第七十話 父母とちり紙
「あ、明神様っ、灯守様っ! 明神家から客が参られたのですが」
「明神家から?」
先を行く医療官たちについて正門を横切って中庭に出ようと歩いていた俺達は、バタバタとやってきた門番に呼び止められて足を止めた。
明神の客。
それは、もしや明神家の誰かが生きていたということなのか?
心臓が激しく鳴り、思わずその場に立ち止まる。
彼らの主語が「明神家の客」であるのなら、この屋敷の主である神風さんの沙汰を待ってから会ったほうがいい。
それはわかっているのに、それがもしかして「明神家の生き残りが客として来ている」としたらと。
そんな淡い感情に支配されて、草履も履かずに正門に向かっていた。
滑り止めのついた足袋に、湿った土の感触が冷たく浸透してくる。
外の空気は冷たくて、昼近くなっても残っていた霜がザクザクと音をたてる。
それでも正門まで足を早めると、そこで待っていた姿に俺は、足を止めて言葉を失った。
「宗一郎」
「宗くんっ」
「……父さん、母さんっ」
俺を見て両手を差し出してきた母の腕の中に、思わず飛び込んで抱き締める。
もう20を超えて、母より身の丈は頭一つも大きくなったのに。
それでも、母の腕は強く大きく、俺の背を抱き締めてくれた。
「明神様のお屋敷が襲われたって聞いて……心配したわ」
「明神の刀持ちの方が、お前がここに居るって教えてくれたんだ」
「そうですか……」
そうですか。もう一度言いながら、ぎゅうと母を抱き締める。
両親は、帝都から少し奥まった所にある小さな街の薬屋だ。
小さな頃から薬臭い家で過ごしていた俺は、明神に連れて行かれてすぐの頃には香の匂いに慣れなくて、外でぼんやりしている事が多かった。
電車で十銭ほどの距離だけれど、子どもの俺には高くって、会いに行けなくて。
両親に会いたくて小遣いを必死で貯めていた俺に気付いた先生が、家に連れて行ってくれたから、絆は途切れずに済んだ。
本当の両親に会いたいという気持ちを、捨てなくていい。
両親と先生と共に戻ってきた俺に、源一郎様もそう言ってくれて。
気付かなかった事を謝って、両親と俺がいつでも会えるように、週に1回十銭のお小遣いを追加でくれるようになった源一郎様。
思い出すといきなり泣けてきて、さっきまでの威勢の良かった自分はなんだったんだと、鼻水が出そうになった。
「あれ、清さんと幸子さんじゃないですか」
「帳さん、ご無事でしたかっ」
「よかったわ。明神のお屋敷が心配で……」
「いや、お二人が無事で良かったですよ。もしかしたらって思ってたけど、確認する余裕がなくて」
ごめんなさい、と素直に謝る先生の言葉に、俺はハッとして母の背の手に力を入れた。
俺の目のせいか。
先生はもしかしたら、霧子が俺の両親に手を出すかもしれないと考えていたんだ。
俺は、そんなこと少しも考えてなかった。
だってこれは、火族の問題で、両親は関係ないと思ってた。
思ってた、のに。
また、ドッと心臓が跳ねる。
何を勘違いしていたんだと、頭の中のもう1人の俺が意地悪く笑った気がした。
そもそも、霧子は俺と和穗をぶつけるために爆発事件を起こしている女だ。
あの爆発現場では多数の市民が死んでいて、爆発で死んだのか火で死んだのかもわからない死体がゴロゴロしていた。
俺達を揺さぶるためなら、あの女はなんでもする。
先生の言葉の裏にそんな意味が含まれているように感じられて、息が細くなる。
「ま、お二人の情報は明神家には置いてなかったんであの女でも追えなかったんでしょうけども」
「え、そうなんですか?」
「あったりまえでしょ。明神は養子で繋いできた家だよ? 元の家の情報は秘密も秘密。重大機密だよ。養子縁組が済んだら全部火種で焼却処分すんの」
しかし、続けて先生が当たり前のように言ったことに、納得と同時に身体の力が抜けていく。
明神家はそこまで考えてくれていたのか、と、思うたびに、胸が苦しい。
源一郎様もあんなにいい人だったのに、きっともう、亡くなっているのだろうと俺は思っていた。
生きていたなら、すぐに一報があるはずだ。
それがわかるから、両親の生存を素直に喜んでいいのかが、わからない。
「でも、いいところに来てくれましたよ。お二人の力お借りしてもいいですかね。かわりに神風家に身柄の保護を求めましょう」
「我々の力……ですか?」
「何か、お役に立てることが?」
「今、神風家にはたくさん怪我人が居ます。その治療の手伝いと、あと医療官の記録してた資料の中で薬師として違和感があるものを探してほしいんです」
先生の背後に居る医療官2人に顔を向けると、2人の顔もパッと明るくなった。
多分俺も、おんなじような顔をしていると思う。
先生は、なにも神風家の現状を見て両親に協力を求めてくれたわけじゃないだろう。
確かに両親の知識は役に立つ。
役に立つが、それだけじゃあ重要な情報を扱っている場所には入れないはずだ。
そもそもただの庶民である2人を優先的に保護するだなんて、帝都の市民たちにとって気持ちのいい言い訳なんか出来るはずもない。
それを、俺の血縁として神風家に保護を求めるという所と、仕事を与えることで解決してくれた。
目の奥がじんわり熱くなっていくのを自覚して、ずるっと鼻をすする。
「勿論です。我々が役に立てるなら」
「お力にならせてください」
「そーこなくっちゃ」
指をパチっと鳴らした先生は、両親の持っていた荷物を医療官に持たせると、再び医務室へ向かうために背を向ける。
過剰に感謝を求めないのも、先生らしい。
再び神風の門が閉じられ、無事に中に迎えられた両親に背中をポンと叩かれる。
鼻先を真っ赤にした俺は、父から差し出されたちり紙を貰って思いっきり鼻をかんで、先生の後を追う。
俺は清と幸子の息子で、明神家の次期当主だ。
こんなことでべそをかいている場合じゃない。
覚悟を新たにすると頬に触れる風も冷たく心地よく感じられて、俺はきゅうと鳴く鶯張りの床を勢いよく駆けた。
勿論、医療官の執務室には山程積まれていた紙束には頭を抱えたし、足袋を脱がずに廊下に上がったものだから汚れた床を女官に叱られた。
すごすご足袋を脱ぐ俺に、先生がしみじみと「たまに前しか見えない所は長所で短所だね」と言ったのは、流石に心臓に刺さった。
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