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祓火の番 ―火種は怪異の死骸、灯火は己の命。常冬の帝都に沈む謎を、ハズレ者が焼き尽くす―  作者: ミスミシン
第二章 崩れる平穏、血を流す火

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第十八話 困惑、捨て去り

 勢いの良さで散った赤い血液に、「は?」と思わず声が出てしまう。

 俺を襲おうとした煤を断ち切ったのがハルであるというのは、流石にパッと見で分かっている。

 でも、だが、小麦のような髪を真っ赤に染めている液体に、頭が麻痺した。


「何ぼさっとしてんの、お前」

「いや、いやお前、血……っ!」

「ハルくんどうしたのっ」

「ちょっとヘマしました。救援が必要です」


 袖口で顔面をグイグイ拭っても、ハルの頭からの血は止まらない。

 頭からの出血は見た目よりも派手だとは聞くが、それでも随分な出血だ。

 よく見れば頭部からではなく、羽織もズボンも、穴があいて血が滲んでいる。

 

 呆然としながらも、頭から足先までじっくりと見ていた俺は、ハルの足元で蠢く影に気付いた。

 あの夜住が、ハルの敷いた境界を越えようとしている。

 刀を握り直し、強く地面を踏んで火花を散らす。

 火花の栄養源は、今は必要ない。

 周囲にはたくさんの炎も、火花も散っている。

 俺がわざわざ空気に体温を馴染ませなくても、勝手に術式が火を食うだろう。


 なにもない場所から火花や炎を散らす明神の術式は体温を奪うが、ここまで炎が上がっている場所なら話は別だ。

 いつもなら術式を編むたびに肺の奥が凍るような感覚があるが、今夜は違う。

 周囲に溢れる業火が、俺の火種の代わりに酸素を貪ってくれる。

 俺は、刀を逆手に持ち直して切っ先を思い切り、地面を這う夜住に突き刺した。

 おぞましい声は悲鳴か、怒りの咆哮か──それとも、笑い声か。


 先程の老婆の声を思い出して腹の奥が気持ち悪くなるが、「夜住である」と判断出来れば話は別だ。

 俺の刀は、夜住を倒すためにある。

 頭の中で何度も己に言い聞かせながら、地面に突き刺した切っ先をさらに深く、夜住に埋め込んだ。


「……こっちにおいで、ハルくん。治してあげる」

「俺より、和穗が」

「和穗ちゃんの所にも行くよ。でも、君が倒れてもいけないでしょ」

「……ッス」


 転がった老婆の首が、完全に沈黙する。

 首の断面から漏れ出していた黒いモヤが消滅すれば、残るのは地面に顔面を擦り付けて死んだ老婆だったもの。

 悲鳴と燃える炎の音があちこちから聞こえてくるこの場で、ジタバタと暴れていた老婆の身体もいつの間にか、沈黙していた。

 

 周囲に居た市民たちも、まるで悪夢を見ていたような表情でこちらを見ている。

 羽織と角灯で俺たちの身分がどういうものかはわかるだろうが、夜住はほとんど初めて見たのだろう。

 当たり前だ。

 俺たちは、市民が夜住に襲われないように、毎日、毎夜──


「ソウくん」


 地面に突き刺した刀をぼんやりと見ていた俺は、パチンと音を立てて頬を包まれてやっと、眼の前を見た。

 先生。口を動かしても声がでなくて、けれど先生は頷いてくれる。

 炎で煽られた先生の髪は、周囲は赤く光っているのに相変わらず真っ白だ。

 俺の刀に祝詞を乗せる時には、あんなにも不思議な色になる、のに。


「ソウくん、今は状況確認。さっきの夜住は……僕も後で調べるから」

「……はい」

「僕たちのお役目はなに。一人でも多くの人を助けることと、夜住を倒すことでしょ」


 あの老婆のようなものが市民に害なす者であれば、倒すことに躊躇してはいけない。

 先生の目はそう言っているようで──そう言って欲しくて、俺は言葉なく頷いた。

 情けない。

 こんなことで動揺して、思考が停止していた。


 頬を包む先生の両手の熱が、身体に浸透して脳に冷静さを取り戻させているかのようだ。

 俺は深く息を吸い込んで、煙い空気を長く、吐き出す。

 数回咳き込んだのは、やっと周囲が燃えていることを身体が受け入れ始めたからだろうか。

 ゲホゲホと咳き込む子供の声が聞こえてきたのも、あるのだろう。

 俺は幾度か目を開閉して、ゆっくりと目の前の真っ白な男を見た。


 赤い炎すらも色をつけることのできない、真っ白な先生。

 夜住の煤も、ハルの血液も付着していない。

 まっさらなままの、俺の番。

 ……美しくて、恐ろしい。

 これだけの地獄に浸かりながら、先生だけが世界の汚れを拒絶しているようで。


「……すみません。大丈夫です」

「よしよし、行こっか。ここに居る人は刀持ちと白服に任せれば大丈夫」

「こっちです、先生。お願いします」


 にっこりと笑顔になった先生も、ハルも、俺がちんたらしていることを咎めもしない。

 いつの間にか周囲に居た刀持ちたちも、先生の言葉を聞いてやっと動き出したようだった。


 視界の端でそれを見つつ、俺も刀を鞘に納めてハルの背中を追う。

 背後で老婆を食って爆ぜた炎が、一瞬、巨大な瞳の形を成した気がした。

 ……逃げるように視線を外して背を向け、俺はハルの背中を追った。

 歩みを止めれば──その炎を直視してしまえば、今度こそ心まで凍りついてしまいそうだったから。

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