第八十一話 背火の陣
灯楼の天辺まで登り切ると、そこには凄まじい熱を放つ巨大な火の玉が存在していた。
四方には窓がなく、吹雪が吹き込んできていてもおかしくはない高さにあるというのに、少しも寒くない。
その中央にある炎は、もう火種だなんてとても言えない大きさだ。
今まで経験したことのない熱さと明るさに、和穗は炎の風を受けながら言葉を失う。
神風家は、神守家と並んで古い家系だ。
まさか、火の大きさでそれを実感するとは、思わなかった。
「……お願いします。帝都を、守りたいの」
ゴクリと、冷えて乾いた喉に生唾を送り込んで、火に向かって語りかける。
目を乾かすほどに強い火は、和穗を迎えるようにパチパチと音をたて、明滅するかのように揺らめく。
御神苗の火種とは、和穗とて何度も対面していた。
初めて刀を受け取った日にも、上手く刀を使えずに落ち込んだ日にも。
和穗は、自分の家の火種に励まされて、背中を押されてきたのだ。
でも今、この巨大な炎がとても怖いと、和穗は思った。
まるで違う。
赤というよりも白に近いその色は、目を開いているのにも苦労するほど。
怒っているのだろうか、と、思う。
刀主である直紹をあんな風に扱われて、神風の中の人間まで浸食されて。
神風を見守り続けてきたこの火種にとってしてみれば、腹立たしいどころじゃないんじゃないだろうか。
「……直紹さんも今、凄く身体が冷たいの。新しい灯守はまだここに入れない。でも、火種を持ち帰って、あたためてあげたい」
何となく息苦しくて、はぁ、と息を吐き出す。
「直紹さん、悪い薬をずっと身体に入れられてたんだって……灯守が居てやっと、身体が動かせてたんだって、先生が言ってたの。だから今は……今は、側にいってあげてほしい」
怒りを熱にするならば、こんなにも熱いのだろうか。
和穗はジリジリと身体の表面が焼かれていく痛みに耐えながら、火種に語りかける。
火種はまだ、和穗を〝見て〟いる。
わからないが、そんな気がした。
「今夜と、朝になってからが勝負だって。最後の賭けだって……帳先生が言ってて……私もこれから、戦場に行く。だから、この家は、帝都は、貴方に守ってほしい」
チカチカと、火種がまた明滅する。
返事なのだろうか。
それともただ、風でゆらめいているだけなのか。
わからないが、少なくとも悪い反応ではない、気がする。
だって、火種たちはその気になれば人間なんて一瞬で消し炭に出来る存在なのだ。
和穗は、ゆっくりと両手を前にかざす。
「御神苗の灯楼も、明神の灯楼も倒れたわ。あとは、深神とあなただけ。でも深神は……きっともう、私たちをまもってくれない」
お願いします、助けて下さい。
切実な和穗の言葉に、大きな火種がまたチカチカと、光って、翳った。
瞬きの間に、火種が大きくなって、小さくなる。
それを見つめていた和穗が「あ」と声を出すだけの、ほんの一呼吸の間。
火種は1度握りつぶされたように小さくなってから、大きく光って部屋いっぱいに両腕を伸ばした。
まるで、母が子を抱きしめるような、太陽が雲から顔を出す時のような、そんな暖かさ。
そう思った次の瞬間には、和穗の身の丈よりも大きかった火種は、和穗の腰ほどの高さになって沈黙していた。
パチパチと音をたてているのは変わらない。
あたたかい熱が和穗の身体をあたためているのにも、変化はない。
けれど、開いている四方の窓から外を見れば、街路をほのかに照らす街灯の明かりが強くなっているのがわかった。
今まではぽつぽつと、橙に光って道を照らしていた街灯は、今は白く強くなっている。
そのおかげか、避難をしているのだろう市民たちや、刀持ちたちの影が濃くなって、こんなに遠くからでもハッキリと見える。
歩いている人々もいきなり街灯が明るくなったことに気付いたのか、驚いて上を見上げながらもどこかほっとした表情をしていた。
あったかいのかな。
和穗は、吹雪に髪を攫われそうになりながらも、安堵に表情をほころばせた。
それでも、帝都の中で明るいのはほんの一部だ。
神風の灯楼の手の届く範囲。
神風の領地の中にある街灯の、その光る範囲だけがこの火種が守れる部分だ。
他の灯楼の明かりは見えず、唯一対局の位置にある深神家だけが遠く、ぽつんと光を放っている。
「……わたし、戦場に行くわ」
色濃くなった影。
明るくなった街灯。
その隙間──光の届かない路地裏は、きっと寒いだろう。
そしてその寒い場所には、逃げる場のない人間がまだ、居るはずだ。
そういう人間が、夜住になる。
誰にも助けてもらえず、誰にも気付いてもらえず。
そんな人が恨み憎んで、夜住に堕ちる。
そして夜住を倒すのは、刀主の役目。
「神風屋敷は最後の砦よ。直紹さんを、お願いします」
火種は、数回チカチカと光ってから2つほど、小さな火種を切り離した。
和穗の手のひらほどの大きさの火種は、ふわふわと窓から外に出て屋敷の方に向かっていく。
あれが、灯守の火種になるのだろうか。
灯守がどうやって角灯の中身を得るのか知らない和穗は、何となく小さな火種を目で追う。
だが己の顔の側に、もう一回りほど小さな火種が居ることに気付くと目をパチパチと瞬かせた。
小さい。
だが、あたたかい。
「……ありがとう。行ってくる!!」
生きて戻れる保証はない。
刀主としての役目を全う出来るかも、わからない。
それでも他家の火種が自分に預けてくれた小さな輝きに見合う戦いをしよう。
和穗は、窓から身体を乗り出すと、そのまま空を蹴るようにして飛び出した。
下に居た刀持ちたちが驚いて声をあげるが、一回強く灯楼の壁を蹴って遠くまで跳べば、あとは自由落下だ。
空中で大太刀を抜いて、御神苗の術を、込める。
「御神苗式大刀術……」
術は、得意じゃない。
けれど、刀を使うのはきっと、和穗は得意な方だ。
「地鳴!」
灯楼から遠く跳び、鍔に足をかけながら大太刀を下に向けて、突き出す。
ドゴォッ
神風屋敷の正面門の前。
まだ門番しか配備されていないその場所に、おおよそ刀を突き刺しただけでは鳴らないような深く、腹に響く音が割れた石と共に跳ねた。
驚く門番たちの視線が集まったのは、和穗に向けてではない。
彼女が突き刺した地面の──門の影だ。
そこから滲み出してきた真っ黒な汚泥が、断末魔のような甲高い叫びをあげて、煤と散る。
槍を持って立っていた門番たちは驚きに目を見開き、呆然と煤が地面にへばりつくのを見つめる。
「火を焚いて! 影の中には、夜住が潜むわっ」
でも、潜んだ夜住は私が殺す。
ついてきた火種を指先に乗せてハッキリそう言えば、門番たちはまるで火がついたように顔を明るくして、火を取りに戻った。
そうして程なく、神風屋敷を炎が囲む。
それは、火族の屋敷に相応しい出で立ちだった。
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