第三十三話 不安
「……は?」
ニコニコと笑いながら驚くべきことを言い放った先生に、俺は先生に触れていた手をピタリと止めた。
日向子とハルも目を見張っていて、どちらも口をぱくりと開けたまま、何も言えないでいる。
僕の実家。
実家、とは、自分の生まれた家を意味する言葉だ。
俺なら、帝都から電車で十銭ばかり離れた山に近い町の、薬屋。
すー、と息を吸い込んで、長く長く、時間をかけて吐き出す。
落ち着け、と、小声で言うと、声が届く範囲に居た先生がケラケラと笑った。
笑い事じゃない。
いや、先生にとっては笑い事──なのか?
「先生は昔……この帝都には火族が五家ある、って、教えてくれましたよね」
「言ったねー」
「その五家目は夜住との戦いで滅んだ、と」
「嘘は言ってないよ。もうあそこには簡単にはいけないし、火種も消えてる」
「……どどどういうこと、ですか?」
混乱して瞬きの多くなった日向子が、神風さんに助けを求める。
神風さんはさっきから冷静で、先生の突然の告白にも驚いていないようだった。
つまり神風さんは多分、なんらかの答えを、持ってる、はずじゃないか、と。
俺とハルも、神風さんを見た。
神風さんは、ぎゅーと寄せた眉間に指先を押し付けると、さっきの俺みたいに長くため息を吐く。
「火族の原則は、火種を維持し続けることだよ。けれど、帳さんのお家は、火種を消されてしまったんだ」
火族四家は、自分の家の火種を守り、火種を灯守に委ねることで術式を使い夜住を倒す。
だが先生の家はその火種を失い、領地を守ることが出来なくなったのだと、神風さんは言う。
だから残りの四家で空いた穴を埋めるように領地を拡大したり動かしたりしたが、どうしても隙間は残ってしまったのだ、と。
それがこの地図の、隙間だ。
「この隙間にね、ウチの封庫があんの。そこに、八岐之大蛇に関する資料が残ってるはずなんだよね」
「それを取りに行く、と……?」
「……それは、絶対そこにあるってことなのか、先生」
「あるよ。だって封庫に封印したのは僕だもん」
覚えてるよ。凄く寒い、雨の日だったね。
笑い話でもするような調子で言いながら、先生の視線が少しだけ動いて、俺を見た。
寒い雨の日。
なんでもないはずの、今でも普通にある日常を切り取った単語は、俺にとっては忘れられない言葉だ。
──だって、俺と先生が出会ったのは、ひどく寒い雨の日だった。
「本当はもうちょっと様子見をしようと思ってたんだけど、昨日の爆発事件といい、擬態する夜住といい、ちょっとおかしいでしょ。火種に守られてる刀主が乗っ取られるなんて、普通はありえない」
「それが、八岐之大蛇に関係あるって?」
「まー元々残り時間は短いと思ってたし、いつかは行かなきゃいけない場所だしね。懸念事項を1つでも消していくのは、今のソウちゃんにも悪くないんじゃないかなって」
「……残り時間?」
黙って話を聞いていたけれど、聞き捨てならない言葉につい、声が漏れる。
先生に色々と聞いていたハルも、ぎゅっと唇を噛み締めて黙った。
残り時間。
嫌な言葉だ。
先生は、俺とハルがじっと自分を見ていることに気付いていないのか、頭を少しフラフラとさせてから首を傾げて、不思議そうに俺を見た。
一度、二度。先生が瞬くたびに、目の色が揺らいでいる気がする。
真っ白なはずなのに、俺を見る目の色に──本来は光がさしているはずの瞳孔が、おかしい。
また、背筋がひやりとした。
頭の奥は熱を持ってドクドクと血が流れている音さえ聞こえそうなのに、先生の体温が触れているはずの場所ばかり、冷たい。
「あ、帝都が滅ぶとかそういうんじゃないよ?」
「じゃあ、なんだというんです、か」
「うーん、そうだなぁ……」
先生が、グッと俺に体重をかけてくる。
背筋を延ばして、凝り固まった身体をほぐすかのように、身じろいだ。
「まっ、今すぐどうこうなるようなモンじゃないよ。とにかく今は、大蛇の資料を──」
「先生」
先生はそのまま、俺に体重を預けたままだ。
重くはない。先生一人の体重で揺らぐような、身体の作り方はしていない。
でも、俺は自分の腕が少しだけ震えていることに気付いた。
その手に、先生がそっと手を乗せてくる。
何も言うなとでも言いたげなその手に、俺はグッと呼吸を飲み込んだ。
聞いたらもう、知らなかった頃には戻れない。
遠回りにそれを示されて、俺は逆にハッキリと、理解した。
先生の言う残り時間はきっと──先生に関わることだ。
「出発はこれから1時間後。ハルくんと和穗ちゃんは神風のお屋敷でお留守番ね。僕とソウちゃんは明神で準備をして来るから、明神家で待ち合わせ」
あったかい格好しておいでね、そう言って、先生は俺の肩を支えにして立ち上がる。
ね、と念を押す先生に、俺が「はい」と答えるまでには、片手で余るほどの秒数が、必要だった。




