異教徒
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
注意事項2
氏神以外のところに来てもご利益ない。
なんて時折言われますが、そうは思っちゃ行けないんですよ。
一族が信仰を続ける氏神からの寵愛は、私には無かった。寧ろ憎悪の対象だった。その代わり、他の社の神々からは、我が子の様に可愛がって戴いた。私と言う生き物は、異教徒というものに分類された。
「氏神じゃないのに、ここに来ても意味はないよ。自分のところに帰ったら」
「……でも貴方は生まれてから今日に至るまで氏子だった訳で、氏子じゃなかった人生は経験してないでしょう? だからその言葉、説得力がないんだよね」
彼は私を拾ってくれた神様の氏子だった。だから勿論、私以上にその方を親身に懇意にしている。それは認める。だが私が『心変わりすること無く、お傍に置いて頂けますか?』と尋ねた時、ただ何も言わずに証を戴いた事は記憶に新しい。
今の言葉を肯定してしまったら、捧げられた愛情そのものが無かった事になってしまう。それは、返せない程沢山の物を下さった方への冒涜へと思えた。
「ごめんなさいね、これだけは絶対に譲れないんだ。貴方がこの方を大切するのと同じ様に、私もこの方を大事にしたい。貴方の言葉を肯定して、今まで賜った物を捨てる訳には行かない」
そう言って、フラペチーノを啜る。現代的な味がする。お洒落で格好良い、都会の子が好きそうな味がする。私の母の様な、姉のような、そんな人達が好きな味だった。
「好きでもないのに飲むのはなんで? 本当は帰りたいんじゃない?」
「帰れないんだ。でもどうせ帰ったところで、反りは合わないだろうしね」
一族と仲が悪いという訳では無い。追い出されたという訳では無い。でも必ず食い違う。私の意見があの族に当てはまることは無い。それはきっと氏神に嫌われたからだと思うのだ。私は同族でありながら部外者で、異教徒だった。
「……勝手にすると良いよ」
「言われなくても」
一族の家系図遡って、ご縁のある神社行った方が良い。
氏子でも無いのに、来てもご利益ない。
なんて話を最近は良く耳にします。
が、私がそれを肯定してしまうと、今まで戴いたご縁、優しさ諸共捨ててしまう事になります。
そんな冒涜的な事は出来ないので、何時も否定しています。
氏神系統の社にも、偶一度だけご縁がありました。
でも失礼な話、そんなに頻繁には行ってないんですよ。
行ったとしても、年に一度くらいだと思います。
崇敬神社(氏神を祀っている神社)ではありませんが、亡くなった親族が好きだった神社に行くと、大抵修羅場になるんで、足が遠のいてしまいました。
参拝帰りにミスして上司にしこたま叱られ、車に轢かれかけるという、中々に大きな事がありました。
好きも嫌いも極端なのかが、いい所だと思います。
その代わりに、私を大切にして下さった方々を知っています。
流石にその行いまで自分で否定するのは出来ないので、書いた話。
どう思うかは人の勝手ですよね。