第五十九話 帰還、奪還
自分で放った炎を見つめながら、なんとも不思議な光景だ、と思ってしまう。
炎は的確に、戦場を蹂躙していた。
ただしそれは深神の刀持ちに限った話で、神風の家紋を背に戦う者たちには食らいつかない。
刀持ちたちのほうが驚いているその現象は、俺だって想定していなかったものだ。
だが、出来る、と、思った。
敵と味方を判別するこの眼が、攻撃する相手を選ぶだろうと。
誰に言われても、教わってもいないのに、そう確信したのだ。
普段は味方は下がらせておかないと全て巻き込んでしまう広範囲術式でも、関係ない。
今なら、出来る。
俺なら──
こめかみがズクンズクンと心臓と同じ拍子を打ち、痛みではない疼きが脳を冷やそうとする冷気を熱している。
壁に着地し、すぐにまた刀を構える。
炎舞の連打。
とにかく一度に出来るだけ多くの刀持ちを焼き切って、一人でも多く神風の兵を護るんだ。
右目の奥から吹き出そうな熱を術式の代償として差し出しながら、壁の上の瓦を足裏で削って火花を散らす。
瓦同士がぶつかりあう音はすぐに火花となり、暗かった戦場を明滅させる。
神風の兵はすぐに後方に下がり、呆然とした深神の兵ばかりがその場に残された。
ほんの少し前までは、味方だと思っていた者たち。
だが今、敵対するというのなら……
「炎舞!!」
瓦を踏み割りながら、大きく刀を振り払う。
刀にまとわりつき燃え上がった炎が渦を作り、空高く巻き上がる。
逃げようとした深神の刀持ちたちは悲鳴を上げながら逃げ惑い、しかし一部は炎に巻かれ、一部は瞬間的に炭化して倒れた。
後方でこの状況を見ていた刀持ちたちも、みな這々の体で逃げ出し始める。
この門前に来ていない連中も、きっと今の炎の竜巻を見れば逃げ始めるだろう。
そもそも、神風は守りが堅い。
怪我人を運び込むという関係から、神風は特別な結界を敷いていると過去に聞いた。
それに──
「お兄ちゃんっ!」
コイツも、居た。
どうやら随分な前線に居たらしく、炎の散った後を駆け戻ってくる少女の姿に、俺はほぅ、と息を吐いた。
白くふわりと留まる俺の息と違って、和穗の吐き出す息はまるで蒸気機関車だ。
頬を真っ赤にして、まだあちこちに炎が散っているというのに目をキラキラさせながら、走ってくる。
小さく拍子を刻みながら駆け寄ってくる和穗を迎えようと壁を降りると、片腕を布で吊ったままの和穗は体当たりをするように飛びついてきた。
その身体はつい今さっきまで戦っていた事を示すように熱を帯びていて、どこか汗の匂いがする。
生きている匂いだ。
俺は、片手に巻き付けた刀の先を地面に下げながら、和穗の背をぎゅうと抱き締めた。
「怪我人が戦場に出るな、アホ」
「片腕でも、そこらの刀持ちには負けないって!」
「ハルの心臓が飛び出て止まるぞ」
和穗の腕はまだ、きちんとついている。
俺が斬り飛ばした腕は、布で吊られているとはいえ指先もピクピク動いていた。
その事に、酷く安堵する。
衝撃続きだった心臓が、ようやっと落ち着きを取り戻していく、ような。
「明神様、お戻りでしたか。直紹様は……」
「直紹さんも屋敷に戻ってる。でも、今は戦場には出せない。とりあえず、怪我人以外で班を作って生存者の捜索と、深神が入り込んでいないかの確認だ。安全の確保を最優先。怪我人は、些細な傷でも屋敷に戻せ」
「はっ!」
顔を黒く汚した何人かの刀持ちたちが、不安げな表情で俺達の周囲に集まってきた。
しかし、「直紹さんは屋敷に居る」という言葉を聞くと一気に顔色を取り戻して、指示通りに数人で集まり始める。
決して多くはない人数だ。
怪我人を除けと言ったからか、それとも──考えるのも、憂鬱になった。
「神風さん、怪我したの?」
「少しだけ。だがそれ以上に、消耗してる。お前とハルが無事だと分かったら少し安心するだろうから、一緒に戻るぞ」
ハルはどうした、と和穗を見おろすと、和穗はじっと俺を見つめていた。
乱れた髪に、己の術式でか黒い煤のついた頬。
所々破れた着物には血が滲んでいるが、大きな傷は無さそうな姿に安心した。
だが、和穗は真剣な表情をしながら自由に動く方の腕で、俺の頬をぺちりと叩いた。
思わずきょとりと目を瞬かせると、和穗の眉間にぎゅうとシワが寄る。
怒っている、ような。
今にも泣き出しそうなのを我慢しているような、子供の頃と同じ我慢の顔だ。
「お兄ちゃんは?」
「は?」
「お兄ちゃんは?」
数回瞬きながら、和穗を見る。
お兄ちゃんは、とは、どういう意味なのか。
そう考えたのは一瞬で、すぐに凍っていた脳みそが溶け出すようにして身体の力が抜けた。
和穗は、わざわざ「大丈夫?」なんて聞かない。
もう何度も……今までずっと聞いてきた言葉だから、今更、そんな言葉は。
「……疲れたよ」
「ん。じゃあ、一緒に戻ろ。みんなの無事を、確認しなきゃ」
「ハルはどうした?」
「ハルは別の門に行ってもらったよ。だからそっちは、破られてないと思う」
「アイツの障壁術は絶対破れないもんな」
「お兄ちゃんとは盾と矛、って感じだよね」
大丈夫、なんて言わない。
言えない。
俺だって、少しも大丈夫じゃない。
神風さんも、先生も──日向子も、誰も、大丈夫なんかじゃない。
だから、嘘は言わなかった。
きっと和穗に嘘をついても、すぐにバレてしまうだろうから。
そう自覚をした途端に、頭がズキズキと痛み始める。
術の反動の寒さが今更追いついてきたように、指先まで凍りつきそうだった。
はぁ、と息を吐き出すと喉が痛んで、喉の渇きと冷たさに鼻の奥が痛む。
和穗を冷やしてしまわないだろうかと不安に思いながらも、彼女に頼って身体を寄せた。
寒いし、痛いし、辛い。
それらをひとつひとつ自覚するたびに、先生に会いたい、と、思ってしまう。
先生の無事を確認して、先生に──己の番に、安心したい。
寒さと熱さが同時に襲ってきたせいか眼の前がじんわりと潤んで、酷く情けない顔になるのがわかる。
それでも和穗は何も言わず、俺の手を引いて屋敷に向けて歩き出した。
何があったのかとか、そういうことを聞かない性格は相変わらず好ましいと、思う。
バサッと、何かが足元に落ちたのはその時だった。
ハッとして足を止め、それに気付いた和穗もこちらを振り向く。
日向子が最期に、俺に託した本だ。
懐に押し込んだままだったそれを、慌てて拾い上げる。
彼女が最期まで守っていた本の表紙には血のついた手で触れたような指紋が残っているし、そもそもがどこか黒ずんでいた。
ようやっとまともに見た本の姿に、うっかり燃やしたりしなくてよかったと安堵する。
「お兄ちゃん……それ」
しかし何となしに裏表紙を見れば、そこには「神風真江」という文字が端っこの方にひっそりと、綺麗な字で記されていて。
俺は、ごくりと冷たい生唾を飲み込んだ。
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