第五十八話 遠呂智の眼
転移術での移動は、瞬きのようなものだった。
一瞬視界が真っ白になり、気付けば違う風景が周囲に広がっている。
こんなにもあっさりと移動してしまうなんて、とわずかに恐怖すら感じてしまった。
ここは多分──修練場、だろう。
明神の修練場とほとんど変わらない滑らかな木の床に、束ねて置かれている木刀や修練用に刃を潰した鉄の刀。
壁にかけられている神風の家紋だけが、明神の修練場ではないのだという現実を、知らしめていた。
明神の屋敷を出てから、ほんの数日。
それなのに酷く、懐かしく感じる。
先生がここを選んだのは、安全だからという判断だろうか。
だとしたら、転移術というのは本当に天上の──人知を超えた術式だ。
だが勿論、代償がないわけじゃない。
転移したと理解してすぐ、足元がグラついた先生を葵が支えた。
俺も立ち上がりかけたが、神風さんはまだ動かないままだ。
身体も冷たく、一人では立ち上がれそうにない。
──当たり前だ。彼が番を失うのは、これで二度目。
その苦しみと喪失感は、想像も出来ない。
「あーったまいった……! もうデカいのは流石に無理……っ!」
「先生、大丈夫ですかっ」
「僕はまだ平気~。だけど、直紹は? 大丈夫?」
振り返った先生の所に、俺にまとわりついていた火種が飛んでいく。
飼い主の間を行ったり来たりする犬のようだなと思いながら神風さんを見ると、神風さんは少し間を置いてから小さく「はい」とだけ言った。
葵が心配そうに近寄ってきて様子を見るが、それにも大した反応は見せない。
まるで本当に、魂の一部を抜かれてしまったかのようだ。
しかし神風さん一人にかまけている余裕もなさそうな音に、思わず舌打ちが出る。
いつもであれば先生に「お行儀悪いよ~」なんて注意されてしまうその動作にも、先生は何も言わなかった。
何しろ外からは、鉄をぶつけ合う音や悲鳴、怒声なんかが聞こえてきている。
ここからは遠いが、まだこの屋敷の周囲で戦闘が続いている音だ。
「葵はどこまで状況を把握してる?」
「この屋敷に深神の兵が襲撃してくるまで。先陣に深神霧子が居て、俺はそれを確認した後に裏から逃されて……」
「霧子はなんと?」
「今頃明神と御神苗は焼け落ちているだろうけど、ここはいつまでもつか、と。笑っていた。それで、俺は明神と御神苗の屋敷を確認してから、教わった位置へ行ったんだ」
「はっらたつ~」
心底嫌そうな表情をする先生に頷いて、俺は神風さんを葵に任せた。
羽織は、そのまま預ける。
どうせ寒くなるし、戦闘をするならひらひらする羽織は邪魔だ。
日向子の角灯も、神風さんの手に預けた。
自分からは動かない神風さんの手が角灯に触れると、すぐに中の火種が手に寄るのに苦笑してしまう。
火種が主になつくのは、どうやらどこの家でも同じなようだ。
まるで、意思があるみたいに。
「ソウちゃーん。僕もう疲れたから、ソウちゃんに任せるからねぇ?」
「わかりました」
「葵は、直紹をお願いね。あたたかい所で、落ち着かせてあげて」
「わかった」
内側の鍵を乱暴に解除して修練場の戸を開くと、その周囲には刀持ちではない家人たちが集まって震えていた。
俺たちの突然の登場にぎょっとした顔をした家人たちの顔は寒さで赤くなっていて、不安気で。
どうやら本当にここは安全な場所だったのだとわかったが、先生とほぼ同時にはぁー、と深い溜め息が漏れた。
修練場の鍵を持っているのは、当主と灯守と、それに準ずる者のみだ。
だから、安全と分かっていても中には入れなかったんだろう。
「中に入っていなさい。ご当主も中に居る」
「え、あっ、葵くんっ」
「直紹様っ!」
困惑顔の家人たちに修練場の中を示してやると、主を見つけた家人たちはバタバタと入っていく。
いつ屋敷の中まで襲撃されるかもわからない状況で、どれだけ不安だっただろうか。
彼らの存在が、神風さんの支えになってくれるといい。
そう思いながら、今日何度目になるのか、布で刀を手に巻き付ける。
今日は厄日だ。
きっと、俺たち全員にとっての。
《此処に在りしは、焔の御子──》
チリン、チリン。
ドン、と床を踏みしめるのと鈴の音が呼応して響く。
いつもなら静かに長く聞こえる鈴の音が、今日は早く、苛立つように弾んでいた。
《灯籠の火よっ! 夜を裂き、住処を照らし、我が灯を以て穢れを断てっ!》
ドンッ
先生が激しく床を踏みしめ、同時に俺も高く、速く、跳ぶ。
向かう先は、赤く染まった空の下。
刀持ちたちの戦う音のする、戦場の空に向けて。
「明神流華炎術──」
跳ぶと同時に踏みしめた足から火花が散り、先生の祝詞に合わせて渦巻き始める。
俺と先生の悲しみと、悔しさと──何より怒りを全て吸い込んだような真っ赤な輝きが、昏く冷たい空を照らした。
お兄ちゃん、とどこかで声がする。
あぁ、お前もどこかで戦っているのか。
右目がジリジリと熱を持ち、まるで己の敵と味方を判別するかのように、視界の色が変わった。
あの大蛇の弱点を視た時のような、微妙な頭の中の違和感。
だがその違和感は、入り乱れた神風と深神の兵を的確に見抜き、選ばせていた。
ジリリと、足裏に溜まった炎の熱で宙を蹴って、刀を振りかぶる。
これがオロチの目玉だとか、そんなことはもうどうでもいい。
今使えるものは使う。
今この瞬間に必要ならば、放つだけだ。
もう何も喪わない。
失わせはしない。
そのためなら、この一撃に腹の内でとぐろを巻いている熱を全て放出しても構わなかった。
「炎舞っ!!!」
刀を振り抜くと同時に、身体の内側と周囲の熱が同時に噴き上がる。
切っ先にまとわりついた熱は、俺の身体を凍らせながらも激しい熱波となって地上にいた深神の刀持ちたちを襲った。
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