第六十一話 仕置き
昨日、深神の刀持ちを追い払った後。
そこにはまるで夜住を討祓した時のように、黒い煤があちこちに付着していたらしい。
最初に気付いたのはハルで、すぐに呼ばれてきた神風さんとハルとで共に火種に煤を集めて回ったのだと、和穗は言う。
和穗は、怪我をしていたことと病み上がりだったのでそれには参加せず、朝起きてからハルから煤の総量の報告を受けたらしい。
そうしてその煤は、今は神風の灯楼で帝都を必死に照らし、あたためている。
「ねぇ、昨日さ。ソウちゃんが神風の刀持ちと深神の刀持ちを見分けて倒したって、言ってたじゃん」
「あぁ」
「それって……深神の刀持ちが夜住だったから見分けるのが簡単だった、とかない?」
「あ……」
言われて、和穗が言葉を失う。
俺も声を失って、右目に手を当てた。
確かに、その可能性はある。
戦場に残された煤と、同じ人間であるはずの神風の兵と深神の兵を俺の眼が簡単に見分けたこと。
それに──本来なら一瞬では消し炭にはならないだろう人間の肉体が、炎舞の一瞬で消滅したこと。
それらは、深神の兵が夜住であったと理由付ければ、しっくりときた。
それに──そうだ。
俺達は、俺と日向子は、人間に擬態する夜住についての書物を探すために神風家の封庫に入ったんだった。
あの時見つけた本は神風さんに渡してしまって、神守家のことで意識の外にでてしまっていた、擬態する夜住の問題。
あの爆発事件の時に突如出現した、擬態する夜住。
神風家に襲ってきた深神の兵の外見をした夜住。
深神家相伝の、幻惑の術。
霧子に気に入られ、師事を受けていた和穗が何者かに操られ俺に刃を向けたこと。
全部、全部繋がった気がして、吐き気がした。
「……沙弥が、霧子が直紹くんを求めてるって言ってたよね」
「……和穗の治療のために、沙弥と神風さんがつきっきりになると見越していたのかもしれませんね」
「え、なに。なんのはなし?」
「想定外だったのは、和穗ちゃんの怪我かな。単純な肉体の損傷だったから治療を担当したのが僕と直紹だった。もし和穗ちゃんが精神術式を食らっているんだとしたら、和穗ちゃんについていたのは僕じゃなくて沙弥だっただろうからね」
「俺があの時、和穗の腕を斬ったのが、霧子にとっては誤算だった……?」
「だろうね。失神させて、精神汚染を治療するなら沙弥が呼ばれてたと思う。そうなったら、直紹を拉致するなんて簡単だったし……和穗ちゃんも殺されてたかも」
「なんの話してるの、ってば!」
ジリジリと指先を怒りが焦がし、苛立ちが目の奥に溜まっていく。
和穗の腕を斬り飛ばしたことは、俺にとっては思い出したくもないほどの事件だった。
けれど、結果的にあのやらかしがあったからこそ神風さんは無事で──和穗も生きている。
俺と先生の予測が正しいのだとしたら、紙一重だったんだ。
冗談じゃない。
霧子は一体どこから罠を張っていて、一体どこまで見越して動いていたのだろう。
神風さんを奪うために?
だとすれば、それはなんのために?
神風真江の息子だからか?
それとも……別の理由がある?
「和穗。大事な話があるから、ハルと神風さんと合流しよう」
「……そこでちゃんと話してくれるの?」
「状況が許せば……。俺としては、ちゃんと全部話して、全員で状況に対処したいって思ってる」
和穗が、先生を見た。
その視線を感じたのか、先生はうっすらと微笑んで頷き、仕方なくと言いたげな表情で和穗の唇がへの字に曲がった。
和穗と日向子は年が近くて、他家同士であっても比較的仲が良い二人だった。
きっと今だって、日向子のことを聞きたくてたまらないだろう。
煤の後始末をつけたのが神風さんとハルだったというのだから、ハルだって気にしているはず。
「……わかった。行こ」
それでも、和穗は言いたいことを飲み込んで、首から下げていた布に動かない腕を突っ込んで立ち上がる。
コイツだって、世が世なら武士と呼ばれる者だ。
きっといまこの場に日向子が居ない理由を、なんとなく察してはいるはずだ。
当主が屋敷に戻っているのに──その当主が角灯を持っているのに、本人が居ない理由なんかはひとつしかない。
ただそれでも、ちゃんと聞かない限りは納得したくなかっただけ。
溜め息を吐いてから先生に視線を向けた俺は、先生が軽く肩を竦めたのを見てなんとも言えない気持ちになりながら先立って廊下に出た和穗の背を追った。
神風さんは治療室に居るのか。
それとも、当主の部屋か。
俺達がこの神風屋敷に来る時には彼はいつも治療室に居たから、そこがいまいち分からない。
「またか! またなのか! この、忌み子が!」
しかし、キュッキュッと、一歩を進むたびに音を鳴らす廊下を進んで奥の治療室に向かっていた時。
畳の上に重いものが落とされる音と叫びに、俺達は一瞬飛び上がりそうなほどに驚いてしまった。
だが、そのすぐ後にバチン、という肌を叩く音と女性の悲鳴を聞いて、思わず和穗を追い抜く。
先生もすぐに俺の後をついてきて、廊下はきゅうきゅうと音をたてる暇もなくした。
「また殺したのか! 何人目だと思っているのだ、このっ──!」
「おやめください! 大旦那様っ!」
「大旦那様っ!!」
バチンッ
もう一度叩く音がしたのと、俺が閉ざされていた戸を開いたのは、ほぼ同時だった。
奥の間の、重症・重傷者が収容される治療室。
そこで、怪我をした刀持ちたちががっしりとした体躯の男に飛びついて、振り上げられた手を止めようとしていた。
それを見て、頭に一気に血が昇る。
だが喉が詰まって、言葉がでてこなくて、何も言うことができない。
「直紹っ!!」
男の足元には、看護師だろう女性たちに支えられ、庇われた神風さんが居た。
襷で着物をまとめた姿の神風さんは、先生の声を聞いてのろのろと顔を上げる。
その顔には殴打痕があって、鼻と口元から血が流れ出していた。
さっきの音は、この人に向けられたものだったのだと、怒りで眼の前が真っ赤に染まる。
神風さんは、何も言わない。
ただ、ポタポタと垂れる血を目で追うに視線をゆっくりと畳に向けるだけ。
その黒い目には、何の感情も宿っていない。
大柄な男を止めようとしている者たちも、怪我人だ。
足にしがみついて止めようとする者。
後ろから腹をおさえて進めないようにする者。
振り上げられた腕をおさえて、もう殴れないようにしようとする者。
皆、どこかしらに包帯が巻かれ、顔や腕には火傷の痕がある。
大柄な男のように、一体幾らするのかもわからない豪華な仕立ての背広を着ている者なんか、誰も居ない。
「何を……しているっ!」
「なんだ、貴様らは!」
俺の怒号と、男の叫びはほぼ同時だ。
刀持ちたちは俺を見て安堵の表情になり、先生はすぐさま神風さんの近くに寄り、女性たちと男の間に立つ。
その姿に、ようやく大柄な男が少し怯んだ。
「お前……神風の先代の兄、だったっけ? まだ見窄らしく直紹にしがみついてたの」
「な、なんだと……っ! 私は、」
「刀主になる器でもない奴が、反抗出来ない子を捕まえて恥ずかしくねぇのかって聞いてんだ」
先生が片手を上げると、男にしがみついていた刀持ちたちが男から離れて静かに下がる。
だがその視線はまだギラギラと男を睨みつけていて、俺も無言で、刀を抜いた。
この男を「大旦那様」と呼んでいる声は、聞こえていた。
先代の兄、ということは、神風さんの父親の兄──伯父、といったところだろう。
燈老議会に入ることも出来ない、刀持ちですらないのに血筋の近さと年齢だけは持っている男。
この男の言葉は、今、絶対に言ってはいけない言葉だった。
今じゃなくても、許されてはいけない言葉。
俺が刀を抜いて部屋に上がるだけで、情けなく「ひぃ」と声をあげて下がるその姿は情けない。
あえて刀に刻まれた明神の家紋が見えるようにしてやれば、男は顔色を失って腰を抜かした。
しかしそんな俺の背を、トンと和穗が叩く。
「お兄ちゃん、やめなよ」
「和穗、お前は──」
「そんなオッサン、今相手する時間も無駄じゃん。放っとこうよ」
外に。
和穗がニヤリと笑みを浮かべながら、戸をさらに広く開きながら親指で中庭を示す。
彼女の指の先を見ると、叫び声を聞いて集まってきたのか、主の危急に気付いたのか。
室内に居る怪我人たちよりもギラギラした眼の刀持ちたちが、抜き身の刀を持ったままこちらを見ている。
自分たちの主も、従うべき相手もお前ではない。
言葉なきその眼の力を感じてか、先生が「ははっ」と心底楽しそうに笑ってから、逃げようとした男を中庭に蹴り飛ばす。
しかし蹴飛ばされるその姿を見ても、刀を持った兵たちに囲まれる伯父を見ても、神風さんの表情はピクリとも動かなかった。
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