第二十五話 新雪の疾走、呼気の白さ
霧子さんを追って封庫を出れば、外はさっきよりも明るく、しかし雪は強くなっていた。
さっき、霧子さんは肩の雪を払っていたけれど、このせいなのか。
封庫から少し顔を出すだけで鼻の先が冷たくなるほどの寒さに、呼気が一瞬で白くなった。
本当に、封庫の中だけがまるで別の季節であるかのようにあたたかい。
思わず顔を引っ込めると、鼻先と頬がジンジンと熱を取り戻そうとしていた。
でも、余計に分からなくなる。
開いてすぐこんなに寒いのに、なんで俺たちは霧子さんが入ってきたことに気付かなかったんだろうか。
これだけ寒ければ、いくら封庫の中があたたかくっても、入り込む冷気でわかったはずなのに。
冷えた空気を感じたのは、霧子さんが俺たちに近付いてきてから、だ。
「封庫の扉は、鍵を抜いて中に入ったら自動的に扉も閉まって、鍵もかかるように、なっているんです……内側からは開きます、けど、外からは鍵がないと、開きません」
「……霧子さんは刀主だからとか、そういう可能性は?」
「ない、と思います。本来ここは、神風の灯守の封庫なんだって、直紹様は仰ってました、です」
神風の灯守の封庫。
あれだけ古い書物があって、これだけの記録が残されている書庫だ。
それを管理しているのが灯守ともなれば、厳重に、複雑な術式で封じられていると見て間違いないだろう。
しかし、日向子が言うように鍵を抜いて中に入ったら扉も鍵もかかるのなら──霧子さんはどうやって中に入ってきたんだろう?
そもそも、なんのために?
「っ、治療室へ急ごう」
「は、はいっ!」
ぞわっと嫌な冷たさが背筋を走って、俺は寒さに怖気づいたことも忘れて封庫を飛び出していた。
日向子も続いて封庫を飛び出すと、扉がしっかりと閉じるのを確認してから後を追ってくる。
封庫の扉は、酷く重そうな、鈍い音を立てて閉ざされ、鍵もハッキリと重々しく、ガチャリと閉まった。
こんな音、聞き逃すわけがない。
雪の積もる渡り廊下を駆けると、渡り廊下の雪が新雪なのにも、背筋が冷たくなった。
俺たちを呼びに封庫に入ってきた霧子さんは、俺たちより先に外に出たはずだ。
そしてこの封庫までの道はほぼ一直線で、別邸内はともかく外に出たり本邸に戻るのなら、この渡り廊下を通るしかない。
なのに、髪をさらってめちゃくちゃに泳がせる強風が運ぶ雪は、まっさらな状態だった。
霧子さんが先に戻った時間差程度では、足跡を埋める程の雪なんか降るわけがない。
渡り廊下の外の庭を見ても、足跡はどこにもない。
──霧子さんは、どこに行ったんだ?
「先生……っ!」
無事で居てくれと、祈りながら走る。
ドタバタと足音をさせて走るのは、普段であれば神風さんにも先生にも、ハルにだって怒られそうな所業だ。
でも、足音を消して走るなんて今は出来ない。
行儀良くだとか、当主らしくとか、そんなのはどうでもいい。
走っている最中は、まるで心臓が脳みそに入ってきたかのように、こめかみがドクドクと音をたてていた。
目の奥が、熱い。
いや、痛いのか? 熱いのか痛いのかもわからなくて、俺は走りながら無意識に右目をおさえていた。
ひんやりとした手で、少しだけ目元の熱がおさまったような錯覚を覚える。
それくらいに、頭が、目の奥が、熱かった。
「あら、良かったわ~。これから呼びに行こうと思ってたのよ~」
「……は?」
「深神……様?」
「? どうしたの? 今ね、治療室の扉が開いたのよぉ」
寒さで呼吸が上手くいかなくなり、肺が変な音をたてる。
頭痛を振り払い、急いで走って階段を駆け上がって、治療室のある階層まで戻ってきた、その時。
俺たちを迎えたのは、何故か大荷物のハルと談笑していた霧子さん、だった。
背後で、日向子が転びそうな音をたてて立ち止まったのがわかる。
俺も、寒さでうまく動かない肺を叩きながら、霧子さんを見た。
自分が混乱しているのが、わかる。
けれど頭は妙に、冷静だった。
「……霧子さん、さっき、別邸に来ていませんでしたか」
「別邸? 神風の?」
「何言ってんだ、宗一郎。深神様は、俺とほぼ同時にここに到着されて、それから俺とここに居たぞ」
不思議そうに、ハルが首を傾げる。
ハルは、嘘なんかつかない。
特に、自分の番が危機的な状況であるこんな場面では、くだらない冗談を言うやつでも、ない。
それをよく理解している俺と日向子は、また息を飲んで、黙り込むしかなかった。




