第四話 灼熱の冷気、発熱と収束
『あ"ぁあ"ぁ"ぁぁあ"ぁ"シネシ"ネ"シネ"シネえ"えぇえ"えぇえ"えあぁあ"あぁぁぁ』
『ジニダクナイジニダグナイイイイイイィィィイイイィ!!!!!!』
『ごめんね……ごめんね……』
距離を詰めあぐねていると、不意に壁から、聞くだけでも心臓が鷲掴みにされそうな声が溢れ出す。
口から吐き出される黒い煤の汚泥は、組織液混じりのものとは違う異臭だ。
腐った泥のような、生ゴミを放置した時のような、どろどろとした匂い。
けれど夜住の呼気は、この寒冷の空気と混じれば、どうしてか白い氷となって地面に降り注ぐ。
刀持ちたちが死ぬのは、主にこの煤と混じった氷の攻撃によるものだ。
夜住たちが共通して持ち得る氷の攻撃は、人間の外側も内側も、一息で凍らせる。
しかし俺の周囲に散りかけた氷は、俺の刀に改めて灯火が宿ると水滴になって消えた。
後方の帳先生が、俺の刀に重ねて灯火を宿したのだ。
普段は俺が制止をかけると不貞腐れたりもするが、今回はおとなしく後ろにいてくれているらしい。
それがわかるだけで──背後から俺を照らす角灯の灯火を実感するだけで、手の平に力がこもる。
遠いのか声は聞こえてこないが、軽やかな鈴の音だけは聞こえてくる。
冷たい空気の中では、不思議と鈴の音は澄んで聞こえた。
目が、熱い。
ジリジリと眼球の周囲が熱くなって、自分の目が炎を宿しているのを自覚する。
刀が、俺の目玉を通して体温を奪っていくような感覚。
刀の灯火が強くなれば、周囲は赤く照らされ、霜も溶けて消える。
今まで俺が近付くのを邪魔していた組織液も、ジュワリと音をたてて蒸発し始めた。
それを見て、強く地面を何度も、踏む。
ドン、ドンと、地面だというのに強く腹に響く音は、夜住どもの絶叫の中でも〝聞こえる〟。
そうして聞こえてくる音はそのうちに炎をまとい、足を強く地面に叩きつけるたびに、空中にパチリと火花を散らせた。
「明神流──華炎術」
周囲に散る火花が、壁を照らし出しその黒を白く染める。
パチパチと弾ける小さな火の種は他の火花を絡み、含み、大きくなっていく。
刀で火花を斬るように撫でつければ、刀に。
足で踏みつければ足裏に炎の渦が。
生み出す真っ赤なソレが、明神の刀が生み出す夜住を照らす輝きだ。
「供炎っ!!」
踏み込む。
炎が巻き上がる。
汚泥も組織液も煤も、その全てを炎が巻き込んで消えていった。
その隙に、一息に本丸を斬り裂く。
俺の刀に宿っていた灯火と、刀そのものの鋭さ──そして明神の火力が、夜住の絶叫を焼いた。
明神流の中では最も簡単な剣技──それでも、火力は他の流派のどれよりも、高い。
夜住は狡猾だ。一撃で始末できないと即座に、二撃目に移る。
だがこちらの二撃目は、夜住のものよりも早い。
ほぼ同時に放った踏み込みの炎と、炎を切り裂く抜刀の一撃。
時間差で放たれる供炎は、二撃必殺の技。
炎の太刀で疱瘡のような表面の顔を押し潰せば、夜住は汚泥を吐く間もなく氷の吐息と共に絶叫をあげた。
氷が俺に効かないことは、気付いていないのだろう。
二撃目の炎で氷漬けの吐息を押し返され、真っ黒だった身体を白く焼かれた夜住は熱さにか冷たさにか、音をたてて暴れ狂った。
あれだけ顔面がついていても、脳までは共有されはしないだろう。
ただ人間を殺してその恐怖と怨念を食らうだけの、本能の呪いだ。
俺が帳先生から最初に習った、弱い夜住であれば十分に対応できるという、少ない手数で夜住を討つ用の、術だ。
一度の攻撃に急激に熱を乗せるせいで体温が一気に下がり、俺の吐息は白く濁らなくなった。
身体の奥が冷えて、足先から震えが上がってくる。
死に体の夜住が転げ回りながら煤を撒き散らしているせいで、余計に体温が下がっていく。
この煤の散りようでは、刀持ちたちは近付けない。
対処出来るのは、俺だけだ。
「明神流華炎術……」
祓えるのも──殺せるのも、俺だけ。
次は、苦痛も、苦悶も、感じさせない。
先生の灯火の宿った刃に手を添えて、腰を低くして、揺れながら氷を吐き出す夜住を見据える。
刀と身体との温度差で、ジリっと皮膚が焼ける感触がした。
氷は、周囲に舞う火花が全て食らって消した。
にじり寄るように足を地面に擦れば、そこからも火花が散って凍った地面が乾燥していくのがわかる。
再び、俺の呼気が白くまろく、空気に滲む。
背後で、チリンと、まるで「いいよ」と許可を出すように鈴の音が強く短く、鳴った。
全力を、刀に込める。
後のことは、考えない。
先生に近付けないよう──和穗や他の刀持ちたちに手を出させないように。
一撃に、今の全てを乗せる。
口角が、凍った。
「祓刀っ」
手を添えたまま刀をゆっくりと構え、手の平の上で火花を散らしながら──斬る。
近くにいなくても関係ない。
振り抜く。
刀の先で、煤を裂く。
翻して鞘の中にそっと、戻す。
カチン。
耳慣れた、納刀の音と鈴の音が混ざり合った。
その頃には、赫灼の刀と淡く輝く火花の斬撃を食らった夜住は、煤を撒き散らしながら消滅を始めていた。
瞬間、ドッと全身から全ての力が抜けたように重くなった。
ただ刀を振り抜いただけ。
それなのに、切っ先から全ての体力が抜けたように思えた。
いや、抜けたんだろう。
頬に貼り付いた氷を、震える手で払う。
夜住に、決まった形状というものはない。
一般人にはただの黒いモヤにしか見えないその存在は、俺たちの中でもハッキリ視認できる者がどれだけいるか。
俺にその目があると言ったのは、帳先生だった。
明神に来たばかりだった頃、刀を教わりながら同時に教わった、夜住を視る重要性。
母親以外には「気味が悪い」と罵られたこの眼球。
先生が見出してくれたこの目が何をどれだけ視られているのか自信がないし、わかっていないのだけれど。
それでも、先生が選んでくれたこの目は、俺の唯一の自信だ。
斬り伏せた夜住が、ザラザラと煤になっていくのを見守りながら、ふぅと白い息を吐き出す。
数回呼吸をして、少しずつ体温を取り戻そうと手足を動かす。
考えなしに大きな一撃を使ったせいで、一気に熱を使いすぎてしまった。
頬や鼻先や──身体は冷たいのに、吐き出す吐息だけはまだ熱を持っていて、吐き出された白は小さなわたあめのようだった。
甘くも、優しくもないけれど、またひとつふぅ、と息を吐く。
夜住が散っていく煤は、わたあめには混じらずに黒い雪のように徐々に地面に落ちてきていた。
夜住は、人間の怨念や悔い、呪詛なんかが固まってしまった「呪いの怪異」のようなものだ。
同じ怨念が集まれば集まるだけ呪いは強まり、呪いが怪異へと進化してしまえば、厄介この上ない。
だから、流行り病が起きた時や災害があった後なんかは、ただの刀持ちですらも忙しくなる。
刀持ちたちは、発生した怪異がどの程度の存在であるのかを判断する役目もあった。
「怪異」であれば、まだいい。
刀持ちだけでも対処できるから、怪我人や人死にが少なくて済む。
だがその怪異が夜住にまで進化してしまえば、対処できるのは当主陣だけだ。
俺は、夜住を斬った刀をもう一度抜いて、先生の灯火が抜けていることを確かめる。
さっきの夜住の──疱瘡のようにデコボコと貼り付いていた、小さな人間の顔面。
あれはおそらく、同じ病で死んだ者の呪詛が固まってしまったものだ。
この庭の先には、過去に疱瘡病患者を受け入れていた療養所の跡地がある。
療養所自体に呪いが湧いたせいで今は放棄されてしまっているが、夜住に〝成る〟のは時間の問題だったのだろう。
可哀想に、とは思わない。
確かに病死した人間の感情なんてものは、夜住の大好物と言ってもいいだろう。
何故自分が。
どうして今なのか。
自分よりもアイツの方が悪いことをしているのに──等々。
この世界には様々な呪詛が存在するが、病からの死や、災害から病に転じてしまった者の呪詛は、思いのほか強い。
死ぬまでに猶予があるのもよくないだろう。
苦しみの中で、健康な誰かを呪い、これから生きられたはずの人生を想い──そういう感情が、怪異の根源になってしまうんだ。
「お兄ちゃーん、あっちの夜住も祓っておいたよー」
「ご苦労。そっちは、なんだった?」
「戸の怪異みたいなのだったよ。表面にいっぱい手の平の痕があるの」
大きな刀を振る小さな手をこちらに向けて、和穗は言った。
彼女の刀からもすでに灯火は消えて、ただの鉄の棒に戻っている。
さっきは明るく見えていた和穗の顔も、今や寒さで散る吐息と鼻先の赤さばかりが目立っていた。
だが、俺ほどは体温が下がっているということはなさそうで、安心する。
やはり、今回の夜住の発生源は療養所跡地で間違いなさそうだ。
戸の夜住は、きっと「この外に出たい」という入所患者たちの切なる思いから発生したものだ。
その感情の根っこが良いものであれ悪いものであれ、同じ感情が折り重なって呪詛になれば結果は一緒だ。
祓って、消す。
それだけだ。
俺は、足元に山を作っている煤を、なんとなく見下ろした。
この煤も、じきに回収班たちがやってきて回収し、火種の餌になって消えるだろう。
「ソウくん、ちょっと頑張っちゃったね?」
「先生……他には、」
「目立つのはもういないね。でも、近いうちに見に行かないといけなさそうな所が、3か所くらい」
「明日……行きます」
「そうした方がいいだろうね。今日は、あったまらないと」
煤に背を向けながら言えば、宙をふわふわと浮いていた先生が俺の隣に下りてきてそっと、俺の目の上に手を置いた。
ひんやりとした手が、目元の熱を奪っていく。
ほっとして息をつくと、わたあめの吐息が先生の手首に絡んだのが感覚でわかった。
近くに居る先生の体温と、先生が持っている角灯の火種のあたたかさが、凍りついた身体を溶かしていくようだ。
あたたかい。
先生の手を感じつつ目を閉じながら、しばしそのあたたかさに、甘える。
俺が行く、ということは、先生も行く、ということだ。
わざわざ確認はしない。
それが俺と先生の──刀主と灯守というものだからだ。
そっと手を離した先生が当たり前に眼の前にいるように、目を閉じても感じられる程に近くにいるのが普通の存在。
俺は礼を言うように、先生の首筋の刻印に触れた。
手の冷たさにか、ピクリと先生の肩が跳ね、しかしすぐに落ち着いて俺の手に身を寄せてくる。
先生の身体は灯火のせいで俺とは逆に火照っていて、赤く染まっていた刻印の熱を、俺の手の平が奪っていく。
それが酷く、心地よく感じられた。
手を離し見上げた空は、火種の赤を飲み込むほどに深く、そしてどこまでも冷たく痛む。
帝都の寒さは、どれだけ火種を燃やしても少しも温まることはない。
だから俺は、また先生が勝手に一人で先に行きやしないかとそれだけが心配で、火傷だらけの手の平で先生のうなじをつまんだ。




