第七十九話 赤
空中において、先生を庇わなくてもよかったと気付いたのは、いつの間にか自分がふわふわと浮いていることに気付いた時、だ。
急激な落下を覚悟していた俺は、無意識に抱え込んでいた先生の角灯が光を強め、身体が浮いていることに気付くまでに少しだけ時間を必要としてしまった。
元々先生は、1人でも飛ぶように移動していた人だ。
俺が何もしなくても、先生だけなら問題なかったと気付いて、頬が熱くなる。
しかし先生は俺の腕の中で真面目な顔をして周囲を見回していた。
そしてそのまま、「わっ」と数回、大きな声をあげる。
先生の声は大きくなり小さくなり、空間の中を反響して飛び回り、やがて聞こえなくなった。
そのたび、先生はまた「あっ」と声をあげて、音を聞く。
「どうしたんですか」
「いや、僕のこと離さないでね。ソウちゃん落ちちゃうよ」
「こ、これどのくらい深いんですかね……」
「さぁ、どんくらいだったっけなーって思って。前回結構壊した気がするし」
先生が周囲を見回していたのは、広さと深さを測るためだったらしい。
目が見えていたとしても見通せない暗闇の中、声の反響で広さを確かめていたようだ。
どのくらいの高さがあるかも分からない以上、先生を離すのは得策じゃない。
俺は先生を抱えたまま、ふわふわと落ちるがままに任せた。
やがて、俺の足先が硬いなにかに触れて、着地しようと足に力を入れる。
しかしどうやら平面ではないソレは深靴の裏を滑らせ、俺は危うく放り出しそうになった先生を慌てて抱え直した。
丸太だ。角灯の明かりでぼんやりと浮かび上がる、足元に敷き詰めるように並んでいる無数の丸太。
その異様さに圧倒されながら、俺は丸太を軽く蹴って太い木の隙間からさらに下に降りた。
丸太の隙間を降りて、更にほんの数秒。
今度こそ足の裏が固くて平面な場所に触れて、身体は浮力を失った。
いきなりズシッと重くなった先生を抱えたまま地面らしきところに降りた俺は、先生と一緒に周囲を見回す。
地面は、土ではなかった。
規則正しく真四角に切断された石を隙間なく詰めたような、そんな感触だ。
そして、さっき踏んだ丸太は、巨大な鳥居だったことが下から見上げてようやく、分かる。
京の都の稲荷神社のように無数に並んだ鳥居は、赤のものも白のものも混ざりあって、整然と並んでいる。
しまった、踏んでしまった。
先生を下ろして深靴の裏を確認すれば、案の定靴の裏は泥だらけだ。
もしかして上から見たら、俺の足跡がぽつんと鳥居に残っているのだろうかと、気まずい気持ちになる。
しかし、不意にその鳥居自体が輝くように、真っ暗だった空間に明かりが広がっていった。
よく見れば鳥居に提灯らしきものが下がっているだけだったが、どこからともなく火のついたそれらが、すべての鳥居に流れるように広がっていく。
俺は刀に手を伸ばして、先生と背中合わせになった。
向かう先は分からないが、俺達を中心に明かりが広がっていったということは、どこからか何かがこちらを見ているということだ。
「ソウちゃん、今明かりはどっちに向かったかわかる?」
「どっちにも、です」
「じゃあ、赤い鳥居が多い方は?」
「それなら……こっちですね」
「そっち行こう」
「なんでですか?」
「赤は、魔除けと火の色だからね。僕らには馴染みのある色さ」
赤は馴染みがある色、と言い切る白い先生に微妙な皮肉を感じつつ、先生の腕を取って赤い鳥居の多い方へ歩き出す。
先生は油断なく角灯で前方を照らしながら、俺についてきた。
こういった場所において、咄嗟に両手が使えないのは正直不安だが、先生を掴んでいないともっと不安だ。
先生自体を不安ししているわけじゃなくて、何となく先生が消えてしまいそうで、恐ろしい。
この空間はこんなにも明るく、赤い。
なのに酷く寒くて、風もないのに目元までヒリヒリとしてくるくらいだった。
ここが帝都を支配する冷気の根源なのだと本能的に理解出来る、寒さ。
ふぅ、と吐き出した息は、頬に触れてくすぐったく感じる程には、形を持っていた。
「うっ!」
歩き始めてどのくらいが経過したのか。
石造りの床に足裏まで冷えてきた時、不意に先生が俺の手をぎゅうと掴んで呻いた。
何事かと振り返れば、先生が胸元を強く掴みながら大きく口を開いて必死に呼吸をしていた。
なにごとですか、と、聞く余裕もない。
先生と繋いだままの手をぎゅっと握り返し、膝を折りそうなその身体を支える。
「ぇ、あ」
「! 先生っ」
突然、喉を喘がせた先生が嘔吐する。
いや、嘔吐ではない。
吐き出したのは赤い血液で、真っ白な先生からこんなにも赤い液体がこぼれるということに一瞬、脳が理解を拒否する。
しかもその血は、地面に落ちた瞬間に白く凍りついていった。
急いで先生の口元を袖で拭って、吐血に貼り付いて昇ってきた氷を割る。
袖が赤く染まっても、そんなものは気にもならない。
「大丈夫ですかっ」
「ごめ……汚した……」
「そんなことどうでもいいでしょうっ」
オロチだ。
先生が、喉を喘がせながら小さな声で言う。
また、赤い血が先生の口から溢れて、先生の口元を真っ赤に汚した。
角灯の中で火種が騒いで、折角葵が持ってきてくれたのにガラスにヒビが入る。
俺の逡巡は、そう長くはなかっただろう。
即座に先生を抱き上げると、角灯のガラスを刀の柄で割って火種を外に出す。
「オロチの所へ、連れて行け!」
火種にそう叫ぶと、くるくるとその場で回転した火種は、俺達が向かおうとしていた方向へ凄い勢いで飛んでいく。
俺は先生を抱えながらその後をついて走った。
先生が吐き出した血が胸元をじっとりと濡らしたが、そんなことは気にならなかった。
火種が自分の意志で動こうというのなら、そうさせたほうがいい。
あの日、源一郎様から試練を頂いた時から、俺はそう思うようになっていた。
火種について、俺が知っていることはとても少ない。
なんであの火種があんな風に動くのかも、ここに来る前になんで直紹さんにくっついていたのかも、知らない。
だが、あの火種は明神の灯楼の火種だ。
この世に残った、最後の明神の火。
アイツは絶対に裏切らないし、きっと俺の言葉を理解してくれている。
だってアイツは、俺が灯楼の火に手を突っ込んだ日にも、俺を焼かなかったのだ。
オロチの復活を阻止し、霧子を殺す。
その意思はきっと、あの火種と俺で共通していると、確信していた。
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