ロックベル邸
■第10話
豪華な屋敷の前で馬車から降りたオフィーリアをひとりの侍女が迎えた。
「おかえりなさいませ。オフィーリア様……あの、そのお姿は……」
いつもは淡々と仕事をこなしている侍女が、オフィーリアの姿に戸惑いを隠せずに尋ねてきた。
(そういえば、ドレスも髪もボロボロだったな。私の姿に驚いているということは、先ほどの事件がまだ家に伝わっていない? いや、まだ秘匿の事案だから、学園が暗殺事件に巻き込まれたことは家に伝わっていないのだろう)
「舞踏会でちょっとした事故があっただけよ。私にケガはないわ」
「――そうでございますか。では、すぐにお風呂の用意をいたします」
「おねがい」
無関心なのか、仕事に徹しているのか、侍女はそれ以上訊ねることはしなかった。
だた黙って部屋に入ると、テキパキと別室から着替えを用意し、戦いでボロボロになったドレスを脱がせた。
(この侍女は、オリジナルの専属だが、特にオリジナルに好意的だったり親身になっていたという記憶はない)
それでも仕事に手を抜いたことはなかった。
オリジナルのほとんどの身の回りの世話をひとりでこなしているから、かなり優秀なはずなのに、この侍女もまた屋敷内でこれといって優遇されている様子はなかった。
少し焦げてボサボサになっていた髪もキレイに梳いて、オフィーリアの身だしなみは一端リセットされた。
いつの間にかテーブルにティーセットが用意されており、オフィーリアがソファーに座ると、侍女がティーポットから紅茶をカップに注いだ。
白く立ちのぼる湯気から紅茶の香しい匂いが鼻腔をくすぐる。
「それでは、私はお風呂の用意をして参ります。なにかございましたらベルを鳴らしてくださいませ」
そう言って一礼すると部屋を出ていった。
ひとりになったオフィーリアは、カップをソーサーに置き、立ち上がった。
部屋は広くもなく狭くもないが、調度品などは必要最低限で流行遅れのデザインの壁紙やカーテン。
オフィーリアは、静かな足運びで部屋の隅々に手を這わせて爆弾などの異物がないかを確かめていった。
ドレッサーは別部屋があるため、この部屋にはチェストと花瓶を飾るテーブルスタンドくらいで、あとはソファーとテーブル、デスクと椅子、ベッドとベッドルームベンチ。
古くから使い込まれたような味わい深いアンティークだが、女性の部屋にしては、最低限の家具だけだった。
(オフィーリアの中から見ていたとはいえ、実際に見るのとでは実感が違うな)
家具や装飾は、侯爵家ならばいくらでも贅沢はできるだろうが、それをしないのは、オリジナルの性格だけではない。
この古びた時代遅れのカーテンから、この家でどんな扱いを受けているのかがわかるというものだった。
(この屋敷は使用人も、オリジナルを軽んじている。真面目ゆえに使用人にも気を遣うオリジナル・オフィーリアを、この家での立場が弱いと判断しての行動だろうが……)
あの侍女以外、他の使用人たちは、すすんでオフィーリアの世話を焼こうとはしない。
だから、出迎えも専属侍女ひとりに任せ、呼ばれなければ手伝いにも来ない。
(言われればやるが、言われなければ関わらない、それが使用人たちの認識なのだろう。今の私には都合のいいことだが、オリジナルにはどう映っていたのだろうな)
ゴルディがオフィーリアの中にいたときは、彼女の心の声は聞こえてこなかった。
心の声が聞こえたのは、あの婚約破棄をされたときだけだった。
それはまるでオフィーリアという部屋に閉じ込められて、オフィーリアの目というモニターから外の様子を見ていただけだった。
知覚や心情も伝わってくれば、もう少しオリジナルに寄り添えたかもしれないが、もともとゴルディとして人の情が希薄だったせいで、そのときは気にしていなかった。
これをゴルディは、他人の中で共存するための何かしらのルールだと考えていた。
それがなぜ、急にオフィーリアの心の声が聞こえるようになったのかはわからない。
婚約破棄が引き金になったのかもしれないが、予測の範囲でしかない。
ただあのとき、突如ゴルディの魂が解放され、オフィーリアの心の声が怒濤のように押し寄せてきた。
だから、これまでのオフィーリアの感情は知らない。
「お嬢様、お風呂の用意ができました」
「今、行くわ」
バスルームに行くと、他にも2名の侍女が準備をしていた。
オフィーリアが服を脱ぎ、バスタブに浸かると、みんな無言で体を洗い、髪を洗い、オイルを塗る。
その間、ずっと水音と息遣いだけがバスルームに響く。
オフィーリアは、いつ刃を向けられてもいいように、リラックスしている振りをして、様子を伺っていた。
(裸のときに襲われることはよくあった。特に女の刺客は、閨のときに襲ってくることが多いから気が抜けない)
しかし、雑に扱われるどころか、専属の侍女の指示の下、みな仕事に手抜きはなかった。
風呂から上がり、髪を魔法で乾かし、新たな部屋着に着替えた。
風呂の手伝いをしていた侍女たちが部屋を出ていくのと入れ替わりに、ノック音がして執事が入ってくる。
「オフィーリア様、ルイス様がお呼びです。応接室にお越しください」
「わかったわ」
執事の後に続いて応接室に入ると、中にはルイスとシャロンがソファに座って待っていた。
「お父様、お母様、お呼びでしょうか」
「ボロボロになって帰ってきたと聞いた。いったい何があったんだ」
「ちょっと事故に遭っただけで、心配には及びません」
「それを決めるのは私だ。事故とはなんだ」
(さて、どうしたものか。暗殺事件のことは、もう少しすれば連絡が来るだろうから、今話しても問題はないか)
「実は……パーティーの最中に第1王子暗殺の刺客が襲ってまいりました」
「なんだと! それでウィルフレッド殿下は無事なのか!?」
「はい。襲撃直後の混乱で私とウィルフレッド様とは別々になってしまいましたが、影たちがウィルフレッド様を保護していましたので無事だったと思います。私は――」
「おまえのことはどうでもいい! それよりもウィルフレッド殿下の安否を確認する必要があるな。今から王城へ――」
「その必要はございません」
オフィーリアは、ルイスの言葉を遮った。
普段大声を出さないオリジナルだったため、強めの声に驚いてルイスは固まった。
(自分の娘がどうやって家に戻ってきたのかは二の次か……貴族らしいといえば貴族らしい親だな)
「お父様、まだ向こうは事後処理中で状況を把握している最中かと思います。私は他の生徒たちとは別に行動していたため、ひとり早く学園を出ることができましたが、他の生徒たちはまだ現場に残っているかと思います。生徒たちを巻き込んだ事案のため、箝口令も敷かれているので、今動くのは尚早かと思います」
(嘘は言っていない。王子暗殺に多くの貴族の子どもが巻き込まれたのだ。箝口令は敷かれるだろう)
「私はたまたま帰宅が許されただけですので、今は学園からの連絡を待った方がいいでしょう」
「そうか……まあ、そうだな。ここでうちだけ騒げば、暗殺の一端を担ったと疑われるかもしれないか……うむ、わかった」
事は王子暗殺ということもあって、下手に動くことは得策ではないと判断したルイスは引き下がった。
ところが、入れ替わるように今度はシャロンが睨みつけてきた。
「オフィーリア、あなた婚約者のウィルフレッド殿下を放って帰ってきたの?」
「それは……影たちが王子を保護しましたので、どこにおられるかはわかりませんでしたから」
「引き離されるなんて。婚約者のあなたも一緒に連れていってもらえなかったのは、あなたが婚約者として格下に見られたのではなくて? ウィルフレッド殿下の妃に相応しいと思われていれば一緒に守られたでしょう」
(確かに正論のように聞こえる。ただあのときウィルフレッドから婚約破棄を言い渡されているから、保護するに値しないと判断されていてもおかしくはない。だが、新たな婚約者にと宣言していたマルガも放っておかれた。どちらにせよ、影が守るのはウィルフレッドのみということだろうな)
そう思っても、今婚約破棄のことを口にするわけにはいかない。
オフィーリアはシャロンの逆鱗に触れないで済む言葉を探した。
「それは……相手が衛兵に扮していたのです。本来守るべき立場の衛兵たちに襲われ、咄嗟に影が間に入って王子を守りました。そのとき、王子から離れてしまったのです。その後は剣と剣を交える戦いになり、他の生徒の皆さんも逃げ惑っていたため、再び王子のそばに戻ることが叶いませんでした。それでひとり逃げたのです。何度か襲われましたが、命からがら逃げ延びることができました」
「それでも相手は捕まったのでしょう。だったら、あなたは王子のそばに戻るべきでした」
「王子は現場の処理があるからと私には帰るよう王子の従者に言伝をもらいました。それがあったから帰ってまいりました」
「そういうときは、それでも王子のそばに付き添っておあげなさい。王子の心労に寄り添ってこそ婚約者でしょうに、まったく気の利かないこと」
「気が回らずに申し訳ございません」
「もういい。部屋に戻れ」
ルイスが追い払う手振りを見せたので、オフィーリアは一礼して部屋を出た。
(まったくこれが親とは、オリジナルの心労も計り知れんな。今の会話で一度も身を案じる言葉がなかったとは……)
前世の暗殺者だった頃のゴルディは、依頼者や対象者たちの親子の情を散々見てきた。
だが、それを見たからといって情に揺さぶられることはなかった。
依頼であれば、親や子の目の前であっても対象者を殺してきた。
他者はあくまでも他者であって自分ではない。
自分が生き残るためならば、身内であろうと切り捨てることは造作もないと思っているが、オフィーリアは別だ。
オリジナルの体であって自分の体でもある。
だから、少しだけ――1滴の滴程度の情は持っていた。
これまで関わった女性たちに、特別な感情を持ったことはなかった。
だが、そういう興味の対象が生まれたことは、まだ自分が人として生きているのだと喜ばしいことなのかもしれない。
(まずはオフィーリアとして潜伏することが最優先だ。別人と悟られないようにできれば、家族のことは放っておいていい)
部屋に戻ると、侍女が夜着の準備をしていた。
「ねえ……あなたの名前は?」
「はい? エマ……ですが……お嬢様、大丈夫ですか?」
エマは怪訝な顔をしてオフィーリアを見つめた。
気遣っての心配というより、不安からくる心配の顔だった。
「ごめんなさい、エマ。後で知ると思うけど、今日はいろいろあったから頭が混乱しているの。だから、何かお酒を頂けないかしら」
「お酒ですか?」
(そういえば、これまでオリジナルが寝酒を飲んでいたことなどなかったか)
「ええ、ちょっと今日は眠れそうにないから……ダメかしら」
「いえ、そういうことでしたら、少しだけご用意いたします」
そう言ってエマは出ていった。
エマが戻ってくるまでの間、チェストや机の引き出しを開けて中を再度確認し、ベッドの下やドレッサーの中などに不審物がないか調べた。
最後に窓の外を確認し、狙撃できるポイントがないか、不審者がいないか、不測の事態が起きたときにこの窓から逃げることは可能かを確かめる。
結果、不審なものはなかった。
そして、この部屋は3階で、窓のそばには何もなかったため、身ひとつで飛び降りるのは難しそうだった。
なお、狙撃ポイントはいくつかあったが、不審者はいなかった。
ゴルディとしての習慣で、ホテルに泊まるときは必ずやっていることだった。
暗殺する者もまた暗殺者を仕向けられることがある。
そのため爆弾や盗聴器などが仕掛けられていないか常に気をつけている。
一通り確認が終わった頃、ドアがノックされてエマが戻ってきた。
ホットワインをテーブルに置いて、就寝の準備に戻っていった。
(やはり、この侍女から敵意は感じられないな)
毒でも盛られているかもしれないと警戒して見ていたが、エマからはそういう微表情は見受けられなかった。
<続く>




