Backspaceゼロの罪 「いや、オマエらが低能なだけだと思うぞ?」
俺さぁ。
今は殆ど運動しなけど、子供の頃は結構動ける奴だったんだぜ。
少年野球チーム【淡路レイダース】。
リトルの世界じゃ結構有名なんだけど、聞いたことないかな?
ポジションはショート。
打順は2番か3番。
打率.448で公式戦無失策。
チームの誰よりも練習して、誰よりも結果を出していた。
でも、全国大会が始まるとレギュラーから外された。
なぜか? 答えは簡単だ。
俺が「監督の戦略ミス」を口にしたからだ。
打順の組み方が非効率だ。
練習メニューがスタミナ配分的に破綻している。
守備シフトが非科学的。
俺は“事実”だけを淡々と伝えた。
チームの一員として、少しでも勝利に貢献したかったからだ。
だが、干された。
「お前には人間性がない」
監督はそう言った。
当時は意味が分からなかった。
今も、本当の意味では分かっていない。
なぜ間違いを正すことが、間違いなんだ?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…独野先生、少しだけ宜しいですか?」
不意に糸斗が俺の執筆を遮った。
『ん? 何か?』
「すみません。
海外の方からの指摘だったので、気付くの遅れました。
先生のBackspaceキーの使用ログ…
0ですね。」
糸斗の声が低く落ちる。
なんだ、そんな事か。
『はい、使った方がいいですか?』
「え!?
…いや、普通使うでしょ。
今、スペイン語圏で始まった炎上が英語圏とアラビア語圏に波及してます。」
『え?』
確かにコメント欄の流れがとてつもなく速くなっている。
今まで見た事のないラグが生じる。
まさしく炎上だな。
<入力ログ提出しろ!>
<MRUKAWAさん、やってしまいましたなぁ…>
<うおっ、ホンマや!>
<Backspaceの使用ゼロ、これ以上の証拠とか要るか?>
<はい不正確定。>
<タイプミスしない人間だけが独野に石を投げよw>
<何でログ公開せーへんねん!>
<審判つけろ、検証班呼べ>
<タイピングじゃなくてペーストだろ。>
「すみません。
執筆の途中申し訳ないのですが…
第三者委員会から抜き打ちで機材検証させて頂けませんか、とのことです。」
『え、今?』
「いや、もう収まりませんよ。
丸川さんの公式も落ちちゃいましたし。」
俺が呆然としていると、外からノック音。
第三者委員会の派遣員が入って来る。
「勝手に入らないで下さい!
先生が執筆中なんですよ!」
江井が泣き声混じりに抗議するが、派遣員達は規約を盾に俺をロックアウトしてしまう。
そして秋葉原駅の衆人環視の中でボディーチェック。
数台の大型カメラが俺を囲んでいる上に、無数の野次馬がスマホを向けている。
あー、これ終わったなあ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
<Backspaceゼロwww>
<幾らAIが発達しても使う奴がポンコツやとアカンな。>
<AI確定w>
<スポンサーどうすんのこれw>
<削除しない=加工済み=AI>
<丸川、終わったな」
攻撃的なコメント欄とは対照的に、秋葉原駅前の群衆はどこかフレンドリーである。
図々しい者などは一緒にチェキを撮る事を要望してくるが、快く応じてやる。
「またエロ路線で書いて下さいよー。」
「先生のTwitterにいいねしておきました。」
「惣兵衛コスでヤラせてくれる彼女欲しいっす。」
「俺、ブックオフで全巻買いましたよーw」
「いやー、先生バズってますねぇww」
今、笑顔で握手を求めて来ている連中が掲示板では俺に容赦ない人格攻撃を行っているのだから、現代社会って歪だよな。
『なあ、俺はもう帰宅していいんだよな?』
茶番に疲れた俺は第三者委員会の係員に声を掛ける。
「え?」
『え?』
「申し訳御座いませんが!
ただちに上席に確認しますので、一旦ブースに戻って下さい。」
『また牢獄入りかい?』
「いえ!
炎上規模がここまでになって来ますと、万が一も考えられますので。」
もっともらしい理屈をつけてブースに押し込められてしまう。
機材をチェックしている連中と機械的に挨拶を交わして、寝室に退避。
展開が読めないので仮眠を取る事にする。
『はー、疲れた。
何もかもアホらしいわぁ。』
「キャッ!」
『うおっ!』
俺が驚くのも無理もない。
江井が布団の中に居たからだ。
『え?
それ俺の布団。』
「ご、ごめんさい。
ショックだったので、今から寝込もうかと。」
『ああ、そいつは奇遇だな。』
参ったなー。
この大炎上の最中に編集者と同衾してたなんて思われたら、間違いなくヘイトが加速するぞ。
いや、もうリカバリーは無理っぽいが…
どうするAIに書かせていたと認めるか?
いや駄目だな。
違約金を回避する為にも、最後までシラを切り続けなければ。
「先生ぇ、もう駄目かもです。」
布団の中から涙声の江井がタブレットを見せてくる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【今日のニュース】
ガンドック・ホールディングス「支援見直し」
米国出版労組「丸川との契約破棄を支持」声明
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『マジかー。
MARUKAWA終わったなー。』
「他人事みたいに言わないで下さいよー。」
『俺はキミと違って社員じゃないしなー。』
「ひーん(泣)」
そりゃあ丸川出版には悪い事をした思ってるよ?
でも、たまたま俺がバレただけで、実際はみんなAIで仕事してるんじゃないかなー。
だって、江井のタブレットでなんJを見てるんだけど、長文の意見表明の殆どはどうもAIが書いたっぽい雰囲気がある。
自力2割、AI7割、キチガイ1割。
それが俺の感じた掲示板の比率構成。
『江井さんは若いから知らないだろうけどさ。』
「ふぁい?」
『俺がガキの頃は、掲示板ってみんなもっと支離滅裂でエモーショナルだった。』
「今も感情的に見えますけど。」
『いやいや、理路整然とし過ぎ。
これなんかAIでしょ。』
【いやさぁ、別にAI使うのが悪いとかじゃないんよ
技術としてはすごいと思うで? 誰より早く波に乗ったのも評価できる
でもな、ワイらは“人間が書いた物語”やと思って感動してたんや
あのセリフも、この展開も、全部“作者の魂”があったと思ってた
それが実はAIの出力でした〜は、冷めるにも程があるやろ
「裏切られた」と感じるファンの気持ちは理解しろよ
売れた分、背負う責任ってもんがあるんや
嘘をついたわけじゃない? 嘘を“演出”してたんやろ
だからこれはAIじゃなくて、信仰を壊した罪や】
「そうなんですか?」
『うん、論旨が明快過ぎ。
あ、この次のレスも。』
【あとな、AIで仕事奪われた側の怒り、舐めんなよ
ワイの姉ちゃん、編集の契約切られたんやぞ。理由「AIで十分」や
そんで独野のニュース見た瞬間、泣いとったわ
「結局ああいう奴が金持ってくんやね」って
独野が悪人じゃなくても、憎まれる構造が出来上がっとるんや
しかもバックスペースゼロとか、AIが打ってますって宣言してるようなもんやろ
「俺は悪くない」じゃ通用せんで
人間が飯食えなくなっとんねん
そんな状態で1人だけ勝ち組顔されたら、そら炎上するわ】
『その次もだな。』
【あとワイ的に一番デカいのは「Backspaceゼロ」のやつやな
人間やったら絶対どっかでミスるんよ
ワイら素人ですら、メール一通打つ時に3回は消すわ
「AIじゃないです」って言いながら一発で3000字書いてたらそら信じられんやろ
技術的な説明とか誰も興味ないねん
「人間らしさ」が見えない時点で、もう敵扱いや
そういう世界や
理屈や正義より、空気で吊るされるのが炎上なんやで】
「あ、あの。
先生はどうして執筆者がAIか人間を見分けられるんですか?」
『え?
だって人間って総じて低能だもん。
まともに日本語を使える日本人なんて全体の1割もいないよ。
馬鹿ばっかり。
それでさ。
このご時世にわざわざログを残す奴って基本的に下位3割の低能なのね?
そいつらが、こんな明快な文章を書ける訳がない。
ChatGPTでも通してるんでしょ。
怒りすらも言語化する知能がないから。』
「えー、それは極論ですよ。
ちょっと言い過ぎっていうか…
私は、皆さん普通に日本語を使えると思いますけど。」
『いや、俺は江井さんは評価してるよ。
忘れものとかは多いけど、メールの指示とかは分かりやすいし。
出版業界で働く資格のある人だと思ってる。』
「えへへー。」
問題は江井の前任者や編集長に対してそう感じた事がないのだ。
最初、丸川出版と仕事を始めた時、「どうして出版人を称する癖に言語に責任感がないのだ。」と愕然としたことを覚えている。
同社の名誉の為に言っておくが、他社の編集者もかなり酷い。
『まあ、そういう訳で御社の編集に絶望した俺はAIの積極利用を推し進めた次第なのだ。』
「えー、弊社の責任みたいな言い方しないで下さいよー。」
『責任の一端はあると思うけどなあ。
俺、キミの前任と大喧嘩してるし。
いや、江井さんはよくやってくれてるよ。
でも丸川には悪いんだけど、俺は編集者なんかよりAIの方をよっぽど信用してるから。』
「…へ、弊社だって頑張ってますよー。」
そうなのだ。
丸川出版も他社も、編集者が頑張っているのは理解している。
労働時間なんてかなりのものだ。
【…頑張ってその程度なら無価値だろう。】
喉まで出かかったが、流石に押し黙る。
俺の所為で会社崩壊し掛けてる訳だからな。
泣きながらイジける江井にベッドを占領されたので、仕方なくソファーに転がる。
スマホでも見ようと思ったが、#AI作家だの#MARUKAWA崩壊などのハッシュタグばかりが目に入って来たので、不貞腐れてそのまま眠った。




