第六話 ひりつく風、集う四家
「ハル。いい加減ソイツをちゃんと躾けろ。はしたない」
「残念だけど、もう諦めてんだよなぁ」
「ちょっと、酷くない!?」
ハル。
帳先生に負けず劣らず、若い小麦のような髪色に土のような肌をしている、この帝都では異質の風貌の男。
彼は和穗の灯守であり、異国人との混血であるらしい。
喋る言葉は完全に日本人のそれであるのに、ハルもまた外見だけで損をしている者だ。
──だけでなく、俺は未だにアイツの本名をきちんと発音できない。
まるで口の中に石ころを転がすみたいな音のせいで、舌が上手く動かせないのだ。
ハルも「ハルでいい」と言うからそのままにしているが、そろそろ本名の方を忘れてしまいそうで。
ハルとは俺が明神家に連れてこられて以来の付き合いで、それももう10年になる。
それだけの年月を一緒に過ごしているというのに、正しく名前を発音できないというのも、恥だろう。
「ハル……ふあ、はるは……うーん」
「どしたのお兄ちゃん」
「いや、やはり発音が難しい名だと改めて思って」
「今更じゃん?」
「なんかねー、ソウくん今日そういう日みたいよ」
廊下の影に入りながら、ちょっと意地悪げに先生が言う。
「そういう日」……確かにそうかもしれない。
なんとなく、本当になんとなくだが、胸がザワザワとしてつい、過去のことを考えてしまう。
自分がここに来た日のことや、先生との出会い、ハルの名前。
そんな些細とも言えることが、どうして今更気になるのだろう。
庭から廊下の影に入ると途端に冷えたように感じて、そっと袖の中に腕を入れる。
ハルは元々寒さに弱いのか、襟巻きをきっちり巻いて俺たちよりも少しばかり厚着をしていた。
そうしていると御神苗の灯守の刻印が見えなくて、ただの青年のようだ。
先生の後ろをついていきながら、口を動かして、思案する。
そんな俺を見て、ハルたちは「また悩んでる」と笑いながら稽古場に足を向けた。
灯守は本来刀を覚えなくてもいいのだが、ハルは灯守になる前に刀持ち志望だったので刀を使える。
先生が俺たちに刀を教えることになった切っ掛けは思い出せないけれど、先生もかなり実力者だ。
だからこそ彼らは「異質な灯守」と呼ばれてしまうわけだが、弱いよりかはいい、はずだ。
「宗一郎様、御神苗様、こちらにいらっしゃいましたか」
「どうした?」
「ご当主様がお呼びです。なんでも、緊急に刀主会を召集したとか……」
「今ぁ?」
稽古場の錠前を開けようと袖に手を入れた所で、白い息を吐きながら慌てて近付いてきた家人が頭を下げてくる。
俺は彼の言った「刀主会」という言葉に、思わず帳先生を見ていた。
先生も一瞬その白い目を丸くして、すぐになんとも言えない表情になる。
刀主会とは、この帝都に散っている火族四家の刀主を集めて行う会議のようなものだ。
大体にして、新たな灯守の選出や次期刀主の決定通達なんかの重大事にのみ行われるもの。
俺が参加したのは、自分のこと以外では和穗の次期当主確定通達と、ハルが灯守に選ばれた時だけ。
──いや、その後にもう一回あったか。
ハッと思い出して、どうにも嫌な心地になる。
死んだ灯守を入れ替えることになった何とも沈痛な刀主会を、思い出したからだ。
あんな空気は二度と味わいたくないし、もしそれが先生やハルの関係だったらと思うと胃が痛くなりそうな程には、重苦しい刀主会だった。
今回はそんな関係ではなければいいが。
なんとなく気が重くなる。
「ここにいたのか、明神の。ご当主様がお呼びだぞ」
「神風さん、もう来てたんですか」
「次期当主として、刀主会の場に遅れることは恥と知りなさい」
戸惑いながら現当主の間へ急ぐ俺たちの前に、不意にスルリと、狐目の男が現れた。
神風直紹。四家の長的存在である神風家の刀主で、何かと俺達に苦言を漏らす年上の男。
年齢は確か俺とハルよりいくつか上で、それでもかなり若い方の当主だ。
俺たちはどうにも彼が苦手で、思わず「うわ」という顔になってしまう。
伏せられているのか細められているのかもわかりにくい狐目は鋭く、何かあると俺たちを叱りつけてくる。
言っていることは大体正論だから俺たちも黙るしかないのだが、正直鬱陶しいと思う時もある。
なんというか、母親に叱られている時のような感覚、とでも言うべきだろうか。
そもそも神風家は、今残っている火族四家の中では一番の古株。
そこで刀主であり当主に選ばれた神風さんと俺は、出自から何からまるで真逆だ。
どうしたって苦手意識が出てしまって、無意識に先生を背後に隠してしまう。
しかし彼の背後に、神風さんより頭2つ分は小さな背丈の少女が困った顔で立っていることに気付いて、思わず和穗と視線を合わせた。
彼女こそが、つい先日入れ替えられたばかりの一番幼く新しい灯守だ。
この小言だらけの刀主では彼女も大変だろうな……
チラリと小さな灯守を見れば、灯守の証である身の丈に合わない大きな角灯を腰に下げた少女は慌てて俺達に頭を下げた。
名前は確か、日向子と言っただろうか。
つい最近の刀主会で紹介された時には、まだ15だか16だかだと聞いた。
彼女が突如神風さんの灯守に抜擢されたのは──神風さんの灯守が死んだからだ。
元々はかなり大柄の、灯守とは思えない筋肉質な男だったのを覚えている。
神風さんが幼い頃に決まった灯守で、貧血体質の神風さんを甲斐甲斐しく守る、まるで家族のように育った男だったとか。
その灯守が不意に死んだことで、神風家は彼の代わりとしてこの小鳥のような少女をあてがった。
本来、番を結ぶ相手は互いに選び合うものだ。
しかし神風さんは二人目の灯守を自ら選ぶ権利すら与えられず、先代当主の選んだ日向子と番になった。
俺は、あの時の神風さんの憔悴ぶりを知っているから、少しばかり彼に苛ついたとしても口を引き結んでしまう。
家族同然だった灯守を喪うということはこういうことなのだ、と、想像するだけで恐ろしかったからだ。
苦手意識はあっても──嫌いにはなれない。
俺だってきっと、帳先生やハルを喪えばあんな風になってしまうだろう。
「日向子」
「は、はい! 申し訳ありません! 神風の灯守、日向子と申します! 未熟者ですが神風の領域を守るために尽力して参りますので、何卒よろしくお願いいたします!!」
「あぁ、はい……」
俺の背後で、和穗が平和に「可愛い~」なんて言っているが、日向子の顔は真っ白だ。
明らかに緊張が頂点に達していて、その原因は多分俺と和穗だろう。
今まで神風家の中で修行をしていた秘蔵っ子が、灯守になって初めての刀主会に挑むのだ。
そりゃあ、緊張もするだろう。
「あらあら、直紹。女の子を虐めちゃ駄目よ」
「……深神さん。遅かったですね」
「折角刀主が揃っているのになんで部屋に入らないのかしら? 寒いでしょう?」
そんなピリピリした空間にキシキシと廊下をきしませてやってきたのは、着物に収まりきらぬ胸を揺らす美しい女性だった。
正直、会うたびに目の毒だと思う……
深神家の刀主・深神霧子さんは、馬乗り袴を凛と着こなして──けれど、胸にはサラシなんかも巻かずに襟巻きすらも使わない。
彼女の灯守である沙弥さんは、毎度その着こなしに眼鏡を押し上げながら苦言を呈しては、いる。
が、彼女は自分の主義を変えるつもりはないらしい。
沙弥さんがきっちりと巫女服を着ているからこそ、その対比は際立っていた。
本人は「30年続けた着こなしを変えるなんてできないわよぉ」なんて言っていたが、「8つの頃からそんな衣装を……?」と思わず口を挟んだ神風さんが腕一本でぶらぶらと持ち上げられていたから、俺も何も言わない。
口は災いの元だ。
色んな意味で。
「明神を待っていたのです。ご当主様の部屋に入るのに、次代より先に入るわけには参りません」
「直紹ったら、相変わらず真面目ね~」
「霧子様」
「やぁね沙弥。わかってるわよぉ」
「お、お兄ちゃーん……」
「はぁ……ご当主様。宗一郎、参りました」
保守的な神風さんと、ゆるゆるな深神さん。
2人がいつも通りにキリキリし始めた所で、俺が前に出て当主部屋の襖を叩く。
「入れ」という声は、少しだけ笑っているような気がした。




