第六十七話 因果応報、証拠確保
大旦那様、なんで呼ぶのも上等過ぎる名前だ、あんな奴はクソジジィでいい。
思わず俺が吐き捨てると、和穗とハルが吹き出す。
子供の頃、俺は大層口が悪くて先生に何度も注意をされていたものだった。
いつか人の上に立つ人間になるんだから、人が聞き入れやすい言葉遣いにしなくっちゃいけないよ、なんて。
先生だって20年前は今と違う喋り方をしていたのに、自分ばっかり大人になったみたいな事を言っていたんだな。
今になって分かる事を噛み締めながら、怒りでジリジリする後頭部を撫でつつ、息を長く吐き出す。
「ソウちゃん。僕もうちょっと、この人たち治療しなきゃだから、先にクソジジィの所に行ってっ」
「わかりました」
「もう、何回かボコっても許す! 絶対直紹連れ戻して!」
「わかっています」
「お墨付き貰っちゃった~」
呆れ顔の和穗とハルを連れて、宗一郎は看護師に教えてもらった部屋へと足を急がせた。
先頭に立ったのは、葵だ。
冷や汗を滲ませながらも俺たちの指示を待っていた葵は、俺が「部屋へ」と言った途端に弾かれたように走り出した。
きゅうきゅうと音を立てる鶯張りの廊下がやかましく鳴き、外を警備していた刀持ちたちが訝しみながらこちらを見る。
ハルの腰に下がっている角灯がカチャカチャと、ガラスが揺れる音を立てた。
そうだ、火種。
俺の火種は、結局神風さんに──直紹さんについて行ったはずだ。
アイツはちゃんと、彼を守っているだろうか。
「聞いているのか!」
怒声は、やがてビリビリとガラスを震わせながら俺達の耳に入ってきた。
クソジジィ。
また直紹さんを殴打しながら叫びでもしているのだろう声に、葵が強く、床を踏みしめた。
俺は躊躇なく刀を抜き、和穗を一歩下がらせながら、葵に並んだ。
あのジジィの性格だと、和穗のような女性に対しても変なことを言うに決まっている。
あぁいう奴は、そういう奴だと相場が決まっているのだ。
到着したのは、世が世なら天守閣とでも呼ばれていてもおかしくない、見晴らしのいい広い部屋だった。
葵は躊躇なく扉を蹴り破り、拳を握り込む。
だがその先は、させなかった。
葵は今、灯守でもないただの刀持ちだ。
俺がして許される事でも、葵ではそうもいかないことも多い。
だから俺は、葵を一足跳びに追い抜いて刀を振るった。
ドンッ
強く床を踏み込んで、クソジジィが上げようとしていた足を鞘で受け、真剣を首にピタリと押し付ける。
一瞬でバランスを失ったクソジジィは、驚愕に目を見開きながら無様にすっ転んだ。
その有り様に、床に伏していた直紹さんが顔を上げて、無様に大の字になっているクソジジィを見る。
真っ黒の瞳が俺を見たのは、その後だった。
髪も、着物も乱れて、折角さっき先生が治した顔にはさっきより酷い擦過傷と殴打痕。
いつもきっちりと閉じられた衿元が胸元まで乱されて、その下の首に絞められたような赤黒い指の跡があるのは──そういう事、だろう。
「ま、また貴様ら邪魔を……!」
「また、はこっちの言葉だ」
バキリ、と足元の畳が一瞬で焼けて炭化し、硬い音をたてる。
直紹さんの閉じられていた両手から飛び出してきた俺の火種が、チリチリと舞い始めた火花の間で踊っている。
その動きは、まるで「やってしまえ」とでも言っているかのようで。
俺は、刀をスルリと持ち上げると、クソジジィの鼻先に突きつけた。
ほんの一寸、動けば鼻先から血が出る距離。
俺の動きを追えなかったらしいクソジジィは、無様に「ヒィ」と仰け反った。
「お前、神風の当主は誰だと思っているんだ?」
「ぶ、無礼な! 私は先代の……」
「言葉がわかんねぇのか? 今の、神風の、当主は、誰だって、言ってんだよ」
グッと刀を前に出すと、クソジジィの鼻先から血が流れる。
真っ青になったクソジジィは、「な、直紹だ」と、あまりにも情けない声で言う。
わかってんのに、なんでこの人にこんな手を出せるのかわかんねぇな。
俺は人の家でもなければ唾棄しそうになるのを堪えながら、もう一歩、前に出た。
「わ、私は何もしていない!」
「この期に及んで……」
「わたしジャアナイ! ワタシハ、悪くナイ!!」
「おい」
「ワタシハ、わたぢ、ハ ア"ァ、あ」
「葵! 直紹さんをっ!」
パキパキと、関節が壊れる音がする。
俺は葵が直紹さんを抱えるのを確認してから、咄嗟に一歩、飛び退いた。
パキパキ、メキメキ。
クソジジィが自分の顔面を両手で必死に抑えながら、目をギョロギョロとさせる。
自分の肉体のどこからそんな音がして、なにが起きているのか。
それも、わからないんだろう。
メキッ
クソジジィの頬骨が音をたててひしゃげ、皮膚を突き破って突出する。
酷い痛みがするのか、クソジジィが喉に引っかかった悲鳴をあげた。
唾液なのか、血液なのか。ゴボゴボと空気と液体が絡む、嫌な悲鳴。
顔面が左右に激しく揺れ、動くたびに壊れていく頭蓋の隙間から血液と、脳漿のような桃色のものが畳に散っていく。
眼球が押し出され、悲鳴の合間にボタリと音を立てて、落ちた。
変わりに内側から湧き出すのは、真っ黒な煤。
ハルが角灯を構え、和穗が柄に手をやる。
夜住──こんな生々しい変化を見るのは、初めてだ。
『イダイいぢゃいいだぁああぁぁああぁぁああぁ』
「自業自得だ。クソジジィ」
『アイヅあいつア"イヅが悪いわるいああぁあ痛い痛い痛い痛い!!!』
「きっも」
身体の内側から煤に食われ、夜住になろうとしていても、まだこのクソジジィが吐き出すのは直紹さんへの怨嗟ばかりだ。
俺は、くるくる動き回っていた火種が戻ってきたのを受け入れながら刀を下段に構える。
ジジィの首が後方に折れ、逆さになった頭から脳がこぼれ落ちて床を汚している。
脳がなくなった事で言葉が失われたのか、ジジィが吐き出すのはもう喘鳴のような音や、ピだとかバだとか、意味をなさない一言のみだ。
いつもなら、早く楽にしてやらねばと思う所。
でも今は、苦しんでから死ねと思ってしまう、自分も居る。
そんな事を考えるのは、刀主としては悪い事だ。わかってる。
炎の前に命は平等。
悪人でも、善人でも、燃やされれば等しく灰になって消えていくもの。
だけれど、こんな瞬間にも何の罪もない人への怨嗟を吐くこのジジィを、俺は許せそうになかった。
「ハル。延焼しないように止めといてくれ」
「宗一郎ブチギレじゃん」
「うるせぇ」
先生にチクんなよ。
睨みつけながら言えば、ハルと和穗は「ひぇ~」なんて言いながら、俺と夜住の周囲にだけ結界を張る。
先生が来る前に、始末しなければ。
パキパキ、バキ
ジジィの腕の関節が逆方向へ曲がり、骨が飛び出す。
そのまますべての関節を逆に曲げて四つん這いになった姿は、歪な野犬のようだった。
全身を煤が包んでいき、灰と煙の匂いが鼻を突く。
「明神流華炎術──」
一撃で仕留める。
そう思っていた俺は、夜住が四つん這いになった所で再びこちらを見た頭部に、ハッと我に返って術式を止めた。
畳を擦っていた足裏の火花が消え、炎に変わろうとしていた空気が消滅する。
夜住が、両手足を煤で包んで天井近くまで跳躍した。
両手足すべてを使った、床を叩き割る勢いのそれを、横に転がって回避する。
しかし、反対側に折れ曲がって脳を失った頭部に煤が溜まっていき、ぐるりと俺を見た。
そのまま噛みつこうとする夜住の歯を刀でいなし、俺は術式を使わずに思い切り、刀を夜住の──ジジィだった頃の頸部に当たる場所へと思い切り叩きつける。
術式を使わなければ、夜住は祓えない。
そんなのは分かっている。
けれどこの頭部は、煤にして祓ってはいけないと、さっきよりも激しい怒りの炎で背を焼きながら、考える。
一度目の攻撃は、頸部を守る煤を払っただけで終わった。
床を回転して、今度は横からもう一撃。
今度は、煤が少しばかり飛んだ元の人間の頸部が見えたおかげで、少しだけ深く、刃が入る。
だがそれも、骨で止まった。
いつもならば、動かない相手ならば隙間を狙って落とせる首。
だが今は力任せに、落とさなければいけない。
「千切れろ!!!」
煤の腕が持ち上げられて、メキメキと骨のひしゃげる音をさせながら強く、床にヒビを入れる。
しかし大振りの攻撃は回避も容易く、俺は一歩引いて回避をしてから、三度同じ場所へ刃を叩き込んだ。
骨が断ち切れる感触がして、ブツリと皮膚が破れる音がする。
頭頂部が割れて脳を失った頭部が、ごろんごろんと血を撒き散らしながら床を転がっていった。
いい、これで。
これで、証拠を残せた。
「祓刀っ!!」
返す刀で、術式を放つ。
夜住特化の、一撃必殺の技。
完全に夜住化した身体に叩き込んだ炎の刃は、小型のコイツを一瞬で散らした。
しかし俺は、夜住が消滅した安堵感よりも、あのクソジジィの後頭部に刻まれていた深神家の家紋が気になって、腹が立って。
屋根にまで穴を開けてしまったのは失態だったと思えたのは、煤が散った後だった。
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