第五十五話 幻惑、戦慄
激しい揺さぶりに、あちこちをぶつけても先生の頭を守る。
これは一体何が起きているのだか、探りたくても声を出せば舌を噛みそうで呻くしかなかった。
これが地震であったなら、1分も待てばそのうちおさまる。
でもこれはそういうのじゃない。
ガンッと激しい音がして身体が床から離れ、再び叩き付けられる。
ぶつけた左肩が痛んだが、それよりも頭がぐらぐらして吐き気がした。
あまりにも激しい揺れだから酔ってしまったんだろうか。
腹の上に居る先生の重みにも胃がぐるっとなって、思わずウッと背中を丸める。
「ぅ、あ……」
「せんせ……!」
不意に、先生が俺の腕をグッと掴む。
どこかぶつけたかと先生を見れば、見開かれた目が、眼球が、ウロウロとブレて顔が真っ青になっていた。
今にも吐きそうなその身体を抱え込んで、一際激しく打ち上げられた身体を棚を掴んで支える。
宙に放られた身体が棚にぶつかり、中に納まっていた本がバサバサと床に転がった。
だが、気付く。
床に落ちた本は、動かない。
よく見れば周囲の棚も、保管されている品々もピクリともしていないじゃないか。
ハッと息を呑んで、床を転がってピタリと身体を棚に添わせる。
確かに床から動かないものがそこにあるからか、途端に身体の揺れはおさまり、目眩だけが頭に残った。
「流石ですね。戦い慣れている」
「──アンタは……」
「そのまま惑わされていれば、楽に死ねたのに」
転がったまま先生を支えていると、聞こえた声に反射的に脇差しを抜き放って頭を守る。
ギャリリッ
甲高く鳴り、鼻をつく鉄の匂いがしたのは、一瞬の後だ。
その間は、瞬きひとつほどの時間があったかどうか。
殺意しかない一撃をなんとか払えたのは、奇跡だ。
身体を支える棚が背後にあったから倒れずに済んだという、それだけかもしれない。
しかし一撃を捌かれたと気付くやすぐに身を翻し放たれた二撃目に、ついに脇差しが痺れた手から弾かれて転がる。
しまった。
悔いは、太刀を放つ余裕を無くさせ、腕の中にある身体が動く判断を鈍らせる。
まずい、と、思う暇も、あったかどうか。
だが、三度振るわれた刃は俺に振り下ろされる前に白い刃が弾き、一瞬前に居た空間に三本の矢が突き立つ。
それらも回避した赤い影は、数歩の隙間をあけて、今まで俺を狙っていた薙刀を構え直した。
「神風さんっ」
「まさかここで、仕掛けてくるとは……」
さっきの一撃を弾いたのは、先生の刀だった。
俺の腹の上に乗るようにして動かずに居たのに、どうやって刀を抜いたのか。
過去の幻影でも見た白い刀が、フラフラとしながらも俺を守るように床に突き立てられていた。
矢は、神風さんだ。
弓を構えながらも神風さんはすぐに膝をつき、駆けつけた日向子が俺の前に立って構える。
俺も先生を支えながら立ち上がって、太刀を抜いた。
目眩はまだあるが、頭を数回振ればいくらか楽になる。
──そんなことよりも、今目の前で武器を構えている存在の方が、大問題だった。
「今のは……深神の幻惑の術だね……脳に直接ぶつけやがって……吐きそう」
「深神、ってことはアンタの仕業か……沙弥さん」
刀を構えながらも目を擦って、日向子に並ぶ。
そんな俺達を見て笑ったのは──霧子の灯守である、沙弥さんだった。
眼鏡の奥で細められた目には、ふざけている気配はない。
それは、さっき俺の頭を狙ってきた一撃を思えば間違いないことだが。
四家には、それぞれ得意とする術式がある。
といっても、明神の血脈ではない俺にとっては遠い世界の話だったので意識したことはなかった。
神風家の治癒以外の術式を間近でじっくり見ることも、自分の身で受けるなんてことも、あるとは思っていなかった。
だからまさか、さっきの地震もどきが脳にぶつけられた幻覚のようなものだったなんて。
えげつねぇ。視界のない先生が立ち上がれなくなっても、無理はない。
もしここが倉庫でなかったら──脳のない物体が他に存在していなかったら、惑わされたまま殺されていた、かもしれない。
初めて、四家の術の強さを実感する。
「皆さんがのんびりしていたから、大きな術式の準備も容易だったんですよ」
「……どうやって、ここに入った」
「さぁ? わたしは、霧子様の命に従うだけですから」
沙弥さんの──沙弥の笑みがこんなに気持ち悪いと思うのも、初めてだ。
いつもは優しく、俺達を見守ってくれていた先輩だったのに。
あんなにも頼もしい、背中だったのに。
「さぁ、皆様……死にたくなければ、直紹様を差し出して下さい」
「私……?」
「な、何を言ってるんですっ! 正気に戻って下さい、沙弥さん!」
「わたしは至極、冷静です」
沙弥の髪が、翻った。
そう認識した瞬間に、日向子の身体が吹っ飛ぶ。
ゴッ、という音は後からついてきて、俺は日向子を視線で追うことも出来なかった。
ニヤリと、沙弥が笑う。
彼女の身の丈以上の長さの薙刀がこんなにも早く動くなんて、俺は──横一文字に肩を斬られて初めて、知った。
背後に散る血が、胸元の着物が切り裂かれてぶわりと総毛立った冷たい痛みが、斬られたことを気付かせる。
肩ですんだのは、咄嗟に身体を退けたからだ。
日向子が跳んだと、理解した瞬間。
その瞬間に動いていなかったなら──俺は、首を飛ばされていた。
だが、回避出来たと思う暇もなく、首にひたりと刃が当てられる。
僅かに食い込んだ切っ先に、少しでも動けばこのまま殺されると、本能が警鐘を鳴らす。
先生がこちらに向けようとしていた刀を下げたのが、視界の端でわかった。
「霧子様がご所望です。さぁ、来なさい」
カタリと、神風さんの弓が床に落ちた。
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