第六十六話 幻惑の思惑
まぁ実際、葵が神風さんの新しい灯守になるのは難しいだろうなと、俺も思う。
神風さん本人が拒絶するだろうというのもあるけれど、今の状態ではきっと周囲も許さないはずだ。
今まで神風さんは、近しい人を失ってきた。
正直、己の番を2人も失った刀主というのは、俺も聞いたことがない。
霧子のように自分で殺したのでないのなら、周囲から「ワケアリ」と思われてしまうのも無理もない、だろう。
俺達は、神風さんが何も悪くない事は知っている。
でも、さっきのオッサンみたいにただ神風さんの周囲に死者が多いというだけで問題視する人間も、やはり居るのだ。
「なぁ、先生。神風さんの最初の灯守の死因ってなんだっけ」
「え? えーとねぇ……」
「もしかして、最初の灯守も霧子に殺されてる、とかそういうのない?」
葵がしょんぼりと肩を落として、何となく気まずい空気が流れる中。
ハルが発した言葉に、全員の顔が上がった。
日向子の前の灯守の死因については、最早禁忌となって誰も疑問を口にしてこなかった。
俺はてっきり家の都合だとか、陰謀だとか、そういう話だろうと思っていたけれど──霧子なら、やりかねないんじゃないのか。
先生は俺の手を掴んだまま居住まいを正す。
「僕と源一郎様は、最初の灯守の死を神風の上層部との軋轢だって思ってた。実際、日向子との入れ替わりには上層部の思惑ありきだろうしね。でも……」
一度言葉を止めて、先生が悩ましげに眉間にシワを寄せる。
「……深神の術式は、幻惑だ。その中には洗脳も入ってて……20年前、僕たちがオロチ退治に行く時にはすでに、なんとなくだけど、他の家からの当たり強いなって思ってたりしてて」
「あ……」
「だから、あの時すでに神風の上層部が霧子と手を組んでたり……最悪、掌握されてても、僕は今更驚かない、かな」
そういえば、そんなような話をしていたのを俺も聞いた。
神守の封庫で視た過去の幻影──あの時に、先生と霧子が話していた内容。
霧子が「甘い声を出せば男は簡単に転がせる」とか、なんか言っていた。
それが術の事であるのなら……この男尊女卑の帝都において、男ばかりの上層部を掌握した霧子は──
神風さんを手に入れるために、何をしていても、おかしくない。
あの時、和穗が俺を襲ってきたのも、霧子の術なんじゃないのかと、俺は思っていた。
霧子の術式を意識するまでは、そんなことは考えもしていなかったけれど。
でも、今なら、俺を倒すために──邪魔な明神を始末するために、俺に近しい刀主である和穗を利用した可能性は、ある。
そのために和穗を鍛えていたのだとしたら、とんでもない女だ。
あんな女を尊敬していた過去の自分が、酷く無様に感じる程に。
「あの女がなんで直紹を狙っているのか……ほんとにここだけわかんないんだよね。過去から何か仕込んでいたとして、なんで直紹なんだろう? 神守の封庫に戻った時も、一人以外はいらないって言ってた。これは直紹の事だと思うけど、あの子に何を仕込んでいるのやら」
「先生もわかんないこと、わたしたちはわかんないよぉ」
「葵は? なにか心当たりはないのか」
俺が葵に視線を向けると、葵は床をじっと見つめていた。
何を見ているのかと思えば、あの写真だ。
神風さんと最初の灯守の日常を切り取った、一枚だけ遺された写真。
俺は神風さんがこんな風に笑っているのを見たことがないし、和穗もハルも同じだろう。
葵は、見たことがあるんだろうか。
そっと写真を手にとって葵に渡すと、葵が一瞬、仰け反る。
おそるおそるに写真を受け取る手は、まるで貴重な品を受け取る緊張感のようなものを帯びていた。
「直紹は……子供の頃からあまり、外では遊ばない子どもだったんだ。だから俺達は、いつも直紹の部屋に招かれて、遊んでいた」
写真を受け取った葵は、そっと写真の表面を撫でる。
懐かしいものに、愛おしいものに触れる指先は、とても繊細だ。
「身体があまり強くないと、聞いている。実際今も、頻繁に貧血を起こしてはフラフラしているから、屋敷に居る時には灯守以外にも必ず誰かがそばについて、外に出る時には警護がつく」
「あぁ、聞いてる。生まれつきなんだっけ、貧血体質」
「神守の封庫でもフラついてましたしね。術式を使い過ぎると貧血が起きやすいんでしたっけ」
「うん。…………うん?」
神守の封庫で、あの巨大な蛇の守護者を討祓した後から足元が覚束無くなっていた神風さんを思い出して、先生に話を振る。
先生も神風さんとの付き合いは長いからすぐに頷いた。
が、数拍あけて首を傾げる。
なにかに気付いたのか、思案するように視線を巡らせて、俺を見た。
「どうしたんですか、先生」
「いや、なんで術を使うと貧血が起きるのかなーって思って」
「え? 疲れるからー……とか?」
「神風さんの術力量と和穗の術力量、一緒にすんなよ。そう簡単には疲れないだろ」
「な、なによー。わたしだって修行してるんだからね?」
言われてみれば、神風さんの術力量は俺や和穗とは比べ物にならないほどだ。
あの時は一晩中ずっと和穗についていたから、とか考えていたけれど、術を使うことと貧血を結んでみるとたしかに不思議ではある。
俺自身が貧血なんて繊細なものを起こしたことがないから、原因も想像がつかない。
生まれつき身体が弱いから、と言われれば、それに納得するしかないのだ。
しかし先生は何かが引っかかるのか、俺の手に重ねていた手を顎に持っていって、考え込んでいる。
先生が気にしているのだから何も無い、という事はないのだろう。
けれど、俺にはやはりいまいち、その先はわからない。
わかるのは、霧子の八岐之大蛇復活計画に神風さんが必要、というだけ。
その先の情報は、ない。
「ねぇ、葵。神風で、直紹が産まれた時からあの子を診てる医療官とかは、居る?」
「居ます。今は、負傷者の治療に……」
「ソウちゃん、会ってみよう。ついでに、直紹の様子も見た──」
「どなたか! どなたか、来て下さいっ!!」
先生がようやっと顎から手を離し顔を上げた時、廊下から女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
治療室のすぐ隣。
本来護衛と治療士しか入らない静かなはずの空間では、その声は酷く響いて、大きく聞こえた。
真っ先に反応したのは、和穗だった。
脇に置いてあった刀を取り、戸に駆け寄る。
葵は己が背にしていた戸を即座に開き、和穗を追って畳を滑るようにして立ち上がった。
「なにごとだっ」
「襲撃っ!?」
廊下に出た和穗と葵を、一拍置いて俺も追う。
そこで見たのは、廊下で必死に救いを探す女性治療士だった。
髪をまとめていた白い帽子を抱き締めて、乱れた髪は明らかに自然に崩れたものじゃない。
誰かに殴打されたか、払われたか。
俺は、背筋に冷たいものが走った気がして、先生を振り返った。
「大旦那様がっ! 直紹様をっ!」
「なっ……」
「と、灯守の儀式をするからと、私兵を連れて来て……! 無理にお連れになったんですっ!」
もう一人治療士が転げるように部屋から出てきて、鼻血を吹きながら葵にすがる。
明らかに、何者かに殴られた痕跡だ。
神風さんの居たはずの部屋に飛び込めば、彼女たちだけでなく恐らくは護衛についていたのだろう3人の刀持ちたちもその場に伏している。
彼らの身体に残っているのは、刀傷だ。
血が天井や、畳や──整えられていたはずの布団にも散っていて、その悲惨さたるや筆舌に尽くしがたい。
即座に、先生が室内に入って刀持ちたちに触れる。
だが、2人に触れた所で一度手が止まり、1人を飛ばして別の1人に触れた。
死んでいるんだと、その動きだけで分かって、冷たかった背筋が燃えるように熱くなった。
「大旦那様ってのは──そのクソジジィは、どこに行った?」
落ち着け、落ち着けと、自分に言い聞かせる。
だが、どれなりにひどい顔をしていたのか、治療士が1人真っ青になったのは申し訳なかった。
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