4-17. アニスはコスプレを楽しみたい
イラは馬車の窓から外を眺めていた。
ほぼ一日掛かりの移動で、時間は持て余すほどあった。
時間潰しに読もうかと持って来た本も今しがた読み終えてしまった。
イラが住むザイアスの街から、領都ザイナッハへの街道は何度も往復したことがある。しかし、今馬車が走っている道は初めてだ。
街道から分岐するところは何度も見ていたものの、そんなに先まで道が続いているとは考えたこともない。街道は平坦な道が続くが、こちらは坂道。山の斜面を横切るように少しずつ登っていく。道の両脇には樹々が生えており見通しが悪い。だが、偶にそれが途切れたところでは遠くの景色まで見渡すことができ、高いところに登っているのが分かる。
「プラナラ子爵様の別宅まで、後どのくらいかしら」
イラは頭の中に浮かんだ疑問を口にしたが、答えを当てにしたものではない。
何となれば、馬車の中にはイラしかいないのだから。
イラがアニスの頼みを聞いたのが今朝のこと。それから急ぎ支度をしてザイアスの屋敷を出てきた。
随行者も最小限として、馬車の御者が一名に護衛騎士が二名。イラは護衛騎士は不要だと考えていたが、街の外に出るのなら護衛は必須だとの父アルバートの言葉に従った。
街を出てから大体二時間ごとに休憩を挟んだ。最初の休憩は昼食も兼ねていて、持って来た弁当を食べた。それから更に休憩を二回。後はもう休まずとも別宅に到着できる予定だ。
アニスはイラの了解を取り付けると直ぐにザイアスの屋敷から出発していた。シズアが掛けられた呪いは賢者が何とかしてくれると言われたそうだが、心配なので一刻も早く元気な顔を見たいからとのことだった。
でも、やりたいこともあるのでシズアの顔を見たらイラを迎えに戻って来るとも。
そのための準備まで、イラはアニスから頼まれていた。
あの時のやる気に満ちたアニスの瞳を思い返すと、迎えに戻ると言ったあの言葉を違えるとも思えない。
魔力二輪車で思い切り走って行けば、馬車より余程速く移動できる。
イラは着替えを用意したり、出発するまでにも時間が掛かっていたから、アニスからは随分と遅れていた。なのでプラナラ子爵の別宅まで行ったとしても、とっくに馬車まで戻って来ることができそうなものだが。
そんな物思いに耽りつつ、ぼんやり窓から遠くの景色眺めていると、馬車の速度が落ちて停車した。
視界の下の方に動くものがある。
見ると、馬車に向かって手を振っている人物がいた。アニスだ。
イラは出入り扉の窓を下に降ろしてアニスに声を掛ける。
「漸く来ましたわね」
「うん、結構時間が掛かっちゃったよ。ねぇイラ、乗っても良い?」
「ええ、勿論よ。――ジョセフ!」
呼ばれた従者が御者台から降り、アニスのために出入り扉を開く。
「ありがとう」
手を貸してくれた従者に微笑みながら礼を言い、アニスは馬車に乗り込んだ。
従者は出入り扉を閉め直すと御者台に戻り、再び馬車を走らせ始める。
乗り込んだ時は大人しくイラの向かい側に座ったアニスだったが、馬車が動き出すとワクワクした表情でイラの方へと乗り出してきた。
「イラ、あれ、持って来てくれた?」
「貴女に頼まれた物ですもの、当然持って来ていてよ」
「やったぁ。じゃあ、早速着替えてみる」
さっさと装備を外し始めたアニスを見て、イラが焦る。
「貴女、着替えるなら目隠しをなさいな」
「え?着替える時もしないと駄目かな?」
「何を言っているの?乙女の嗜みでしてよ」
「そっかなー。まあ、良いけど」
アニスは収納サックから黒い布を取り出し、目を覆うように布を巻いて縛った。そして、着替えの続きを始める。
「ちょっとアニス。貴女、何を考えているの?窓の目隠しを閉めなければ意味がなくてよ」
キョトンとしているアニスを見て、最早自分でやるしかないと、カーテンを閉めるイラだった。
* * *
プラナラ子爵の別宅の門をくぐった馬車は、そのまま玄関の前に横付けになって停まる。
従者が御者台から降りる前に馬車の扉が開き、アニスが飛び出してきた。
アニスは紺と白のメイド服に身を包んでいる。
「イラ様、お手をどうぞ」
馬車の扉の脇に立ち、馬車から降りようとするイラに向けて手を差し出す。
「ありがとう」
イラはアニスの手に自分の手を乗せ、優雅に馬車のステップを下りる。
いつもは冒険者姿のイラも、今日はドレス姿だ。背筋を伸ばして歩き、開かれた玄関から中に入る。その後をアニスがイラの荷物を持って、ニコニコしながら付いていった。
「ようこそお越しくださいました。ザイアス子爵令嬢イリアーナ・スペンサー様」
プラナラ子爵家の執事がイラを出迎える。
「世話になります。それでプラナラ子爵様はご在宅?ご挨拶したいのですけれど」
「はい、旦那様もイリアーナ様が到着されたらお会いしたいと言われておりました。どうぞこちらに」
執事がイラを案内しようと歩き出すが、イラはその場でアニスを振り返る。
「アニス。貴女は荷物を持って先に部屋に行っていて頂戴。子爵様に挨拶したら、私も行くから」
「はい、お嬢様」
アニスがお辞儀をすると、イラは執事に連れられて行った。護衛騎士が二人とも後ろに付いて行ったので、イラのことは二人に任せておけば良い。
アニスがイラを見送ると、プラナラ子爵家の侍女がやって来て、アニスを部屋まで案内してくれた。
イラは三階の大きな部屋、続きの隣部屋をアニスとシズアで使って良いとのこと。
二人の部屋はイラのものより狭かったものの、家の子供部屋よりはずっと広くベッドも大きかった。不満に思うところは何もない。
シズアはあてがわれた部屋にはおらず、階下のアマンダ達の部屋にいた。
そちらに行きたい気がするものの、侍女をやってみたいと自分からイラに言い出した以上、やることをやらねばと、イラの荷物の整理を始める。
ディナーのためのドレスや明日の着替えなど、それぞれに数着ずつ持ってきている。そのときの状況で着るものを選ぶつもりなのだろう。
面倒なことだと思うのだった。
イラが部屋に戻ってきたとき、アニスは荷物を片付け終え、屋敷の構造を感じ取る練習をしていた。
感じ取れるのは屋敷の構造物だけでなく、その中のどこに人がいるのかもだ。ただ、アニスは未熟なので、そこにいる人物が誰かは判別できない。なので、人を区別するために魔女の力を使って目印を付けていた。
その目印からイラと分かる人物が部屋へと近付いてきているのを感じ取ると、アニスは廊下に出てイラを待ち構えた。
「あらアニス、こんなところで待っていてくれたの?中で休んで貰っていても良かったのに」
「休んでたよ。イラが来たから廊下に出ただけ。お茶でも飲む?ティーセットのワゴンが用意されてたんだ」
部屋の扉を開け、イラを中へと促しながら、アニスは持ち掛けてみた。
「ええ、そうね。貴女もお相手して貰えるわよね?」
「えっ?私は侍女だから」
「だから何?ご主人様の相手をするのも侍女の大切な役目よ」
アニスに対して挑戦的な微笑みをみせるイラ。
「分かった。それならご一緒させて貰う」
今一つご主人様と侍女の距離感が掴めていないアニスは、それで良いのかと思いつつもイラの言葉に従った。
「もう直ぐ夕食でしょうから、お菓子は要らなくてよ。それとお茶を飲んだら着替えるから手伝ってね」
「そのままじゃ駄目なの?」
イラが来る前から沸かしていたやかんのお湯をティーポットに注ぎながら、アニスはイラに尋ねた。
「当たり前でしょう。長いこと馬車に揺られてきた服装のままで夕食の席には着けなくてよ」
「貴族って大変だね」
「慣れてしまえばそれ程でも無くてよ」
そんなものなのかなと思いつつ、淹れた紅茶をイラが座った席の前のテーブルに置き、もう一つをテーブルの反対側に置くと、アニスも椅子に座った。
「でも、イラは夕食も子爵様となんだよね?私達とは別で」
「そうね、でもプラナラ子爵様とは領地が接しているから、どの道お付き合いは必要なのよ。同じ子爵で地位は対等ですけれど、今回のことで弱みも握れたからそれ程気を使わなくても良くなりましたしね」
イラはふふっと微笑む。
「弱みって?」
「プラナラ子爵様は第一王子率いる保守派なのよ。彼らは魔導国を嫌っているのに、脅されたとは言えシズアの誘拐に加担するようなことをした訳でしょう?これが知れたら派閥内での立場が悪くなるから彼としては事を公にしたくないのよね。まあ、私の家は中立派ですし、保守派の中の力関係には興味ないから、今回の件は口外しないと約束して貸しを作ったの。分かって?」
「うん、まあ、何となくは」
貴族社会の内情に疎いアニスには、スペンサー家が結局どの程度の得をしたのか判断がつかず、困惑した表情のままだった。
「本当に分かっていて?ともかく貴女が今朝、魔女の署名が入った手紙を家に持って来た時、署名を取ってきた貸しの代わりにシズアを迎えに行く馬車を出して欲しいと言っていたけれど、馬車を出したのは私の家の都合だから貴女に貸しを返したことにはならないってことよ」
「じゃあ、まだ貸し一つってこと?」
「それでも良いけれど、プラナラ子爵様に貸しを作れたのも、こちらからすれば貴女が持って来てくれた話があったからこそよ。だから貸し二つでも構わなくてよ」
まさか頼みに行ったことで貸しが増えるとは、アニスは考えていなかった。
「ふーん、そういうこともあるんだ。でも、貸しが増えてもどう使えば良いのか分からないよ」
「お父様も私も受けた恩を忘れるつもりはないから、本当に必要になる時まで取っておきなさいな」
イラは優しい声でアニスを諭す。
それから、ティーカップを持って一口紅茶を飲むと、アニスの方に目を向けた。
「ところでアニス、貴女、今度我が家の侍女にお茶の淹れ方を教わった方が良くてよ」
「えっ、美味しくなかった?」
「ぎりぎり及第点と言うところかしら。もっと上手に淹れられるようになりなさいな、侍女見習いさん」
えっ、魔女見習い?いや、侍女見習いか。
侍女見習いを魔女見習いと聞き間違えそうになってドキリとする。
ほんの遊びの気持ちで侍女っぽいことをやってみただけなので、侍女見習いと言われるとは思っておらず焦ってしまったアニス。
侍女としてはともかく、魔女としては早く一人前になりたいなと思うのだった。
アニスは人前で着替えることをあまり気にしていません。それよりサラに目隠しの練習をするように言われていたことの方が頭にあったんですね。




