第四十六話 歴史、野望
青空が見える倉の屋根──
帳は、足下から響く戦闘音を聞きながらも、眼の前の女から意識を外すことはなかった。
「良いの? あの大蛇を子どもだけに任せて」
「あの子たちはもう子どもじゃないよ」
知っているくせに。
吐き出された白い溜め息は、長く尾を引いて空中に消えた。
目元まで頭巾を引き下ろして、帳は強い風に外套を煽らせる。
その手には、銀色の刀。
先程宗一郎たちの戦いを見ていた時には持っていなかったソレを、いつでも振るえるようにしっかりと握っている。
それを眺めながら、女は乱れた髪を直して目を細める。
「神風の結界を強化させたのも、君ね?」
「だったら?」
「どんな口であの子たちを言いくるめたのかしら、と思って」
深神霧子は、横に控えている己の灯守である沙弥から薙刀を受け取り、妖艶に笑う。
ただ腕組をして笑みを見せるだけで、この女は人を惑わす艶を出す。
何年歳を重ねても、その美貌に陰りは一切ない。
こちらは若い姿のまま重ねる年輪も失ったというのに、まったく不条理なものだと、帳は口角を上げた。
腰に下げた角灯の中の火種が、角灯から抜け出そうと激しくガラスを打つ。
帳の怒りを代弁するかのような火種の明滅に、霧子は楽しそうに笑った。
20年。
20年だ。
それだけの年数が経過しても、男を惑わす笑みは、変わらない。
「やぁね、貴方に喧嘩売ろうなんて思っていないわよ。最強の刀主様?」
「あの子たちには売る気があった、ってこと?」
「さぁ、どうかしら」
帳の怒りに共鳴して、風が渦巻く。
〝あの時〟も、深い傷を負いながらも何とか五家に戻った時にはすでに、燈老議会も、八岐之大蛇との戦いに参加しなかった御神苗と明神も、この女に掌握されていた。
帳と神風真江を背後から貫き、笑いながら去った女。
何が目的なのやら未だに知らない。
宗一郎の両親に付き添われた帳が何とか一番近くだった明神の屋敷に辿り着いた時にはもう、帳と真江は八岐之大蛇に殺されたことになっていた。
この女ときたら、生還した帳を見て、一瞬だけ忌々しそうな顔をしてから泣きながら飛びついてきたのだ。
『無事で良かった』
その言葉が、あんなにも忌々しいと思ったのは、あの時が最初で最後だろう。
深神の術は、幻惑と認識の阻害だ。
それをあの女は、他の四家の当主たちに使い、帳が居ない間に自分に有利な土壌を作り上げていた。
そのせいで、帳はこれまで深神霧子に何をすることも出来なかった。
己の身に受けた八岐之大蛇の呪いと、深神霧子の策謀の2つが、帳の行く手を阻んだのだ。
「随分と苦しそうね、帳様?」
「誰がそうしたんだろうね」
「ふふふ、そうねぇ。誰だったかしら」
「……お前の狙いはなんだ」
バサバサと、互いの外套が冷たい風になびく。
寒い。が、段々と身体の感覚が失われつつ帳にとっては、ぬるい風が身体を煽る程度のものだ。
霧子は恐らく、何らかの防御術でもって体温を維持しているのだろう。
沙弥も、その表情に寒さは見られない。
──沙弥も、霧子に賛同してしまったのか、洗脳されているのか。
帳は、空に浮かぶ雲のように深く大きく、息を吐いた。
「簡単よぉ。私は、絶対が欲しいの」
「……絶対?」
「神守も、神風も邪魔なの。一番美しいのも、一番強いのも、一番偉いのも、私だけでいいのよ」
「そんなことのために?」
「そんなこと、なんて言うのは、すでに歴史に刻まれている者が言う傲慢よ?」
一歩、霧子が前に出る。
帳は霧子の足が浮く気配を察して、即座に火種を角灯から解放した。
霧子が倉の屋根を強く踏みしめるのと同時に、火種が霧子と帳の間に炎の壁を構築する。
その速度に、霧子が小さく、舌を打った。
「良いことを教えてあげるわ。神守の生き残り」
攻撃を諦めた霧子は、するりと体勢を持ち直してまっすぐに立った。
空は段々と赤みを増し、空気が冷えていく。
今日も、雪が降るだろう。
「八岐之大蛇を殺すのはわたし。それには、他の三家と貴方は邪魔よ」
「……何をする気だ」
「さぁ、何かしらね。ご自慢の封庫で情報を漁ってみたら?」
必要なのは、一人だけ。あとは全員、殺してあげる。
そう言い残して、霧子は沙弥を連れて消えた。
彼女が身にまとっていた薔薇水のわずかな香りだけが一瞬帳の鼻をくすぐって、風に煽られて消えていく。
帳は、刀を持つ手にグッと力を込めながら、地下から響いてくる巨大な何かが倒れ伏す振動と音を、受け止めていた。




