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祓火の番ー二十年の因縁と、封印された伝説の魔物。ハズレものの最強師匠に拾われた俺が、真実を焼き出す眼に覚醒して帝都の闇を焼き払うー  作者: ミスミシン
第八章 今際の際

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第八十四話 血と死と髪の毛

 生ぬるい空間から放り出された時、直紹が真っ先に感じたのは全身を突き刺すような寒さだった。

 布団に寝かされていた直紹の身体は、薄手の寝間着をまとっているだけだ。

 冬用の寝間着といえど、外に着ていくものではない。

 あまりの寒さに反射的に両腕で身体を抱き込んで背を丸めると、霧子が面倒くさそうに直紹の髪を掴んだ。


「ほら、立って。行くわよ」

「行く、とは……」

「オロチの所に決まってるでしょ」


 オロチ。

 その名に、背筋に寒さではない悪寒が走る。

 両手についた葵の血液はすでに乾いて指先を冷やし、立ち上がろうにも目眩のする身体は上手く地面に足をつけてくれない。

 裸足の足が触れる地面は、石を正方形に削ったようなしっかりとした地面だった。

 おかげで足の裏が傷む事はないが、その分の冷たさに全身が震える。


「ほんっと、時間がかかったわ。オロチを血で満たすのに、何年くらいかかったかしら」

「オロチを、満たす?」

「人間の血ってほんっと少ないからねぇ。でも、神風の血は美味しかったみたいよ?」


 ようやく立ち上がった直紹を見てにやりと笑う霧子の表情を見て、直紹はハッと己の腕を掴んだ。

 見覚えのない内肘の、注射の痕跡。

 まさか、と霧子を伺うと、霧子は高らかに笑う。

 

 この痕は、そのためのものだったのかと、身体が震えた。

 直紹の髪を掴んだ霧子が、まるで手綱を掴むように乱暴に引きながら笑う。

 その表情は、今まで気付かなかった愚者を嘲笑うような、美しさの表面を嘲笑で塗り固めたような、おぞましい笑顔だった。


「術力は薬で高められるけど、血まではそうはいかないからねぇ。毎日毎日ちょっとずつ抜いていたの、気付かなかった? 本当に?」

「そんなの、私は……」

「あはは! ほんっとに可笑しい! 子どものうちにかけた術がどのくらいの期間途切れないかのいい実験にもなったわ。アンタには感謝してるの、本当よ?」


 霧子の表情は、悪戯に成功した子どものようであり、虫の羽根をもぐような残酷さも同居させている。

 直紹は強く髪を引っ張られる痛みと勢いによろめきながらも、何とか足を前に進めた。

 足先はもう真っ赤になっていて、一歩を進むのも身体が悲鳴をあげている。

 発熱している身体が震え、どんどんと熱が高くなっていくのがわかるが、この女には関係のない話なのだろう。

 直紹は震える膝に拳を入れて、せめてもこの女の前で倒れてやるものかと己に活を入れた。


 自分の身に起きている事を、直紹はまだ全て理解しているわけではない。

 断片的に聞いて、まだ理解しきれていない話が脳にこびり付いて、咀嚼し切るだけの余裕はまだないのだ。

 でも、それでも。

 この女がすべての元凶なのだという事は、わかっている。

 この身体が、そう、理解している。


「私の血液を……オロチに捧げて、私本人はどうする、つもりだ?」

「残りの血液と術力を搾り取るのよ。わかるでしょ?」

「わかりたくはないがな……冥土の土産は、持たせてくれないのか?」

「やぁだ、我儘ねぇ」


 コロコロと笑う霧子は、更に強く直紹の髪を引いてヨロけさせた。

 直紹がもう歩くのがやっとだという事を理解しているその腕の強さに、負けぬと必死に石の床を踏みしめる。

 乱れた髪は背中を流れて、ほんの少しだけ寒さを遮断してくれた。


「帝都には、元々5つ灯楼があったの。知ってるでしょ」

「火族五家の事、だろう……?」

「そうよ。じゃあ、その灯楼がそれぞれオロチの首の根元と両手足の位置にある事は、知ってた?」

「それは……」


 それは、初耳だ。素直に言うと、霧子はまたニヤリと真っ赤な唇を三日月型に釣り上げる。

 霧子は、直紹の髪を引きながら言った。

 灯楼はオロチの肉体を封じるために、オロチの首の根元と手足を突き刺す杭の役割があったこと。

 その灯楼は、初代神風の巫女が命をかけて創り上げたこと。

 そして、神守の灯楼が首の根元を封じる灯楼であったこと。


 オロチがこの帝都の真下に居たことも衝撃だ。

 だがあの灯楼の真の意味を知って、夜住を祓って得た煤で火種を維持していた意味を知り納得もしてしまう。

 あの煤は、生贄だったのだ。

 夜住へと変質してしまった人間の残滓を捧げて、オロチの封印を強める。

 そのために、あの煤は必要とされていて、帝都以外では気温の極端な低下も、夜住の出現もなかったのだと。

 

「あの神守帳がオロチを封印したものだから、面倒だったわ。本来は三家でやる儀式よ? 普通1人でやるかっての」

「……あの人は、規格外なので」

「ほんと、腹立つわよね。でも、肉体の方はずっと、私が掴んでいたのだもの、お相子よ」

「肉体……」

「アンタの中に封印してあるものよ、神風直紹」


 髪を強く引かれ、足を突っ張りながらもよろける直紹の胸の間を、霧子の細くしなやかな指がつつく。

 心臓の位置。

 ドクリと跳ねる心臓が痛み、膝が折れた。

 寒さで手足が強張って、血液まで凍ってしまいそうな痛みが心臓にまで集まってきたかのような、強い痛み。

 その場にうずくまりながら、直紹は耐えきれずに呻いた。


 痛い、痛い。

 口から漏れる息が段々と白さを失っていくのも、体温を失っていっているようで、怖い。


「アイツらが凄く腹たったから、アンタの血液でオロチが復活するようにしたの。苦労したわよ? アンタの身体が死なないように、オロチの肉体と繋げるのは」

「ど……いう……」

「アンタが死ねば、オロチは復活する。オロチは、アンタの血と帳の命を吸って復活しようとしているの」


 クスクスと、霧子は笑う。


「アンタが死ねば帳も死んで、オロチは復活するわ。だから、アンタの命を小さい頃から少しずつ少しずつ削っていったの。面白かったわよ? アンタが血反吐吐いてのたうち回っているのを見るのは。忌々しいあの女にそっくりで、滑稽だったわ」

「かあ……さま……」

「ふふ、あぁそうそう。オロチが死んでも、アンタは死ぬわ。だってそういうふうに、育てたんだもの」


 ついに、霧子は直紹の髪を振り払ってその身を石の床に叩きつけた。

 直紹の体温を吸った石はすぐに生ぬるくなり、しかし少しもあたたかさはなく不快なだけだ。

 霧子の前に現れた大きな扉は、彼女が10人並んでも、上にも横にも数が足りないほどに大きい。

 この奥に、オロチが居るのか?

 石に叩きつけられた時に打った額から流れる血を、震える手で拭う。


「やっと殺せるわ。私、アンタのことも大嫌いなの」


 正面からぶつけられる悪意に、身体が震える。

 そんなものには慣れきって、自分にそれがぶつけられるのは当たり前なものだと、直紹は思っていた。

 しかしこうして正面きって言われるのは、諦念や怒りよりもまず、恐怖が湧き上がってくる。

 この女は本当に自分が嫌いなのだと、その理由に思い至らずとも理解してしまう。

 そう理解出来る憎悪の重みが、痛かった。


 するりと、再び霧子が直紹の髪を掴む。

 そのまま首をちぎられてしまいそうな冷たい指先に、その手に、ゴクリと息を呑む。

 しかし直紹は、目を閉じて一回深呼吸をすると、霧子をジッと見た。

 美しい女だ。

 しかしその内面は、汚物よりも汚らしい。


「……最後に、聞かせてくれ」

「なによ」

「その年まで男に相手にされなかったから、男が嫌いなのか?」


 髪を引かれる頭皮の痛みと、顔面を襲う衝撃はほとんど同時だった。

 ひるがえった霧子の手が、高い音をたてて激しく直紹の顔を打ち据える。

 その顔は、この寒さの中でも一瞬で真っ赤に染まっていて、直紹は思わず笑ってしまった。


 軽口なんて、今まで生きてきて一度か二度、(あきら)や葵と言い合うくらいだった。

 しかもあんな、下品な言葉を使うなんて。

 直紹はもう一度、反対側の頬を打たれながらも楽しくて、笑ってしまう。

 二度も殴るなんて、それだけ「効いた」証拠だ。


 だから、気付かなかったのだ、この女は。

 直紹は三度目、霧子が再び手を振り上げた時に霧子の腰に佩かれている刀のうち、短い方を掴んだ。

 霧子がいつも使うのは、その背に括られている長柄の刀。

 腰に佩いているのは、近距離用の短い脇差ほどの長さのものだ。

 

 だがそれでも、掴まれた髪を切り落とすには、十分。


「明神っっっ!!」

「!!」


 長い髪が一房、歪に切れて、散る。

 強く引かれていた反動で互いに身体が離れるのと同時に、直紹は石に身体を打ち付けながらも、叫んだ。


 ジャリ、と音がする。

 女が1人で楽しそうに喋っている間に、暗闇の中を歩いていた音を、直紹は聞き逃さなかった。

 この広くて真っ暗な空間の中にも流れている風が──教えてくれたのだ。


 

供炎(ともえ)っっ!!!」



 地面に伏した直紹の視界の端で、真っ赤な炎の刃が翻り、霧子に直撃する。

 散った髪が無様に焦げる匂いがしたけれど、直紹は腹を抱えて笑いたくってたまらなかった。

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