第八十九話 選択放棄
どんどんと、先生の身体から赤が抜けていく。
直紹さんが治癒をしているはずなのに、火種が身体をあたためているはずなのに。
この地下道に入ってから、先生の身体はどんどんと白くなってきている。
寒いからなのか、それとも熱が抜けているからなのか。
同じようでいてまるで違う2つが、同時に起きているようで、恐ろしい。
「あぁ……気持ちいいわぁ。ソイツが死ぬのを、何度夢に見たかしら」
恍惚とした声色で、霧子が両腕で長柄を振るう。
霧子には今、片腕しか無い。
なのに間違いなく今の霧子は両腕で武器を持っているのだ。
なんでだ。混乱した頭を、己の頬を殴って落ち着ける。
あの女には何が起こってもおかしくはない。
わかっているのに動揺してしまう自分が情けなくて、幼い頃から先生に叱られていたことを思い出す。
『ソウちゃんは、なんでも頭で考えてから動こうとするからねぇ。たまには本能で動いていいんだよ?』
先生は俺の本質を見抜いていた。
良きにつけ悪しきにつけ、俺が自分でも気付いていない部分に気付いて、背中を叩いてくれたのだ。
うしなえない。
うしないたくない。
でも、だったら直紹さんを犠牲にするのも、間違いだ。
吐き出す息が、濃く白い。
いつもは術式を使って身体がどんどんと冷たくなっていくのに、霧子には術式が使えないから、身体はどんどん熱を蓄えていくばかりだ。
目が熱い。
頭が痛い。
両目が瞬きをするたびにバチバチと火花を散らしているようで、酷い違和感があった。
しかし、目が熱いと自覚をするたびに、新しいものが視えてくる。
先生の身体を包みこんでいるのは、巨大な竜のてのひらだ。
掴もうとしているのか、人間とは本数の違う四本の指が広がって、ゆっくりと先生を掴もうとしている。
直紹さんに何も視えないのは、多分あの火種のおかげだろう。
先生は灯守だからわかるけれど、なんでアイツは直紹さんに懐いているのか。
チラリと視線を彼らに向けても、考える時間はやはり、なかった。
「ほぉらお前達、美味しい生の肉よ。たっぷりとお食べ」
「くっ……」
「普段お前らの煤を食らって熱を貰っているのだもの。逆に食べられても文句は言えないわよねぇ」
直紹さんが、息を呑む声が聞こえた。
あの女の言葉に、耳を貸してはいけない。
俺は、霧子の言葉を遮るように強く意思を踏みつけて、火花を散らした。
あの女には炎は効かなくても、夜住には炎はよく効く。
広範囲を攻撃するためには、この空間自体を燃やさなければいけない。
もしも直紹さんの術式が風を運んでこなかったら、こんなことも出来なかったかもしれないな。
こんな深くて暗い坑道で火を焚くなんて、本当は自殺行為だ。
でも、直紹さんの風を運ぶ術式はちゃんと発動した。空気が流れている、証拠だ。
「…………選んでたまるもんかよっ」
ダン、ダンッ
何度も火花を散らして、散った炎を刀で払う。
全方位を見ることなんか俺には出来ないが、この目は──この眼は、まるで後頭部にも眼がついたかのように後方までもを見通した。
先生の凍りつき始めている血液。
俺の火花をひょいひょい食って、自分でも火力を上げている火種。
『凪を滅せ。無軌道の牙をその太刀に纏い、悉くを裂きなさい』
直紹さんが、先生を治療しながら俺の刀に風の術式をまとわせる。
途端、風を含んだ炎が一気に高く燃え上がった。
消えかけた焚き火を仰いで風を送るのと同じような原理の、火と風の混合術式。
使ったことなんかはほとんどないが、火花の状態からでも燃え上がる赤い光に、近くに居た夜住たちがたじたじと後退った。
「あぁ、そうか。お前のその腕」
刀を下に向けて足を開き、足裏で地面をさする。
刀に術力を流すと、ますます火力が高まっていき、眼に熱がたまるのを感じた。
「もうお前、夜住なんだな。その腕は──煤か」
「っ今更分かったところで、どうしようっていうのかしらっ」
ガンっ!
霧子が再び地面を切っ先で叩き、途端に退こうとしていた夜住たちが襲いかかってくる。
直紹さんが先生に覆いかぶさり、火種がぴょんぴょんと何かを言いたげに跳ねた。
「炎舞っ!!」
刀を少しでも遠く、軸足に力を入れるように火花を広く振り散らす。
神風の風を含んだ火花は、俺の手を離れると途端に燃え上がり、竜巻を巻き起こして俺達の周囲を照らし、夜住を食らった。
俺の唯一の、広範囲攻撃。
同時に、術力の消費も激しく身体が冷えていくのもまた激しい。
だがこの状況では、この術式を使うのが正しい。
迷っている場合じゃない。
本能で、動いていた。
霧子の腕は、半分が真っ黒な煤になっていた。
アイツの血が吹き出さなかったように視えたのも、内臓が落ちて平気だったのも──アイツの本体がすでに人間ではなく、煤になっているからだったんだ。
通常の刀での攻撃では死なない夜住と、炎の効かない深神の術式。
あの女は、どこまで見越して己の肉体を捨てたのだろう。
「ははっ!」
霧子は笑いながら、炎の竜巻を突き抜けて攻撃を仕掛けてきた。
先生を狙って、直紹さんを狙って、身の丈ほどもある長柄の太刀を振り上げる。
咄嗟に、間に割って入って炎をまとった刀のままその刃を受け止める。
じゅう、と音をたてて炎が消えるのは、あの太刀に深神の術式が重ねられているからだ。
ここで炎を消されれば、夜住がなだれ込んできて、死ぬ。
俺はどうでもいい。
でも、先生と直紹さんが死んだら──帝都は。
神風屋敷に残っている、父さんや母さんや、和穂、ハル、葵──みんなは。
全体重を乗せた太刀の一撃をなんとか振り払って、もう一度火花を散らす。
火花が増えるたびに体温が吸い取られていくのは、もう、どうでもいいと思った。
さっきまでは熱かった身体が冷えていくのも、眼が熱いまま頭痛がするのも、どうでもいい。
この女を殺す。
例え刺し違えても。
俺にこの眼がある限りは、絶対に、この女を!
『お前はただ殺したいだけなのか?』
刀を振り下ろそうとして、その先に何もないことに気付く。
さっきまで眼の前に居た霧子も、周囲に居た夜住も、何もかもが消えていた。
現実じゃない。
俺がそう気付いたのは、俺の背後で丸くなっている先生が俺を見る眼が、青かったからだ。
そして、彼に縋り付いている女の子にも見える小さな子供は、直紹さんだろう。
先生も言っていた。
男の子は小さい頃には女の子の格好をして、悪いものから身を守ってもらっていたんだよ、と。
ハルが小さい頃の、なんとも可愛らしい女の子のような古ぼけた写真を見て笑ったのを、何となく思い出す。
なんで今、そんな姿を見ているんだろう。
なんで今、この人は子供なんだろう?
『お前はただ、殺したいだけなのか?』
再びの声に、ぐるりと周囲を見渡す。
さっきまで俺達をぐるりと囲んでいたはずの夜住はそこには居なくて、ボロボロの、時代遅れの着物を着た男たちが両手をだらりと下げて、俺を見ていた。
手には、刀。
中には、戦国時代の武将のような、鎧兜をまとっている者も居る。
あ、と思った。
彼らは、夜住の基になった人なのだろう、と。
「殺したいわけじゃない。でも、殺すしかない」
本音だった。
霧子は憎い。
殺したい。
でも、殺すしかないから殺すだけだ。
殺さなければいけないと思わなければ、思い出に足をすくわれてしまいそうだから。
『お前は、ただ殺しを、したいだけなのか?』
今度は、この空間全体に響くような声がした。
上を見ると、無数の鳥居がハッキリと視えてくる。
その鳥居が、徐々に重なって、形を作って、太くて立派な首になるのを何となく見守った。
風が、俺の頬をなで、髪をあおる。
いつの間にか、正面にはただただ巨大と言うしかない真っ赤で巨大な蛇が居て、俺に鼻息を吹きかけていた。




