1-9. アニスとシズアは狩りに出る
その日、アニスはシズアと連れ立って、フォレストボア狩りに出掛けていた。
前日までの間、アニスは父にも手伝って貰いながらシズアの訓練をしていた。それがようやく形になって来たので、いよいよフォレストボア狩りを決行することにしたのだ。
アニスはシズアに剣の扱い方も教えたが、一番時間を掛けたのは風魔法の習得だった。
剣の技はそう簡単に身に付くものでもない。それにアニスが前衛で十分に戦えるから、シズアは基本的に後衛で遠隔の魔法攻撃を担当して貰うことになる。なので、剣技については、剣の振り方など基礎的なところを教えて、まずはそれを繰り返して身体に覚えさせるところまでで留めていた。
一方、魔法については魔力制御から各種風魔法の使い方までアニスの知る限りのことを教え込んだ。アニスにとって、シズアは素直で良い生徒ではあったものの、魔法の使い方のセンスが今一つであった。一番問題になったのは魔力制御で、なかなか思ったところに魔力が集められないのだ。魔力量が多いので、大雑把に魔力を集めるだけでも攻撃魔法はそれなりの威力になるとは言え、アニスから見れば魔力の利用効率が悪く、改善の余地は大いにあった。
でも、完璧を目指しているといつまで経っても先に進めない。実戦の中で学ぶことも沢山あるだろうし、フォレストボア相手であればそこまで構える必要もないことから、シズアが一通りのことができるようになったところで、アニスは狩りに出ようと判断した。
狩りの当日は晴れ。空には二重の太陽が輝いていた。
まだスキレスの月の中旬であり、うららかな春の風が心地良い季節だ。
アニスもシズアも腰から剣を下げ、背中には収納サックを背負っている。防具は皮の胸当てに膝当ても兼ねた膝上まである皮のブーツ、それに皮の肘当てと手甲を着けていた。シズアの防具はアニスのお下がりだったが、別にお下がりを使うのは防具に限らずいつものことなので気にしていなかった。
そのお下がりの防具があることから推察される通り、アニスはこれまでも父や兄と狩りをしたことがある。兄のジークリフとの打ち合いで勝っていたように、アニスは魔獣に対しても相手の体内の魔力の動きで次の動作を予想できたため、それなりの働きができていた。だから父はアニスを信頼してシズアを預けたのだと思っている。
「シズ、緊張してる?」
歩きながらアニスは質問を投げ掛ける。
「うん、少しね」
シズアは続けて口を開く。
「私さ、魔力量が増えて、魔法が使えて、それで冒険者になれるつもりでいたんだよね。だけど、いざ狩りをしろって言われたら尻込みしちゃって。アニーは私くらいの歳の時にはもう、狩りに行ってたのにね」
言われて、ハタと昔のことを思い出そうとするアニス。
「えーと、私が狩りに連れて行って貰えるようになったのって、剣をプレゼントされた後だったから、シズと同じくらいだよ。それに私は父さんやジークと一緒だったし。シズだって父さんが一緒だったなら、心強いよね?」
「そりゃあ、父さんが前衛で私が後衛なら、ほとんど父さんがやってくれそうだもの。でも、それだと実戦経験が積め無さそうだけど。あれ?アニーは父さん達と狩りに行った時、どうしてたの?狩りから帰って来た時に活躍した話とか良くしてたから、後ろに引っ込んでいたのではないのよね?」
「配置的には中衛かな?」
それだけでは説明が足りないだろうとアニスは付け加える。
「父さんの後や横で、父さんの手助けをする役だよ。父さんの動きからやりたいことを把握して、魔獣に攻撃したり、魔獣の気を逸らせたりして、父さんのやり易いようにしてあげるの。そうすれば、割りと簡単に魔獣を倒せるから」
「そしたらジークの出番がないってこと?」
シズアがもっともな疑問を出してきた。
「まったく無いってこともないんだけどね。でもまあ後衛の出番が少ないのは確かだから、魔獣一頭倒したら、ジークと交代することにしてたよ」
「それでアニーと比較される訳か。ジークも災難ね」
アニスがわざわざ口にしなかったことをシズアが指摘する。
「ジークは男だから私より力があったし、風魔法のスピード強化があるからね。私とは戦い方が全然違うから比較にならないよ」
アニスは必死に言い募る。シズアの兄に対する評価を下げたいとは思わないのだ。
シズアもそれを分かってか「まあ、確かにね」と相槌を打っていた。
輝く二重の太陽の下、アニス達は村から東に延びる道を歩いている。
二人の家は村の中心に近く、その辺りにはそこここに家が建ち、それらを取り囲むように城壁が築かれている。城壁の内側の空いた土地や城壁の外側には畑が並んでいた。そうした区域を抜けると広大な牧草地となる。
牧草地は村の共有の土地だ。柵が設置されていて、その内側に複数の牛や馬が放たれており、それを村の皆で共同管理している。共同なのは土地だけで、牛や馬はそれぞれの村人が所有しているものだ。家畜の所有者は、耳に付けられたイヤリングのようなタグを見れば分かるようになっている。
村全体を囲む形で広がっている牧草地は、それを貫くように走っている道沿いに柵がしてあり、いくつかの区画に分けられている。それは、道を行き交う人の邪魔にならないようにする目的もあったが、家畜の放牧を区画ごとに順番にすることで、牧草地を休ませることにも役立っていた。
アニス達が歩いている東に向かう道も、そうした道の一つだった。そして、両脇の柵が途切れたところが牧草地の終わりであり、村の終わりでもある。その少し先からは森が始まっていて、来た道を真っ直ぐ森の中へと進んだ後、北寄りに分かれていく脇道に入っていけば、先日グレイウルフの子供と出会った場所の近くにある泉に出る。
しかし、今日の目的はフォレストボア狩りであって、泉に行くことではない。
二人はそこから針路を北に取った。
森は南側にも広がっているがそれほど広くなく、フォレストボアの目撃報告も少ない。フォレストボアの生息域は、村の北東から北側だと考えられている。
「そろそろかな?」
北に歩き始めてから10分余り、初めての狩りで不慣れなシズアは狩場が近くなったのではとソワソワし出す。
「もう少し先だよ」
アニスは落ち着いたもので、至って冷静に返す。
右手に森、左手は放牧地の境界の柵となっている草地の中の道を、二人は並んで歩いている。
狩りのことで頭が一杯であろうシズアに対して、アニスは余計なことは言わないでいたが、父からは放牧地の柵の点検も頼まれていた。だからアニスはフォレストボアや他の獣にの出現にも気を配りつつ、柵に壊れたところや壊れそうなところが無いかにも注意を払っていた。
なので、シズアが先に獲物を見付けたのは、ある意味必然とも言える。
「アニー、あそこにいるの、フォレストボアじゃない?」
アニスにもシズアの見付けた物が確認できた。
「そうだね。一頭だけはぐれていて、良い具合」
複数のフォレストボアがいるところで一頭を狩ると、他のフォレストボア達が遠くに逃げてしまうので次を見付けるのが面倒なのだ。
だから、一頭だけなのは狩る側にとって好都合だった。
「それじゃあ、まず私が狩るから、次がシズね」
「うん。援護した方が良い?」
「んー、多分大丈夫だけど、危なかったらお願い。後、私が攻撃始めるまでは、ここで待機しててくれる?二人で行くと逃げちゃいそうだから」
そう言い置いて、アニスは前に出ていく。
フォレストボアは、牧草地の柵に頭を向けて草を食んでいる。アニスから見れば、横向きになっている格好だ。
当然、フォレストボアからアニスの動きは見えているので、あまり近付き過ぎると警戒されて逃げてしまう恐れがある。
アニスはギリギリ大丈夫そうな位置まで進み、フォレストボアを観察する。
目の前にいるフォレストボアは、体長がアニスの背の高さより少し短い程度で、高さはアニスの胸くらい。標準的な大きさだ。
さて、どうやって狩ろうか。アニスは水魔法しか使えない設定だから、魔法で先制攻撃するなら水の弾を当てるウォーターショットか。残念ながらウォーターショットの一撃では倒せないだろうが、上手く当たれば後は何とかなりそうに思える。
方針を決めたアニスはウォーターショットの魔法の紋様を描いた。紋様はなるべくフォレストボアに近付けたいが、体から離し過ぎると魔力を流し込むのが難しくなる。ただでさえ多くない魔力量なので、なるべく無駄なく魔力を紋様に注ぎこみたい。
過去の経験から導き出した最適な位置に紋様を描き、魔力を注いでいく。
この後に使う分の魔力は温存して、残りの魔力をすべて注ぎこむと準備は完了だ。
「ウォーターショット」
力ある言葉とともに、魔法の紋様から水の弾が撃ち出される。その弾はアニスの狙い通りにフォレストボアの頭部に着弾するものの、貫通するだけの力はない。しかし、フォレストボアの頭部の大きな衝撃を与えた筈だ。事実、フォレストボアの足取りがふらついているように見える。
これが正にアニスが狙ったことだった。気絶をしたのか脳震盪を起こしたのか、いずれにしてもフォレストボアは直ぐには動けない。
アニスは一気にけりをつけるべく、剣を構えつつ前傾姿勢になる。
「ウィンドアクセル」
風魔法で加速した駆け足でフォレストボアに近付き大きくジャンプ。
「ファイアエンパワーメント」
火魔法で筋力強化して振りかぶった剣を勢い良く前へと振る。
「とうっ」
着地と同時にフォレストボアの後頭部に打ち下ろした剣をそのまま振り切ると、フォレストボアは横に倒れて動かなくなった。
「ふう」
剣を振って血糊を飛ばしてから、爽やかな笑顔でシズアを振り返るアニス。
「どう?」
が、シズアは眉間に皺を寄せていた。
「『どう?』って何よ。アニーってば水魔法だけじゃなくて風魔法や火魔法まで使っているじゃない。それをどうやって参考にしろって言うのよ」
反論されて、アニスはハタと考えた。
「気合でやれば何とかなるってとこ?」
「気合だけで二つ以上の属性の魔法が扱えるようにはならないよね。まさか『とうっ』て叫べば何とかなるとか言うの?」
「そうだねぇ。言われてみると、違う気がしてきた」
アニスは首を傾げたが、直ぐに閃くものがあった。
「じゃあ、最初の一撃が肝心」
どうだと言わんばかりの表情のアニスだったが、シズアは半眼になっていた。
「『じゃあ』って何よ。後付けで考えないで欲しいんだけど。でもまあ、最初の一撃が肝心なのはそうかもね」
「そうそう、シズもやってみよー」
調子よく片手を突きあげてジャンプするアニス。
「やってみるけど、その前にそのフォレストボアを仕舞ってくれない?」
「ああ、そうだったね」
アニスは自分の収納サックに倒したフォレストボアを放り込んだ。
シズアは不満気だが、まずはアニスが一頭。次はシズアの番となる。
アニスは魔法を使いたい放題ですね、まったく。
ファイアエンパワーメントを使った反動の脱力感も水魔法や光魔法の回復で治せてしまいます。