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祓火の番ー二十年の因縁と、封印された伝説の魔物。ハズレものの最強師匠に拾われた俺が、真実を焼き出す眼に覚醒して帝都の闇を焼き払うー  作者: ミスミシン
第七章 進撃

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第七十三話 神風直紹

 神風直紹は今、どうしようもない吐き気と戦っていた。

 自分が知らない間に、この身体を好き勝手されていた可能性がある。

 その事実は、直紹の精神を大いに揺さぶった。

 

 そんな兆候は、今まで無かった。

 身体のことを考えて警邏後夜は早めに寝て、家人が起こしてくれて昼頃に起きる。

 それから少し弓道場に出て身体をほぐしてから、少しではあるが食事をとった。

 月に何日か体調が悪い日がある以外は続けてきた、習慣。

 きっとそれは、夜に主に活動をする刀主たちとは変わらない日々だっただろう。

 だがもしかしたら、その習慣の隙間に自分の記憶にない何かが隠されていたのかもしれないと思うと、恐ろしくてたまらなかった。


 今にも喉元までせり上がってきそうな嘔吐感をこらえつつ、それでも、出来るだけ冷静に自分の日常を振り返る。

 夜間は、何もないはずだ。

 日が落ちて領地内の市民たちの生活を確認するために警邏に出る時にも。

 昼間に領地内を警備している刀持ちたちの報告を受けている時にも。

 直紹の周囲には常に誰かしらが居た。

 灯守だろうが、そうでなかろうが、常にだ。

 それなのに、その隙間に自分を連れ出して何かをするのは無理、な、はずだ。


「神風さん、大丈夫? 気持ち悪い?」

「だい……じょ、」

「大丈夫じゃないだろ。水飲むか?」


 不安と吐き気でどんどん顔から血の気が引いていく直紹に気付いたのか、御神苗和穗とハルがぐったりとした身体を起こしてくれた。

 途端に、強くなる吐き気に咄嗟に口元に手を当てる。

 明神のものだろう、自由に外に出されている火種が、なだめるように直紹の頬に触れた。

 だが、その腕に沢山残っている注射痕のせいで、手が一瞬こわばって、動かなかった。

 知らない。

 こんなものは、自分は、知らない。


 こわい。


「うっ……」

「いいよ、出しちゃって」

「水、水」


 たまらず嘔吐した直紹の背を和穗が優しく擦り、ハルが水を取りに廊下に声をかける。

 用意されていたらしい桶に吐き出したものは、ほとんどがただの胃液だった。

 喉がヒリヒリして、胃液と胆汁の苦さと酸っぱさに口内が気持ち悪くてさらに吐き気が呼び起こされる。

 

 そんな己の様子にも構わずに背をさすってくれる和穗の手は、まだ若い女性でありながらも強い、戦士の手だった。

 薄い襦袢の上からでも分かる、胼胝の残る堅い手のひら。

 直紹が憧れた、剣士の手のひらだ。

 

 幼い頃に両親を亡くした直紹は、帝都を守って死んだという両親に負けないくらいの剣士になろうと、幼心に決めていた。

 しかし齢10を数える頃に、直紹は原因不明の病を発症して床につくことが増えた。

 情けないと、これでは刀を持たせるなんてとても出来ないと、そう言う血縁者たちの言葉。

 病のせいで身体が大きくならないと、貧弱すぎると検診のたびに溜め息を吐く医師たちの表情。

 

 ──それでも刀を振る方法を教えてくれた帳や、明神家の人々のこと。

 ずっと支えてくれた、(あきら)や葵。

 刀を持つ変わりに弓を射る事を教えてくれた、燈老議会の先達たち。

 忘れていない。

 全部全部、覚えている。


 それなのに、その隙間に自分の知らない自分が居る。

 そんな恐ろしいことがあってたまるか。

 段々と熱を発し始めた身体を自覚しながら、震える手で布団を掴んだ。

 

 いつもの発作の兆候だ。

 月に数日、必ずこんな風に熱が出て動けなくなってしまう。

 この忙しい時分に、情けないことこの上ない。

 また酷く胃が痛んで嘔吐すると、ハルが水を差し出してくれた。


 ハル──確か、本名はファルナセスという名で、異国の血を引いているらしいと聞いたことがある。

 けれど彼や彼の家族が仕える御神苗家の者や、共に育った明神宗一郎は、そんな事は気にしていないのだと。

 未だに名前が呼べない、なんて大口を開けて笑っている彼らの姿を、何度羨ましいと思っただろう。

 夜の警邏以外は外に出る事も許されず、少しでも家を抜け出せば待っているのは伯父や長老たちの折檻ばかり。

 1度だって、屋敷から見れる以外の青い空を見れた事はなかった。


 それも──それも、なんらかの意味があるものだったなら?


 もう何も信じられなくて、顔を手で覆って目を閉じる。

 口を拭うために手を上げるのも、酷く難儀した。

 自分は一体、なんのために今日まで生きてきたのだろう。

 零れそうになった涙は、頬に触れていた火種が吸い取るように消えていく。


「直紹さん!」


 バタンッと大きな音がして、どこか遠くに聞こえていた音が不意に意識の中に戻ってきた。

 ぼんやりと目を開くと、そこには宗一郎と帳と、医療官たちが居た。

 後ろに居る男女が誰だろうとぼんやりと思っていると、また胃が掴まれて桶の上に顔を戻す。

 宗一郎がハッと息を呑んだので、この有り様に呆れたのかもしれない。

 そんな男ではないことを知っているのに、気持ちが落ち込んでいるとどうしようもなく後ろ向きな事を考えてしまう。


「直紹、ちょっとごめんね」


 もう何も出てこないのに吐き気が酷くて、返事も出来ずにただ呻く。

 だが、火照った身体に触れた帳の手はひんやりとしていて、心地よくて。

 一瞬だけ、吐き気が収まったような気がする。

 ただ、彼の指先が触れているのが注射痕のある場所なのは、気にかかった。


「……ほんとだ。真新しい注射痕、あるね。穴が大きめだから、点滴かな」

「わ、わたしが……わたしが、やったんです。あの、あの、」

「え、栄養剤だと……お戻りになったご当主様が、おつかれだからと、言われて……」

「あンのクソジジィ」

「最悪の置き土産ですね……」


 何の話かは分からないが、帳がぎゅうと腕を握り鈍い痛みに眉根を寄せた。

 医療官たちの言う点滴に、直紹は心当たりがない。

 だが彼らに指示を出したのだとすれば、あの年嵩の医師だろう。

 高圧的で、いつもキリキリとしている女だった。

 顔はいいが体調を崩すたびにキンキンと声をあげて叱ってくるので、直紹はどうにも彼女が苦手で。

 明神の紹介で若い医療官が2人配属されてきた時には、ほっとしたものだった。


 口元に当てられた吸い飲みの感触に、ほんの少しだけ口を開く。

 ハルだろうか。

 すると生ぬるい水がゆっくり口に入ってきて、直紹は必死にそれを呑んだ。

 口の中が気持ち悪いし、喉がヒリヒリと痛む。

 どれだけ治療の術式を学んでも、この体調不良だけはどうしようもなくって、臍を噛んでばかりだった。


「直紹、ごめんね。頷くだけでいいから、聞いてくれる」


 帳の声だ。

 水を呑んだ事で乱れた呼吸に必死で喉を喘がせながら、真っ白い影を見る。

 熱のせいか目元が潤んで、いつもちゃんと見つめている姿なのに、影しか分からないのが恐ろしかった。


「神風家の指揮権を、僕と宗一郎に頂戴。神守の刀主として、明神の灯守としてちゃんと勤め上げるから」

「……! とばり、さん……それは……」

「もう、隠れてる場合じゃないんだ」


 宗一郎が、膝をついて直紹の背を支える。

 その手は帳とは対照的にとても熱くて、見つめてくる目も赤く、燃え上がっているように見えた。

 

「ごめん……なさい……わたし、」

「直紹」

「……かみてを、おねがい、します……どうか」


 本来なら、床に手をついて頭を下げるところだ。

 戦いの最中、満足に動けない当主の代行をするために、彼は今まで隠していた姿を明かすというのだから。

 本当なら自分の家だって心配だろうに、宗一郎もここに留まろうとしているのだ。

 申し訳なくて、胸が苦しくて、呼吸が乱れる。


「だいじょぶ、だいじょぶだよ神風さん。わたしたちも居るよ」

「宗一郎は情けないけど、オレが居るから大丈夫だって」

「おい、ハル……」

「んははっ」


 宗一郎と同じ境遇のはずの和穗とハルも、直紹の背を撫でながら明るく話してくれる。

 その姿に、直紹は「あぁ」と溜め息を吐いた。


 (あきら)を喪ってから、直紹は1人で生きようと決めていた。

 無理に押し付けられた灯守の日向子も出来るだけ近付けず、嫌われてもいいから自分の側に近付けぬよう。

 そうやって、生きてきたはずなのだ。

 それなのに今、こうして誰かが近くに居てくれることが、こんなにも嬉しい。

 血縁者はあんなにも厳しかったのに、彼らはこんな自分にも、優しい。


「ごめん、なさい……」

「違うよ、直紹さん」


 ぎゅうと目を閉じて涙を我慢した直紹の手のひらを、宗一郎が拾い上げる。

 布団の上にぽとりと落ちていた両手は、宗一郎と帳──明神家の2人に拾い上げられていた。


「そういう時は、ありがとうって言うんだ」


 ついにぽろりと落ちた涙は、明神の火種が優しく焦がしてくれた。

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