第五十三話 過去、惨劇
思わず顔を上げた先には、陽の光を照り返す美しい銀の髪の青年が居る。
先生だ。
すぐに分かるけれど、青年の目の色が明るい空のような色をしているのを見て、「今の」先生ではないことも、理解する。
時折、先生の目にチラつく青い色。
それはなにかの術力に関するものではなくって元々の色だったのかと、俺は呆然とその姿を見つめていた。
『当たり前でしょ。いつまでアイツ野放しにしてんだ』
『でも、危ないわ。君が強いのは知ってるけど、封印だけなら危なげなく出来るのだもの』
『そうやって先送りにし続けてるから、帝都がどんどん寒くなるんじゃないの』
先生に意見をしている女性は、その眼差しがどことなく神風さんに似ている。
ということは、彼女が神風真江、だろう。
さっきまで丸めていた背筋を延ばして周囲を見れば、2人が立っている場所は真っ白で、先生の足元は白に埋まっている。
多分、雪だ。
空は真っ青に晴れ渡っているのに、足元は真っ白にけぶっている。
その色合いが先生みたいだなと、思う。
だが眼の前の先生は、今よりも少しだけ色がある。
『不安なら、真江ちゃんと霧子は来なくていいよ。真江ちゃんの子ども、まだ小さいでしょ』
『そんなわけにもいかないわ。貴方、灯守も居ないのに……』
『無理に押し付けられる灯守なんか要らない。俺は一人で出来る』
あぁ、そうか。先生の目が青いのは、灯守を持っていなかったからなのか。
ハッとして、神風真江の顔を見る。
目元にほくろのある美しい和装の女性の目は赤く、彼女にも確かに灯守が居るのを示している。
ということは──彼女の灯守も、深神霧子に殺されたということなのか。
情報としては聞いていたことなのに、いざ殺された本人たちを眼の前にしてしまうと、背筋に冷たいものが走る。
深神霧子は何故……どうして……
『せめて目の持ち主をもう少し探しましょう? ね?』
『所持者が術持ちとは限らないでしょ。今からオロチと戦えるよう育てるまでに、オロチに殺される以上の人が死ぬよ』
『でも』
『だから、俺だけで行く。そもそも俺は、オロチと戦わせるために目の持ち主を探すのは反対してたじゃん』
『それは……知っているわ』
『いいじゃん。その目の持ち主がちょっといい果物とか、森の中の小鳥を探すためだけに目を使っていても。目を持っているってだけで戦わされるより、ずっといいよ』
雪を巻き上げて、強い風が先生を包む。
しかし先生は笑ってて、真江さんは困ったように笑っていた。
彼女ももう、覚悟を決めたような、そんな顔だ。
もしかしたらこの人も、先生と同じような考え方なのかもしれない。
神守、神風、深神──最初に八岐之大蛇を封印した一族の人間だからこその、判断。
チリチリと、先生たちの姿が焦げ付くように黒くなっていく。
足元を埋めていた雪も炎に焦がされ、煤になって溶けていった。
場面が変わる。
まるで紙芝居のそれのように切り替わっていく風景を、俺は首をぐるりと回して見守った。
だが──次に見えた光景に、思わず呻きが漏た。
今までじっと見つめていた真っ白い青年が、満身創痍の身体で、それでも背後の二人を守るように刀を構えている。
彼の背後で倒れている二人の女性は、動かない。
割れた角灯の周囲でチラチラと必死に残っている火種が、真江さんじゃない方の女性が灯守なのだと示している、だけだ。
『困ったわぁ。やっぱり、神守って頑丈なのねぇ』
背後から聞こえてきた、聞き慣れているけれど少しばかり若い声。
深神霧子。
ゆっくりと振り返る俺の速度に合わせるようにゆっくりと、まだ若い彼女が通り抜けていく。
俺の身体に溶けるように重なって、ぬるりと通り過ぎる。
現実じゃない。
わかっているのに、酷く嫌な心地だった。
『やっぱり嫌ね……腹が立つわ。アンタたちが居るだけで、私はいつも三番手なのよ』
『霧子……何を、』
『目の持ち主を何人殺しても変わらない。神風と神守が残ってるだけで、深神はいつまでもオマケ扱いなの』
『何を、言って……?』
『強さも、術力も──美しさも。いつまでも本当に、邪魔ばっかり。だから、今度は私が言うの。オロチは私が殺しました、神風も神守も、尊い犠牲でした、って』
深神霧子の背後から、女性が彼女を制止しようと腕を伸ばす。
しかし霧子は、美しい曲線を帯びた長柄の刀を一振して女性の腕を切り飛ばし、その胸に切っ先を埋めた。
女性が倒れて、彼女の腰に下げられていた角灯が割れる。
そこから、ボゥと激しく炎が周囲を焼き始めた。
自分の灯守まで、手にかけたのか。
呆然と、赤く染まり始める眼の前の光景を見つめる。
霧子の灯守から溢れた炎は地面を走り、先生と霧子の前で壁を作った。
彼女の最期の抵抗、ということだろうか。
しかし霧子は高らかに笑いながらもう一突き、女性の身体を突き刺して炎を散らす。
『大丈夫よ。残った明神も、御神苗も、私が世話をしてあげる』
その声に滲む響きは、最早尊敬していた霧子さんのものではない。
支配的で、独善的で、我儘な、狂気に満ちた女の笑い声でしかなかった。
『……くっだんね』
その笑い声を、この場で唯一霧子以外に立っている存在が切り捨てる。
吐き出された唾は真っ赤で、少し呼吸をするたびに彼の口からは血が溢れ出す。
あぁ、と、思った。
これ以上喋らないでくれと、過去のことなのに酷い頭痛がして、吐き気までしてきた。
喋らないで、逃げて、せめて貴方だけでも。
そう願わずにはいられない。
彼の足元の赤は、どんどんと広がっているのだ。
『最近、他の家からの当たりが強くなってたのって、もしかしてお前のせい?』
『あぁ……ふふっ。男って簡単よね、少し甘い声を出せば、あっさり術に転がってくれるの』
『ハッ! つまり術使わないと男一人転がせないんじゃん』
嘲る先生の声に、霧子が黙り込む。
一体どういう作用なのか、今はすでに背中しか見えない霧子の顔が、怒りで赤くなっていくのがハッキリわかった。
灯守を殺したせいで赤かった瞳は徐々に黒くもどっているのに、顔は真っ赤に塗られた口紅と同じような色になりつつあるのだ。
反対に、先生の周囲は白くなっていく。
青かった瞳も、真っ赤な血液も、どんどんと白く凍っていって、吐き出される吐息も、白い。
霧子もそれに気付いたのか長柄の刀を構え直して、先生に対峙した。
轟々と渦巻く炎の中で、先生の周囲だけがどんどんと白くなっていく。
『アンタ、何をしてるの』
『知らないのか? 八岐之大蛇は、山の神であり、水の神でもある』
『はぁ? だからなに?』
『つまり本質は……溶岩だ。噴火して流れ落ちる溶岩流を、八つの頭の蛇に見立てている』
『だから! なんなのよっ!』
『お前がオロチを殺したくても、一度鎮めてしまえばまたしばらくは寝るだけだってことだよ』
火山と同じだからな。
今度は先生が霧子の笑い声を塗り替えるように笑い、銀の刀を横に薙いだ。
チリ──…ン
場違いな程に静かな鈴の音が刀と共に広がり、先生の足元の白が共鳴するように明滅する。
封印しようとしてるのか?
たった一人で?
帝都の熱を喰らい続けているという、神話の産物を?
霧子が僅かに怯んで、しかしすぐに刀を振るいながら先生の所に駆ける。
先生の身体が徐々に凍り始め、足元も、眼の前にあった炎も──その形ごと、氷になり始めていた。
『ああああぁ!! 死ね! 死ねっ!! 嫌いよ! お前なんか!!』
泣き叫ぶ子どものような金切り声をあげながら、霧子が刀を振り下ろす。
しかしその切っ先は先生に届くことはなく、別の刀が受けて、流していた。
神風真江──
片腕を失い、髪も服もズタズタにされた女性が残った腕と肩を犠牲にして、霧子の膂力を受け止めている。
もう、彼女の目にも、赤い色はほとんどない。
彼女の灯守も──彼女自身も、もう……
『帳くんっ!』
『俺の血も、目も、全部くれてやる……! もう一度眠れ、オロチっ!!』
『ふざけるなぁあぁぁ!!!』
神風真江の刀が折れて、霧子の刀が彼女の身体に食い込む。
しかし力尽きたのか、彼女の身体から血飛沫は上がることはなく、己の身体で霧子の刀を受け留めるように、膝が折れた。
その瞬間に、先生が地面に向けて真っ白な刀を、突き刺す。
途端に溢れ出した赤い炎の濁流と、それを包み込む真っ白な氷の嵐。
それが、神風真江と先生の目の色に見えて。
俺は、両手を己の手で覆いながら、その場に崩れ落ちていた。
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