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夢のオフィス・クロニクル

作者: Tomonji

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【第一章 午後の眠気と瓶の船】


 昼休みのオフィスは、不思議なほど静かだった。

 電話の音も、キーボードを叩く音も止み、ただ蛍光灯の微かな唸りだけが空気を震わせている。


 窓際の席に座る一人の女性は、手を組んでうつむいたまま、短いまどろみに沈んでいた。

 彼女の机の上には、片づけきれなかった資料の山と、相棒のようにいつもそばにあるホチキス。

 そして、昼休みの買い物でふと目に留まり、衝動買いした小さなガラス瓶――中に帆船が収められたボトルシップ。


 蛍光灯の光を反射して、瓶の中の船がほんのりと光っている。

 ぼんやりと視線を落とした彼女は、いつしか思い描いていた。


 ――もし、この船が本当に航海に出たら?

 ――もし、自分がこの瓶に飛び乗って、机から世界の果てへと旅立てたなら?


 眠気と空想が混ざり合い、彼女の意識はゆっくりと現実から外れていった。

 気づけば、足元に風が吹き抜け、スカートの裾がふわりと浮く。

 次の瞬間、彼女はボトルシップの甲板に立っていた。


 デスクから飛び出した船は、書類の海を渡り、付箋の島々を抜け、やがて空そのものへと乗り出していく。


 オフィスから夢の航海が、始まったのだ。


---


【第二章 空を舞うホチキス】


 航海の途中、空には不思議な影があった。

 銀色のボディに、くちばしのような先端。

 それは彼女がよく使っていたホチキスが、翼を生やして空を旋回している姿だった。


 ホチキスはまるで猛禽のように風を裂き、眼下の紙を探し求めている。

 一枚の紙との、運命的な出会いを待っているかのように。


 その姿に胸を打たれた瞬間、強い風が吹き上がり、カバンから舞い上がった書類が空に散った。

 書類は白い紙吹雪となり、空を埋め尽くしていく。


 そして――

 ホチキスはその中から一枚を見つけ、ひらりと舞い降りて、見事に綴じた。


 空中での小さな奇跡に、彼女は思わず拍手した。

 その刹那、ホチキスはまぶしい光を放ち、彼女に語りかけるように旋回する。


 「一緒に来る?」


 そんな声が聞こえた気がして、彼女は頷いた。


---


【第三章 文具の島と大綴じ会議】


 やがてボトルシップは、海の彼方に浮かぶ島にたどり着いた。

 その島は文具でできていた。


 消しゴムの丘、クリップの森、インクの泉、シャープペンの灯台――

 そこはまさに文具たちが暮らす王国だった。


 だが、空は荒れていた。

 無数の書類が竜巻となり、渦を巻いて島を覆っている。

 それは未提出の報告書や迷子の企画書、誰にも読まれなかった議事録たち。


 島の中心では文具たちが一堂に集まり、「大綴じ会議」が開かれていた。


 「全部消してしまえばいい」と消しゴムは言い、

 「いや、留める力こそ秩序だ」とクリップは主張する。

 シャープペンは芯を震わせて議論し、定規はただ静かに机の端で長さを測っている。


 意見は交わされてもまとまらない。

 そんな混乱のただ中に、オフィスレディは足を踏み入れた。


 ホチキスを掲げ、空を指差す。

 「綴じればいい。すべてを――」


 その瞬間、文具たちは息を呑み、沈黙した。

 ホチキスは光を放ち、まるで「その通りだ」と応えるように震えた。


---


【第四章 書類竜巻との戦い】


 彼女はボトルシップの甲板から飛び降り、ホチキスと共に空を舞う。

 書類竜巻の中心へと突き進む姿は、まるで伝説の英雄のようだった。


 だが戦いは容易ではない。

 ホチキスは熱で金属がゆがみ、最後の綴じを拒否する。

 彼女は紙に埋もれ、座り込む。


 「あと…三枚」

 小さな声で呟きながら、カバンから栄養ドリンクを取り出し、一気に飲み干す。


 グワンッ!

 背中から湧き上がるエネルギーが、紙の世界を震わせた。


 ホチキスが覚醒する。

 金色の光を放ち、紙たちは自ら整列を始める。

 そして――最後の綴じが決まった。


---


【第五章 紙の虹と戴冠式】


 その瞬間、空を覆っていた書類は風に乗り、

 淡い色彩を放ちながら虹のアーチを描いた。


 文具たちは歓声を上げ、彼女の前にひざまずく。

 虹の頂点からは伝説のクラウンが降り、彼女の頭上に輝いた。


 「私は誓います。すべての紙を綴じ、乱れたデスクに秩序をもたらします」


 その宣誓と共に、オフィスレディは「文具王国の女王」として即位した。

 文具たちが涙を流し、ペンがペン先を震わせ、クリップがパチンと音を鳴らして喜びを表す。


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【第六章 現実の午後へ】


 ――ふと。


 蛍光灯の光がやさしく揺れるオフィスで、彼女は目を覚ました。

 手の中にはボトルシップと、机の上にはホチキス。


 壮大な戦いも、虹の戴冠式も、すべては一瞬の仮眠が見せた夢だった。


 だが、胸の奥には確かな感覚が残っている。

 「どんな書類も、綴じれば冒険になる」


 彼女は微笑んでホチキスを引き出しに戻し、机に積まれた資料を手に取った。


 「さて…午後も、綴じていきますか」


 現実は静かだ。

 けれど、その心には今も紙の虹がかかっていた。


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