第七十七話 雪中赤兎
カチ、カチ、と背後で火打ち石が打たれる音がする。
和穗が叩く石の音だ。
最後まで「一緒に行く」と駄々をこねた和穗は、しかし神風屋敷の守りが崩れれば帝都が崩れると説得すれば渋々と頷いてくれた。
火族五家の中で一番守りに優れているのは、御神苗家の術だ。
本人はもどかしいかもしれないが、最後の砦を任せられるのは、間違いなく御神苗の者しか居ない。
俺達が、また戻って来るために。
この場所は、死守して貰わなければ。
「任せた」
「任された!」
見送りも、荷物も、最小限だ。
葵と和穗と、父さんと母さんに見送られ、雪雲の上の空が赤と藍色が半々になっている時間帯に、足を踏み出す。
出るのは、俺と先生だけだ。
刀持ちたちは今も忙しく帝都中を走り回っているだろうが、俺達の向かう先はそこじゃない。
ブルル、と嘶く馬を軽く制しながら、俺は先を行く先生の後を追った。
馬に乗るのは久し振りだ。
明神家でも普通に馬は飼育されていたので子供の頃から何度も乗ったことがあるが、車や自転車が人気になるにつれて街中では乗らなくなっていた。
何より俺が、どうしてかあまり馬に好かれない。
子供の頃から一緒に育った馬は大丈夫だったが、新しく用意された馬は、いつも俺のことを嫌って避けるのだ。
今にして思えば、それがこの目のせいだったのだろうと分かる。
明神の馬たちは、俺の中にあるオロチの眼を恐れたのだと。
けれどさすが、神風の馬は度胸がある。
公共交通を使わないように移動するためにと用意された馬は、先生の馬が黒毛で、俺の馬が芦毛だった。
この芦毛の馬は肝が据わっているから、と紹介された通り、俺が馬具をつけている間にも、不機嫌そうではあったが嫌がりはしなくて。
時折唇をめくって馬鹿にするような表情をされるのには困ったが、こうして言うことを聞いてくれるのだから、文句は言えない。
「神風を頼む!」
雪よけの外套を風に煽られながら、チェックの馬着を翻して馬を走らせた。
先生の馬の馬着は白くて、先生の装束と重なって真っ白に見えてしまう。
この雪の中を馬で走るなんて自殺行為だという意見も、あった。
しかし神風屋敷の車も、オート二輪も、人を救うために使って欲しかった。
あまり雪が深まれば馬車も満足に動けなくなる。
それまでに動くには、やはり馬が一番小回りがきく。
ドッ
重々しい馬蹄の音をたてて、馬が走り出す。
予め装備させてある雪中蹄鉄の音は、普段ならばカポカポと心地よい蹄鉄よりも重く、深い音をさせる。
俺と先生が埋まっている長マントの下の馬の首筋は、すでに酷く熱かった。
冷たい空気が、頬を切っていく。
鼻先と耳と、頬骨のあたりが酷くつめたく、すぐに感覚は失われていった。
「先生っ。そっちの峠の方がいつも雪は少ないですっ」
「んじゃそっちっ!」
声を張り上げて、先生に向かう先を指示する。
いつもぴょんぴょんと跳んでいる先生にとって、道を馬で走る方が迷いやすいだろう。
その点で言えば、帝都だけじゃなく近隣の山まで走り回っている俺の方が、地上は詳しい。
実家も山の中だ。
馬が走るのに適している道だって、分かる。
出発する前、『迦具土だとか、須佐之男だとかはいいんですか』と、俺は聞いた。
直紹さんの両親が遺した日記に記された、暗号のような神話の言葉。
先生は『うーん』と言ってから、
『カグツチには心当たりがある。スサノオにも。でも、シナトベはよくわかんないし、それらをどこでどういう風に使うのかは、わかんない』
ずっと直紹さんの枕元にぽとんと落ちていた火種を招いて角灯に入れながら、先生は苦々しい表情をしていた。
いきなりそんなこと言われてもねぇ、とは言っているが、理解できない単語のうち2つを理解出来ているのであれば、きっと先生の中には何か、思惑があるはずだ。
俺は子供の頃から、心の何処かではいつも「先生にわからないことはない」と信じ続けていた。
その盲信が途切れた恐怖は、確かにある。
けれど、先生1人に背負わせずに済むという事を考えれば、すべてを先生に聞かなくていいのは気が楽だ。
わからないなら、探り出せばいい。
それだけのことだ。
「雪~! 大きくなってきた!」
「積もる雪ですねっ」
雪を蹴り上げて走る馬の背で、先生が角灯を照らす。
暗くなってきたというのもあるが、何よりも寒くなってきたからだ。
灯楼の火種の欠片を街灯でわけている市街地と違って、峠に入れば火種は減り続ける。
それにもう、神風の領地の端っこだ。
もう少し走れば、神風の灯楼の加護は消えて〝本当の寒さ〟が襲ってくるだろう。
市街地の方は大丈夫だろうか。
直紹さんは起きただろうか。
父さんと母さんは、和穗は、葵は。
みんな、無事だろうか。
心配しないと決めたのに、託すのだと、頼るのだと誓ったのに、加護を抜けた瞬間に不安が押し寄せてくる。
人間は寒さが続くと心が弱くなると聞くが、これがそういうことなのだろうか。
「ソウちゃん! もう少し行った先に旧坑道があるから、そっちに入るっ」
「わかりましたっ」
ドドッ ドドッ
地面の雪を踏み固め、どんどんと大きくなっていく雪の塊をとかしながら走る馬の首を叩いて、先生が示す先に首を向けた。
雪はどんどん深くなり、このままでは馬たちに巻いているレギンスも冷えて固まってしまいそうで。
こんな所に旧坑道があるとは知らなかったが、山道にトンネルを掘ることは多いから、そのうちのひとつだろう。
何しろこの寒い山道だ。
少しでも雪に触れずに進めるようにと、先人たちが掘った穴はあちこちにある。
長マントが翼のように広がり、その下から馬の躍動する筋肉と、噴き出す白息が見える。
その先に、やがて黒い穴が開いた。
あれが旧坑道か。
馬の速度をゆっくりと緩めていき、足元に気を付けながら、馬ごと穴に入っていく先生の後を追う。
「ここ、途中で隠し道があってね。そこを下っていくとオロチの封印の近くの道の一本につく」
「……まだまだなんですね」
「そりゃあね。でも、馬はもう少ししたら降りないと、ソウちゃんは頭ぶつけちゃうかも」
穴の中に入ると、湿気のせいか外よりも少しだけあたたかい。
しかし、外よりも暗い旧坑道の中は、馬でも怯むくらいには不気味だ。
まるで夜住の口の中に入ってしまったかのような黒さに、そっと先生の馬に馬を寄せる。
先生の言う通り、旧坑道を進んでいくと、段々と天井が低くなってきた。
俺の上背が六尺あるというのもあるが、もう首を屈めておかないと頭頂部が削れてしまいそうだ。
先生の言う通り、もう少ししたら馬を降りるべきだろう。
汗も拭いてやりたいし、水も飲ませてやりたい。
そのためには、水も少しあたためてやらなければ。
「もう少しした所に、休憩所だったんだと思うんだけど、少し広い場所があるから、馬はそこに置こう。馬着かけて、お水とご飯を残しておこう」
「手綱は?」
「いざって時には自力で逃げてもらえるように、繋がないどこう」
「わかりました」
ポコポコと、土を踏む馬蹄の優しい音がして、突然暗闇の中がぬっと開ける。
いきなり左右に空間が広がったように思えるそこは、確かにトンネルの中では少しだけ広くて、俺は頭をぶつけないように気を付けながら馬を降りた。
すぐに馬着をかけて、ふぅふぅ言っている息の白さが濃すぎないのを確かめる。
レギンスもまだそこまで濡れていないし、焚き火をかけておけば大丈夫だろうか。
先生も馬を降りて、足元を照らしながら焚き火をかけられそうな場所を探す。
長マントを翻して周囲を見回すと、馬の体温がなくなったせいで一気に身体が冷えていくような、そんな心地がした。
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