第四十三話 再生、突破口
「なんだ、コイツ……」
「夜住ではないようだが……これを倒さねばならないのだろう」
デカい。
蛇の尾の太さだけでも日向子ほどもありそうな巨体に、刀を握りながらも冷たい息を呑んだ。
空気が冷たいせいで、呼吸をするのにも難儀する。
頬と鼻先が、夜の警邏の時のようにピリピリと痛んだ。
だが、その冷たさが、動揺していた脳を即座に切り替えさせた。
俺が懐から取り出した布で刀と手を括っている間に、神風さんがまた矢をつがえる。
吐き出される息は、真っ白く空間に漂った。
《此処に在りしは、風の御子っ!》
パンっ、と甲高い音をさせて、日向子が柏手を打つ。
神風の祝詞。
拳鍔に炎が宿り、日向子の腰に下がった角灯の火種が強く燃える。
《翔ける灯よ、迷いを祓い、道を示し、我が灯を以て穢れを散らせっ!》
「行くぞ、明神っ」
「あぁっ」
先生は、動かなかった。
この巨大な蛇も、まるで先生のことは居ないもののように一瞥もしない。
『入るのは面倒だけど、君たちなら大丈夫だと思うよ』
先生のその言葉をそのまま受け入れるのであれば、コイツは神守の封庫の守護者のようなものだろう。
コイツを倒さなければ──認められなければ、その先に進むことも許されない。
布をぎゅうと強く締め、留める。
日向子の祝詞は周囲で渦巻いていた白い冷気を巻き込みながら風を生み、俺と神風さんの周囲に壁を作っていた。
大蛇が、雄叫びを上げる。
人間のものと変わらぬ形の喉から吐き出された声は、まるで母を求める赤子の声だ。
あまりにも不格好な肉体と声におぞましさを覚えつつも、六本腕で地面を這い寄って来るその腕を狙って、地面を蹴った。
大蛇が、六本腕のうちの一番手前の右腕をくねらせた。
地面を削り取るように横薙ぎに振るわれた腕は、人間のものよりも長く、柔軟で。
一歩前に出た日向子が、俺を狙ったその腕の一撃を、拳をぶつけて相殺した。
殴り付けた音は、まるで柔らかい肉の塊を打ったように生々しい。
日向子が拳を埋めた腕は、一瞬だけ凹んで、すぐにまた肉が盛り上がった。
ぐじゅぐじゅと、肉と液体を混ぜたような嫌な音。
その音に怯んだ日向子の横を駆け抜けて、俺が狙うのは身体を支えている二本目の腕だ。
刀を持った手首を捻って反対の手で柄頭を押し込み、腕を両断する覚悟で刃を叩きつける。
が、刃は腕の半分も食い込んではくれなかった。
ギャリッとまるで鋼にでも刃を叩き込んだような、妙な堅さ。
鱗だ。
周囲の色に溶け込んで見えていなかった鱗が、皮膚を覆って刃の勢いを弱めたんだ。
舌打ちをして一足跳びに後退すると、入れ替わるように神風さんの矢が俺のつけた傷に突き刺さる。
わずかに盛り上がっていた傷の肉に突き刺さった矢が、ぶしゃりと音を立てて血を吹き出させた。
「流石」
「流石じゃあない。あそこにしか刺さらなかったんだ」
「……鱗ですね」
「それもある。が、見ろ」
日向子と共に神風さんの所まで後退すると、神風さんがさっき日向子の殴った一本目を指さした。
示された先にあったはずの、人間であれば内出血して青紫になっていてもおかしくない、打撲痕。
それが、もうじわじわと人間と変わらぬ皮膚の色に戻り始めていた。
「え、えぇ~っ!」
「再生能力が高いのだろう。殴るにしても連続で叩き込まねば、すぐに回復されてしまう」
「だから斬った所に矢を撃ち込んだんですか……」
厄介だな。
再生するにしても、速度が早い。
日向子の術力を込めた一撃はかなり重かったはずだが、それでもあの程度のダメージしか残せなかったのか。
となるとやはり、連続で攻撃を入れるしかない。
「得意だろう、明神」
「あぁ……はい」
「日向子、お前は私の後に拳を入れろ。中に、押し込むようにだ」
「は、はい! わかりましたっ!」
得意、と言われれば、確かに得意だ。
元は床だったはずの、今では土にしか見えない地面を擦って、構える。
吐き出した息は、空気の冷たさよりもさらに冷えていく。
視線の先に居る先生は、やはり動かない。
だがその目が、目とは違う何かがこちらを見ている──そんな気がして、俺も真っ直ぐに先生を見た。
先生の火種はチラチラと角灯の中で明滅している。
鈴の音がどこからか聞こえた気がして、目の奥が熱を持った。
「明神流華炎術──」
ジリジリと、右目が痛む。
刀を握る手が一瞬で熱を失い、指が麻痺するのがわかった。
灯守の炎がなければ、一瞬で奪われていく体温。
だが、術を放つことに躊躇はなかった。
地面を擦った足裏から、火花が舞う。
薄暗かった地下室にチカチカと明かりが散り、それらはすぐに固まって刀の切っ先に集まっていく。
火花を見てか、大蛇がまた赤子のような泣き声を上げながら、床を転がって一本目の腕をしならせた。
しかしそれは再び、日向子が打ち返す。
骨の入っていないような、肉だけを打つ音を背後に、俺は地面を蹴って炎を散らした。
「爛打っ!」
刀で一撃。
一歩遅れて刀に灯った炎で同じ傷に追撃し、さらに手首を捻ってもう一撃。
一閃の後に残る残像の火柱が、まだ消えないうちに三打目が重なり、肉を焼いた。
傷口が閉じる暇さえ与えない。
灼熱の刃が、肉の記憶を焼き消す速度で踊る。
これは、効いている。
切り開かれた肉を焼く炎に、大蛇が泣き喚いた。
俺の右目も、熱を孕んで疼きだす。
笑ってしまうくらいに、頭が熱かった。




