第八十七話 要らない片腕
《此処に在りしは、焔の御子っ!灯籠の火よ、夜を裂き、住処を照らし、我が灯を以て穢れを断てっ》
先生の祝詞が届くのとほとんど同時に、霧子の刃が頭上から振り下ろされ、石の床を叩き割る。
片腕で何気なく振るわれたような一撃で、大きな切れ目の入った分厚い石はまるで落雁を床に落としたように細かく割れて飛んだ。
霧子の膂力は、四人の刀主の中でも一番。
わかっていたが、武器の重さも合わさるとここまで一撃が重くなるのは、知らなかった。
俺は、まだ足裏の風が生きていることを踏み込んで確認しながら、火花を散らした。
灯守の祝詞と、神風の術式。
この2つが重なっていればそう簡単に攻撃を受けたりはしない。
さっきの先生の目潰しでわかった。
炎は効かないかもしれないが、光としては炎は使える。
直紹さんの風は、俺の動きを邪魔しない。
何度も強く床を踏みしめて火花を飛ばしながら、俺は刀で火花を束ねて刀身を白く染めた。
普段はこんな風には使わない。
いくら刀主用の刀とはいえ、真っ白に光るまで熱量を上げれば鉄が損傷してしまう。
だが、今使わずにいつ本気を使うのだ。
暗闇の中で白い尾を引きながら揺れる己の刀を翻しながら、あえて霧子の顔面の近くへと攻撃を繰り出す。
霧子は、口角を上げて笑いながら長柄の背でそれを受けた。
鉄と鉄がぶつかり合い、火花が散る。
ギャリギャリとやかましく音がして、鉄がこすれ合う錆臭さのようなものが鼻孔をくすぐった。
火花が出れば出るだけ、有利になるのは俺だ。
それが霧子に効果があるのなら、だが。
「明神流華炎術──」
霧子の一撃を弾きながら後方へ跳び、刀を一度鞘に戻す。
熱された刀身に反して、俺の身体はどんどんと冷えていくのがわかった。
指先の皮が鉄に張り付き、動かせば破けて血があふれた。
その血が刀身の熱で焦げて落ちて、酷く不快な匂いをさせたが、意識をしている余裕はない。
コイツを殺さなければ。
生まれて初めての殺意は重く、放つ技を鋭くしていく。
まるで霧が晴れたように、頭は酷く冷静だった。
殺す、と、それだけを決めた脳は、そのためだけに動き、眼はそのためのものを映し出す。
全身は冷えて固まり始めているのに、頭だけは熱かった。
「鈴鳴っ!!」
鍔と刀身が激しく擦れ合い、甲高い音を引き摺りながら霧子へ向かっていく。
先に斬撃が届き、音は後に届く、高速の一撃。
当たった。
そう確信するのと同時に、霧子の赤い唇がニィと笑う。
鈴鳴の直撃した霧子の腕が飛び、二の腕から下が空に舞う。
しかし本体は横薙ぎに刀を振るうと、足が石に埋まるほどに踏み込みながら全身を使って全方位に攻撃をはなった。
己の腕を捨てて鈴鳴を受け、確実に当たる攻撃を放つ。
俺は、それを回避出来なかった。
やろうと思えば出来る。
だが、あの攻撃を俺の背後にまで届かせるわけにはいかない。
「くっ!」
ギャリッ
刀の表面に滑らせるように重い一撃を何とかいなすと、ガコ、と肩がズレるような音がした。
まずい。
霧子の一撃が天井近くに直撃したのを確認してから、ズレた肩の関節を戻そうと距離をとる。
だが、そんな余裕は当然与えてはもらえない。
刀を支えていた左腕をぶらぶらとさせたまま、次の一撃をなんとか右腕だけで受ける。
肩に刀の背が食い込む痛みはあったが、肩は外れていないし皮膚も破れていない。
まだいける。
肩さえ戻せば、まだ。
殺す、殺す、殺す。
この女を殺す。
明神を、御神苗を燃やして、神風を奪おうとし、神守を滅ぼしたこの女を殺す。
その一心で、肩の痛みなんてすぐに、気にならなくなった。
いっそのこと、ただぶら下がっているだけの腕なんか要らないと、思えるほどに身体が軽かった。
「ふふ、熱いわね。嫌いじゃないわよ、そういうの」
なのに、何故だ。
霧子は、すでに片腕を失っているというのに余裕の顔をしたまま揺らがない。
片腕で槍や薙刀ともとれる刀を振り回し、俺の攻撃を捌きながら笑うその姿に、おぞましい何かを感じずにはいられない。
だってコイツは、コイツの腕からは、血が一滴も垂れていないのだ。
「ソウちゃん!」
チリーン……
先生の鈴の音がして、一瞬だけ脳の熱が払われる。
その熱は、「あ」というどこか間の抜けた声と共に、完全に消滅した。
霧子の高らかな笑い声に、直紹さんの叫び。
チリチリといつも涼しい音をさせていた先生の鈴が床に落ちる甲高い音をさせて、カラコロと転がる音がした。
同時に、びしゃびしゃと床を叩く、ねっとりとした液体の音。
先生が、身体を折って血を吐いた。
さっきと同じように、腹をおさえて、身体が徐々に前に折れていく。
だがその吐血は、完全にさっきと同じ、ではなかった。
先生の背中に、何かが突き立っている。
霧子の腕だ。
さっき直紹さんが捨てた霧子の懐刀を、ちぎれて飛んだ霧子の腕が持ち、先生の背中に、刺したのだ。
冗談みたいな光景だ。
腕だけが動いて、視界の外で攻撃をしてくるだなんて。
腕だけが、先生の肺を突き破ろうと力を込めてまだ、ググっと力を入れている、だなんて。
「先生っ!!」
直紹さんが、よろけながら走って、霧子の腕にしがみついた。
先生の背中に突き刺さっている短刀を掴んで、霧子の腕を力いっぱいに引き抜こうとしている。
だが、ダメだ。
今の直紹さんの力では霧子の力には勝てない。
何より、今アレを抜いたら、先生は──
先生の口から、ボタボタと新しく血が吐き出されて、ついに先生がその場に崩折れた。
残酷にも霧子の腕は、途端に先生の身体に埋め込まれていた刃を引き抜いて、直紹さんに標的を変える。
ぶしゅりと、先生の身体から噴き上がる血液が、直紹さんの視界を奪う。
短刀が抜けたせいで血管が傷つき、血が飛んだのだ。
霧子が、笑う。
片腕が、舞う。
「霧子ぉおぉおおぉぉぉ!!!!」
「自分の未熟を人のせいにするのはダサいわよ!」
バチリ、と、火花が散って、直紹さんが後ろに倒れる。
ドサリと倒れる音を聞きながら。俺は効くか効かないかなんて気にもしないで、ただただ笑う霧子に刀を振り上げた。




