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祓火の番 ―火種は怪異の死骸、灯火は己の命。常冬の帝都に沈む謎を、ハズレ者が焼き尽くす―  作者: ミスミシン
第二章 崩れる平穏、血を流す火

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第十七話 一寸の境界、及ばぬ理解

 刀を抜いたのは、反射だった。

 身体に染み付いた刀主としての本能、だったのだろう。

 一歩を退き、踵が地面につくのと同時に刀を横薙ぎに振るう。

 ひょう、と白い呼気を切断するように振るった刀は、俺を掴もうとした老婆の首を的確に切断する。


 落ちる眼球、崩れる鼻、一本一本抜けて地面に転がる歯──

 あまりの気味悪さに躊躇もなく刀を振るった俺は、しかしその首がぽぉんと跳んだ時、地面に何も残らなかった事に驚いた。

 どろどろと落ちそうになっていた眼球も、黒い土の上に白く落ちていたはずの歯も、そこにはない。

 残っているのは、首を失って前のめりに伏した老婆の肉体から溢れる赤い──赤い、血液だけ。


 老婆の頭が転がっていった先で、悲鳴が上がる。

 ハッとして己の刀を見れば、刀だけでなく俺の手まで血が付着していて。

 ほんの一瞬前まで人間の肉体の中におさまっていた血液は、不気味にあたたかくって、俺の手からほのかな湯気を立てている。

 けれど転がった老婆の顔面は、溶けた痕跡も何もなく、ただぼんやりと光のない目で俺を見ていた。

 

 ──夜住(よすみ)では、なかった?


「……っハァ」


 震える息を吐き出すと、普段なら温度差で頬にぬるく絡む白い息が薄く、ほんの一瞬だけ浮いて、すぐに消える。

 老婆の血液の鉄臭さと首筋から溢れてくる吐瀉物混じりの汚液の匂いに、吐き気がした。

 寒さのせいではなく、歯の根が合わなくて顎が痛んだ。

 あれは、夜住じゃなかった?

 俺が見たあの溶けた老婆の顔は、幻覚だったのか?

 

 俺は……俺が、あの老婆を──市民を、殺したのか?


 パチパチと焼ける瓦礫。

 人々のうめき声。

 助けを求める叫び。

 それらが遠くで聞こえるのみになり、俺の周囲は水を打ったように静寂に満ちた。

 

 刀主であるはずの俺が、守るべき市民を、殺した──その事実が、帝都の喧騒を消し去っていた。


「宗一郎っ! 前を見なさいっ!」

「ハッ」


 乱れ始めた呼吸が、押し戻されるように喉に戻る。

 背中を叩く先生の叱咤は直接俺に触れていなくても止まっていた呼気を取り戻させ、滲んだ視界を明瞭にする。

 途端、新たな悲鳴が上がった。


 倒れ伏した老婆の肉体。

 俺が切断した首の断面から、黒いモヤが立ち上り始めていたのだ。

 切断面から流れ落ちていた血液は徐々に黒へと変化していき、地面に染み込むはずだった液体は煤として風に泳ぎ始める。


『ひひっ! ひひっ、ひひぁあぁひひひっ!!』


 首が、笑った。

 肉体も肺もないのにゴロゴロとその場で転がり始めた首は、肉体の方と同じように黒いモヤを吐き出し始める。

 笑い声は痰が絡んだようにゼロゼロと気味悪く、転がる拍子に抜けた毛が小石に絡んで土に残った。

 

 その姿にゾッとして、刀を握る手にぬるっとした汗が滲む。

 こんなものは──こんな存在は、今まで見たことがなかった。

 夜住に変化していく存在は、何度だって見たことがある。

 けれど、そういう者は死を間際にしているからか、悪あがきはしてもこんな風に楽しげに自傷しながら転がる事はない。

 なのにこの老婆の首は、さっき溶けたと思った顔面を地面に擦り付けて削りながら笑っていた。


 夢か、現実か。

 落ちた鼻も、目玉も、歯も溶けて落ちていないのに、瓦礫の散乱している場所を転がっているせいで段々と削れて、皮膚の下が見えてくる。

 削れた皮膚の下から覗くのは、煤に汚れた剥き出しの筋肉。

 ……この老婆は、まだ『人間』の肉体をしている。

 なのに、なぜ、動く。

 一体、どうやって?

 

 この老婆は夜住ではない。少なくとも、まだ、人間だ。

 なのにこの不気味さは一体何なのだろう。

 なんで首だけで動いて、こんなにも不気味に笑えるのだろうか。


 わからない。

 わからなかった。

 俺はこんなものを、こんな状況を、教わってない。

 だって俺の刀は、俺を選んだ刀は、人間を殺すためのものじゃあ、ない、のに。

 徐々に広がっていく老婆の煤に、俺は老婆を人間とすべきか夜住とすべきかが分からなくなった。

 人間であれば夜住になる前に殺してやらなければ。

 夜住であるのなら、人間に害をなす前に祓わなければ。


 そう思いながらも、俺の意識は白濁し、ぐるぐると回る視界のなかに呑み込まれかけていた。


「ほっ」

 

 分かっているのに、分かっているのにと、動けないで居た俺のつま先まで侵食し始めていた老婆の煤を、なんとも軽い声が阻止する。

 俺のつま先、そのわずか一寸先まで迫っていた煤の先端を、鋭い一閃が断ち切った。

 今にも触れようとしていた所に刀で大きく切り込みを入れて境界を引いたのは、頭部からだくだくと血を流しているハルだった。

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