第二十四話 なりかけ、なぞかけ
「明神様? どうかなさいましたか?」
「い、いや……」
目に手を当てたままぼんやりとしていた俺を、不思議そうに日向子が覗き込んでくる。
彼女に、相談をするべきか。
口を開きかけて、噤む。
今日あったことや見たものは、まだ帳先生にも相談をしていない。
先生も俺が見た擬態した夜住のことには気付いているだろうし、和穗のこともちゃんと見ていてはくれたはずだ。
でもまだ、それらについて話は出来ていない。
そんな余裕もなかったし、最初に俺たちを陥れようとした御神苗の刀持ちと、老婆については、夜住なのか成りかけだったのかも、俺には分からない。
成りかけだった、とは、思うのだ。
今まで始末してきた成りかけの条件と、彼らはほとんど合致していた。
けれど、死の際にどろりと溶けるように身体が崩壊していく夜住は、初めて見た。
大体にして成りかけは人間のまま死ぬので肉体が残る。
反対に夜住は、身体そのものが煤になってしまうので肉体は残らない。
だがあの刀持ちも、老婆も。
最期には笑いながらどろりと溶けて──溶けながら煤を撒いた。
あんなもの、今まで見たことがない。
煤を撒くという、その部分だけを見れば夜住だし、人間の外見のままであった事を考えれば人間だ。
わからない。
俺はまた右目に手を当てて眉間にシワを寄せた。
アレは……あの変質は、俺以外にも、視えていたのか?
少なくとも先生は、視えていたはずだ。
でも、手を出したのは俺が御神苗の刀持ちを認識した後のこと。
それは、あの黒い壁の夜住の時と、似ては、いないか?
「難しい顔してるわねぇ~」
「きゃっ」
「うわっ、霧子さんっ」
「こんな所に居たのねぇ~」
一冊の本を顔を突き合わせて見つめていた俺と日向子の間に、「みんな探してるわよぉ~」なんて言いながら割り込んできたのは、霧子さんだった。
足音も何も感じなかったので、日向子と揃ってその場から飛び退いてしまう。
まったく気付かなかった。
ひんやりと冷たい空気が流れてきたのも、霧子さんが来てからだ。
思わず本を落としそうになって、無意味に抱え込んでしまう。
こんな年代物の本を床に落として駄目にしてしまったら、弁償の方法が思いつかない。
「な、何故ここが?」
「お坊ちゃんがここだって言ってたのよぉ~。一段落したから、呼んできてくれって」
「! 和穗は大丈夫なんですかっ」
一段落した、ということは、先生と神風さんが治療室を出たということだ。
思わず食いつくように霧子さんに歩み寄ると、霧子さんは肩に乗っていた雪をぱっぱと払いながらにっこりと笑う。
その笑顔に安心して、その場に座り込んでしまいそうだった。
よかった。
喉から絞り出したその一言は、決して声になることはなくって。
日向子がそっと背中を撫でてくれた手が、冷たい空気の中で唯一はっきりとあたたかかった。
「和穗ちゃんって、丈夫なのねぇ。びっくりしちゃったわ」
「……本当ですね」
「ふふっ。さぁ、いきましょう?」
にっこりと笑顔を浮かべる霧子さんに、俺もぎこちなく笑みを浮かべる。
笑みになっているかどうかは、わからない。
けれど、こういう場面では笑うべきだと、そう教わったから、無理にでも口角を上げる。
『笑顔は無敵パワーの源なんだよ』
そんな事を言っていたのは、帳先生だ。
先生はずっと灯楼にこもっているのに外来語にも詳しくて、パワーとはなんですかと聞けばケラケラと笑った。
おかげで俺も少し外来語を学び始めたが、本当に一体どこで言葉を覚えてくるのだか。
俺は、震えかけていた自分の膝を叩いておさめると、背筋を伸ばす。
しかし、戻ろうかと日向子にかけようとした言葉は、彼女が俺の羽織の背をきゅっと握っていたことで喉の奥に消えていってしまった。
霧子さんは、動かないでいる俺と日向子には気付かずに、書庫の入口に向かっている。
相変わらず自由な人だなと、苦笑してしまった。
「明神様……」
「どうしたんだ、日向子。神風さんが呼んでるってさ」
「深神様は……ど、どうやってこの中に入ったのでしょうか……」
「……へ?」
羽織を握りしめる日向子の手が、震えている。
俺は日向子を見てから、先に封庫を出た霧子さんの方を見た。
……閉まっている。
日向子が鍵をかけた時のまま、重厚な鉄の閂は微動だにしていない。なのに、あの人は、今──
俺は、わずかに息を吸い込んで言葉を飲み込んだ。




