえなかった空間に足音が戻り、風の音が戻り、炎の轟音が戻る。

 そして、先生が吐血をした音も。


「帳さんっ!」

「ぐ、うぅ」

「先生っ」


 今度の先生の吐血は、止まる気配がなかった。

 喉の奥からバシャバシャと、まるで水のようにぬるくて赤い液体が吐き出される。

 湯気をたてながら足元に広がる血液は先生の着物も直紹さんの寝間着も染めて、汚して。

 ほんの一呼吸、息を吸えたと思ったらまたすぐに血が溢れ出す。


 直紹さんが、ぎゅうと先生にしがみついた。

 俺の周囲にかかっていた直紹さんの術式が消えるのがわかる。

 霧子の笑い声がして、踏み込みの音と共に突き出された刃を、俺はギリギリで刀で受けて、弾いた。


 右肩が痛い。

 手のひらも痛い。

 胸が、眼が、頭が痛い。

 その全ては、先生が死んでしまうかもしれないという究極の恐怖から来る、痛みだった。


『吾は、お前が隠している者たちを食らう』


 これが、食らうということなんだろうか。

 もう見上げても何も居ないし、さっきまで大蛇が居たはずの俺の眼の前の空間には、霧子が居る。

 嘲笑い、真っ赤な唇を歪ませて黒い煤を撒き散らす女しか──

 

『だが、それは殺しではない』


「……あ?」


 いや、それだけじゃない。

 霧子の向こう。

 アレは──霧子が直紹さんを連れて入ろうとした、オロチのところに向かうための、巨大な扉だ。

 明かりが届かぬその扉は、霧子が離れればもう暗闇に沈んでしまいそうで、俺の眼じゃなければもう、夜住の影に埋もれていたかもしれない。


 アイツには、眼がなかった。

 両の眼がなく、それでも俺は確かにアイツが「みている」と感じたんだ。

 アイツはなんだ?

 なんで、今この場所で、今の瞬間に割り込んで──俺に語りかけたんだ?


 霧子を弾いて、先生の隣に着地出来るように、跳ぶ。

 水っぽい音をたてて踏んだのは先生の血で、真っ赤なそれは地面の石に当たると段々と白く、氷付き始めていて。

 それは、さっき俺が見た光景と、まったく同じ光景だった。

 先生とは真逆の、真っ赤な血。

 さっきは凄く恐ろしくて、気味悪かったその色を、凝視した。


 血を吐いている先生をじっと見つめているからか、直紹さんと火種が俺を見たのが分かった。

 泣きそうな顔をしている直紹さんは先生にしがみついていて、火種はぴょんぴょんと俺の視界の中をウロウロ飛んでいる。

 近付こうとしている夜住を追い払おうとしているのか、より明るく輝く火種は、どこか健気にすら視えた。

 直紹さんと先生から離れないその姿は、やはり赤い。


「えっ」


 直紹さんの指先が、先生の吐き出した血に触れる。

 途端に指先から燃え上がった炎に、俺も直紹さんも、言葉を失った。

 火種が、直紹さんの近くに飛び込んでまるでその身を守ろうとするかのようにくるくると回転している。

 熱くない。

 すぐ近くに居るのに、炎の熱風は身体を叩くのに、少しも熱くない赤にも白にも見えるそれに、目を見開く。

 直紹さんも、先生も、 火のついている己の身体を不思議そうに見つめていた。


「なに?自殺でもする気?」


 あまりの光の強さに、半身が煤けている霧子が少しばかり距離をとる。

 なるほど。人間の身なら明るさも炎も平気だが、夜住の性が出てしまえば明かりと炎には弱くなるのか。

 反面、夜住の性が強ければ物理的な武器攻撃は効かないが、人間の身であれば物理的な攻撃には弱くなる。

 面倒な身体だ。

 どう、殺すか。


 ギュッ

 力が入る腕で刀を握り、霧子が距離をとった隙に火種の明かりが届かぬ先に居る夜住を祓おうと、視線を巡らせた。

 石を踏みしめて、火花を放つ構えをとる。


『正される──頃しもよ』 


 だが、その火花は──火種が食うよりも先に、先生の血液を食らうように出現した巨大な蛇の(あぎと)が食らっていった。

 その声は間違いなく、あの空間で俺に殺しを説いた、あの声で。


「──オロチ」


 先生の声は、いつにない驚愕と恐怖が、滲んでいた。

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