伝説の暗殺者、悪役令嬢に転生する
■第1話
「オフィーリア・ロックベル。貴様とは今日このときをもって婚約を破棄する!」
第1王子ウィルフレッドが高らかに宣言する。
その隣にはピンクベージュのふんわりした髪の小柄な少女が寄り添っていた。
彼女はマルガ・コンラッド男爵令嬢。
学園でウィルフレッドといつも一緒にいることは、学生たちには周知の事実だった。
その2人の前には銀髪を美しく結い上げた美貌の少女が青ざめた顔で立っていた。
今日はシスティーナ学園で学園主催の舞踏会が行われていた。
ホールの中は、煌びやかな衣装を身に纏った生徒たちが、本来ならば談笑したり、音楽に合わせてダンスに興じるところなのだが、今は第1王子を中心に遠巻きにして好奇の目を向けている。
パーティーを彩る楽団も今は演奏の手を止めており、ホール全体がシンと静まり返っていた。
「貴様は私の愛するマルガを嫉妬に駆られて執拗にいじめたことは周知の事実。私物を隠す、壊すを始めとした言葉による暴力、さらには取り巻きを使って生徒たちにマルガを無視するよう命令し、マルガに精神的苦痛を与えたこと、さらには池や階段でマルガを突き落とす蛮行。全て調べがついている!」
「そ、そのようなこと……わたくしはしておりません!」
第1王子の婚約者オフィーリアは、困惑した様子で、しかし毅然と反論したが、それをウィルフレッドはキッと睨みつけ、怒気をはらませた声を放った。
「嘘をつくな! 既に証人も押さえている! そして、マルガ本人からも詳しく話は聞いている。可哀相にマルガは毎日のように震え泣きながら訴えてきたのだぞ」
「うう……本当に怖かったんです。ウィルフレッド様」
小刻みに震えるマルガに、ウィルフレッドは愛しげに柔らかな瞳を向けた。
目元に涙をにじませて縋り付くマルガの肩をそっと抱き寄せると、再び顔を上げ、蔑んだ冷たい刃のような視線をオフィーリアに向ける。
「お前とは親同士で決めた婚約に過ぎなかった。そこに愛情などない! なのに、厚かましくも最愛のマルガを嫉み、私の愛情がマルガに移ったと勘違いしていたそうではないか。私が愛するのは、このマルガただひとりだ!」
「ウィルフレッド様ぁ、嬉しいです」
愛しげに抱き合う2人を前に、オフィーリアは絶望に青ざめた顔のまま固まった。
そして、まるで操り手を失った操り人形のようにダランと項垂れた。
ウィルフレッドの婚約者候補になったのは6歳の頃、婚約者に選ばれたのは8歳だった。
オフィーリアは親の期待もあって、候補になってから第1王子妃、そしていずれは王太子妃に選ばれるために日夜語学から歴史、地理、算術などいくつもの科目を勉強し、体術や剣術、魔法などの鍛錬を頑張った。
本来ならば、10歳くらいから始めるべきことを、6歳の頃からやっていたのだ。それはとてもつらかった。
「ウィルフレッド第1王子殿下の婚約者に選ばれるということは、当たり前のことができるだけではダメです。できて当たり前、その上の更に上を目指すのです」
「満点がとれたって? 一教科くらいで自慢するんじゃない。そのくらいできて当たり前だ。全教科満点とれるくらいもっと努力しなさい」
「休みたい? 何を言っているの。他の候補者に負けてしまうでしょう。手を抜くことは許しません」
家庭教師と両親は、もっと上を目指せ、努力しろと言うが、褒めてくれたことはなかった。
それでも、いずれは褒めてもらえると信じて必死に頑張った。
――第1王子殿下の婚約者になれば、きっと褒めてくれる。
そして、婚約者に選ばれた。
決まったとき、初めて褒めてくれたけれど――
「これで満足するな。これから更に勉強に励むように」
「浮かれていたら、すぐに足元をすくわれてしまうのよ。これからは更に頑張りなさい」
「語学の数をもっと増やすよう仰せつかっております。王族の婚約者になられたのですから、他国の言語をもっと理解するように」
勉強も鍛錬もこれで終わりではなかった。
王族になるための教育も追加されて、毎日毎日更に勉強と鍛錬の日々になっただけだった。
そこに自分の自由な時間など存在せず、唯一の憩いの時間は寝ているときだけ。
婚約者のウィルフレッドとは、候補のときは月に1度、婚約者になってからは週に1度会っていたけれど、初対面から素っ気なくされ、好かれようと話しかけても興味が無いとばかりに冷たい態度をとられた。
「君は真面目だけが取り柄だね。実にありきたりだ」
そう言われてつまらなそうにため息をつかれる。 すると周囲からは「あなたが不甲斐ないから第1王子殿下に好かれないのだ。もっと第1王子殿下に見合う淑女になりなさい」と言われ続け、何が足りないのかもわからず、言われた通りに毎日ただただ頑張ってきた。
(それなのに……それなのに……その結果がこれなの? いったい私は何だったの?)
期待に応えるために、ウィルフレッド様の婚約者として恥ずかしくないような完璧な淑女になろうとしていただけだったのに――どこで何を間違えたのだろう、ウィルフレッド様はどうして私を好いてくれなかったのだろう――
何を考えても、結果は目の前で起こっているこれが全てだと突きつけられ、傍観している生徒たちは、想い合う2人の邪魔をする『悪役令嬢』だと冷たい視線を向けて囁く。
「真面目な方でしたのに、見かけだけだったのね」
「そういう品行方正な人ほど裏があるっていうじゃないか」
「まさに悪役令嬢ですわね」
「悪役令嬢、ふっ、本当にその言葉がぴったりだ」
「悪役令嬢だ」
「悪役令嬢――」
周囲の囁きが頭の中でこだまし、オフィーリアの意識は絶望に染まって暗黒の泥沼の中に沈んでいった。
(わたくしは何もしていない。マルガ様を傷つけたりなんてしていないし、あの方に近づいてもいないのに。わたくしの時間なんてないのに、考える時間さえなかったのに――それも全部ぜんぶ、ただお父様やお母様、そしてウィルフレッド様に認めてもらいたくて頑張ってきただけなのに。なぜ、わたくしが悪役令嬢なの? いじわるなんてしていない。邪魔なんて思ったこともないのに……。切ない、辛い――このまま消えてなくなってしまいたい――いっそのこと、誰かわたくしを、わたくしの心を殺して!)
――わかった、引き受けよう。
(誰!?)
突然、聞き覚えのない男の声が直接頭の中で聞こえてきた。
愉快、怒り、同情――そういった感情の色はまったく感じない、淡々と事務的な声色。
(幻聴? いえ、わたくしはもう狂ってしまったのかもしれないわね。だって、あなたの声になんだか安堵しているのだもの……)
――俺は暗殺者だ。ある依頼で、おまえの中でずっとおまえのことを観察していた。
(ふふ、本当に狂っているわね。死神どころかわたくしの中でわたくしのことを見ていた暗殺者を想像するなんて……。ふう……もう何でもいいわ、こんな惨めな生き地獄にいるよりもずっとマシ。ねえ、あなた、わたくしを殺してくれるのでしょう。暗殺者なら報酬がいるわね。何をご所望?)
――報酬はこの身体だ。今の俺には身体はない。ある契約で精神だけおまえの中にいることが許されていた。ある条件を満たしたとき、俺がおまえにコンタクトをとることが許されていた。それが今と判断した。
(ねえ、聞いてもいいかしら。その契約相手は誰だったの?)
――それは守秘義務がある。
(そう……いいわ、もうわたくしには必要のないものだもの。わたくしが死んだ後は好きにするといいわ。だからお願い。わたくしの無念を晴らして。ずっとずっと第1王子妃になるために真面目に頑張ってきたわたくしを、どうか自由にしてあげて。わたくしにはできなかったことを、暗殺者さんが叶えてちょうだいね)
――いいだろう。交渉成立だ。
(ねえ、暗殺者さん。名前を教えてくれる?)
――俺……私はゴルディ、ゴルディ13だ。
どんよりと重苦しい暗黒の中にいるようだったオフィーリアの心に一発の閃光が貫いた。
<続く>




