3-11. シズアは算盤を教えたい
アニスとシズアはエルザの薬屋の扉を開けて、外に出てきた。
「エルザ、いなかったね」
「そだね。ポーション作りを教えて貰えると思ってたのに残念だったなぁ」
「今日でって約束していたのでもないから、仕方が無いよ」
薬屋の店長のエルザが不在で、残念がる二人。
魔力草が用意できたとしても、エルザがいなければポーション作りを教われない。
念のためと確認してみたものの、店番をしていた店員はポーションは作れないとのことだったので、エルザがいる時に出直すしかなかった。
「だとするとポーションが無いから、明日はダンジョンに行けないか」
「うん。まあ、明日って決めてはいなかったから」
シズアの言う通り、ダンジョンにいつ行くかは決めていなかった。
お金さえ積めばポーションは直ぐ手に入るのだが、アニスはポーション作りを学ぶつもりだったし、シズアもそこまで急ぐ必要性を感じていなかった。だから、イラ達との話合いの時、二人の準備が揃ったら連絡することにしていたし、連絡しなければ自動的に延期になる。
「じゃあ、シズ、これからどうしようか?」
「ヴィクトルのところに行こうよ。算盤の試作品ができてるかも知れないから」
シズアの提案で、二人はヴィクトルの工房へと向かう。
二人が工房に到着した時、ヴィクトルはいつものように店頭で作業をしていたが、二人を見ると手を振って来た。
「よう、シズアにアニス、アレを見に来たのか?」
「まだ出来ているか分からなかったけど、どうかなと思って来たの」
「ああ、まずは有り物の材料で試しに作ってみた。それでシズアの意見を聞いてから、どう変えていくのか考えようと思ってな。物は奥にあるから、ついて来てくれ」
ヴィクトルは二人を伴って、店の中へと入っていく。
連れて行かれたのは、先日シズアが図面を描いた大きなテーブルのところだった。
「ほら、これなんだが」
ヴィクトルは、テーブルの横にある棚に無造作に置いてあった算盤の試作品を取り上げると、シズアに手渡した。
「お前の注文通りに作ってみたつもりなんだが、どうだ?」
シズアは手にした試作品を色々な角度から見たり、触ったりして出来栄えを確認する。
「うん、結構いい感じにできてる。枠はしっかりしているし、こうしてテーブルに置いてもガタつかないし、玉の滑り加減も悪くない」
満足そうな笑みを浮かべるシズアを見て、ヴィクトルもホッとしているようだった。
「試作品としては合格なんだけど、幾つか調整したいかな」
「どこを直せば良い?」
「うーんとね。枠の木をもっと重い物にしたいかな。今のは軽いから、こんな風に右手で玉を弾くと枠が揺れちゃうでしょう?それを抑えたいの。それから、玉ももう少し堅い木にできる?何か、ぶつかった時の音がくぐもっているように聞こえるんだよね。後はまあ、全体的に艶出しして。どう?」
シズアは微笑みながら首を傾げてみせた。
ヴィクトルは腕を組んで下を向き、考える姿勢になる。
「枠の素材は別の物に変えるか、手を加えるか、どうするかな」
「売値をあまり高くしたくないのと、できるだけ沢山作りたいから、そうできる物を選んで欲しいな」
「これを大量に作って売るって言うのか?本格的に商会でも立ち上げるつもりなのか?」
ヴィクトルは顔を上げ、鋭い眼光でシズアを見る。
「半分は当たりね。これは皆に使って欲しいから沢山売りたい、だけど自分で商会を切り盛りするつもりはないわ。どこかこれを扱ってくれる商会に卸そうと思ってる」
「だとすると、作るのもそっちか?」
「え?ああ、そのこと?ヴィクトルのところに仕事が来ないといけないわよね。んー、なら、製造権をヴィクトルに託せば良い?」
「そうして貰えると助かるが、そこまでして貰っても良いのかよ」
新しく開発された商品は、商業ギルドに登録すると一定期間、模造品の販売ができなくなる。つまり、他の商会は真似ができない。
そして生産できるのは登録した商品の製造権を持っている商会だけ、売れるのは販売権を持っている商会だけだ。
シズアはその製造権をヴィクトルに託すと言っている。そうなれば、算盤の生産はヴィクトルの工房が一手に引き受けることになる訳で、それがヒット商品になれば、大きな利益が得られるのだ。
「良いわよ。いちいち私が間に入るのも面倒だし。ついでに、私の分の権利金も上乗せして回収しておいてくれる?」
「それくらい造作もないが。いや、俺も生産はどこかに任せちまうかな」
ヴィクトルが腕組みをしたままニヤリと笑う。
「物を右から左に流させて、儲けだけいただこうってこと?」
シズアもヴィクトルを見てニヤリと笑い、ヴィクトルの脇腹を右肘で突っつく。
「エチゴヤ、お主も悪よのう」
「お前もじゃないか、シズア。ってエチゴヤって何だ?」
ヴィクトルは急に真顔になって尋ねる。
「エチゴヤって言うのは、悪いこと考える商人のこと。それでその商人と結託している悪いお役人のことをオダイカン様って言うの」
「はぁ、そうなのか?でも、それってどこの話だ?聞いたことがないんだが」
そう言われて、シズアの顔に汗が浮く。
「えーとねぇ。遠くの国のお話だって聞いたかな?二人は悪巧みを考えるんだけど、その時にオダイカン様が言うの。『エチゴヤ、お主も悪よのう』って。そうすると、エチゴヤは決まって『いえいえ、オダイカン様程ではございません』って返すのよ。ちょっとそれをやってみたかったのよね。悪巧みしているって悪女っぽくて好きだから」
「そんな話があったのか。悪かったな、知らなくて。今度はきちんと返してやる。それとも、今もう一度やるか?」
「ううん、いいの、大丈夫だから気にしないで」
シズアは手を振りながら、顔を真っ赤にして首も横に振る。
ヴィクトルが真面目に返すものだから、シズアは恥ずかしくなってしまったらしい。
シズアの話はアニスも聞いたことが無かった。なので、きっと異世界の話なのだろうとアニスは捉えていた。だから、ヴィクトルのように正しく返せないのは当たり前のこと。今度シズアがエチゴヤを持ち出したら、私がきちんとオダイカン様と言ってあげようと、アニスは心の内で決意していたが、そんなことをシズアが知る由もない。
「はぁ」
恥ずかしさに舞い上がってしまったシズアは、深呼吸をして心を落ち着かせる。
「それでヴィクトル、話を戻すけど」
「何だ?」
「真面目な話、生産委託は良いけど品質が落ちないようにしてよ。変なところに委託して粗悪品を作られると、商品の評判が落ちて面倒なことになるから」
先程のことが無かったかのように、冷静な表情で告げるシズア。
「勿論、分かっているさ。安定した品質の物作りの手順が確立できるまでは、俺のところできっちりやるよ。だがシズア、お前、余所に生産を任せなければ間に合わなくなるほど、こいつが沢山売れると思ってるのか?」
「便利だと思って貰えればね。それには、まずヴィクトルが使えるようになってくれないと。自分で使ってどれくらい便利だと思えるかで、どれだけ売れそうかも分かると思うわ」
「確かにそうだ。これは計算する道具だったよな。俺にも使い方を教えてくれ」
そのヴィクトルの言葉を受けて、シズアの算盤教室が急遽開かれた。
生徒はヴィクトルとケーシー。ケーシーは、工房で事務を担当している猫人族の女性だ。経理もやっているので、ヴィクトルは彼女を選んだらしい。
生徒が二人なのは、試作品がまだ三つしかなかったから。
「それでは、算盤教室を始めます」
眼鏡を掛けたシズアが、高らかに宣言する。
「えっ?シズ、何で眼鏡掛けてるの?」
シズアの変化に気付いたアニスが問い掛ける。
「何でって勿論、先生だからよ。今、私はシズア先生なのです」
眼鏡のフレームを持って、エヘンと胸を張るシズア。
いや、先生だから眼鏡って、どこの規則なんだよと言おうとしたアニスは、もしかしたらゼンセの規則だったのかも知れないと思い至り、別の質問へと切り替える。
「じゃあシズア先生、その眼鏡はどうしたんですか?」
「こんなこともあろうかと準備をしておいたものですけど?」
さも当然のことのように言いきるシズアを見て、これ以上の突っ込みは止めておこうと思ったアニスだった。
「ごめんなさい、先生。授業を始めてください」
「良いでしょう。皆さん、始めますよ」
シズアは玉の弾き方から始めて、最初に表示をゼロにするご破算の方法、それから足し算と引き算までを二人に教え込んだ。
「それでは、ケーシーが持って来た帳簿を見て、検算してみてください」
シズアは眼鏡のフレームを持ち、眼鏡の位置を戻す動きをする。
当人は思いっ切り先生のつもりなのだろうが、アニスから見れば眼鏡を掛けた十歳児でしかなく、背伸びをしている子供のような佇まいを眺めながら、ほんわかしていた。
「ボス、これは慣れれば便利ですよ。間違いも減ると思いますね」
「ああ、俺もそう思った。ただ、俺の手には少し小さいな。一回り大きなものも作ってみるか」
算盤を使って計算をしてみた二人はそれぞれに感想を述べる。
「これは繰り返し使って慣れることが大切ですからね。まずは工房の中で広めて、皆の意見を集めてなさい。それらの意見を元に手直しすればもっと良い物になるでしょう」
「ああ、そうしよう。任せとけ」
そうして初めての算盤教室はお開きになった。
シズアは眼鏡を外し、元の子供のシズアに戻る。
「ねぇ、ヴィクトル。商業ギルドへの申請書をまた作って貰って良い?」
「今作っている、週明けには渡せるぞ」
ヴィクトルの返事を聞いたシズアは笑顔になる。
「流石はヴィクトル、準備が早いわね」
「二輪車の時もやったからな。それで賢者様との話はどうなった?」
「それはこれから行くつもり。この試作品を持って行っても良い?」
「ああ、問題ない」
シズアは眼鏡と試作品の算盤を収納サックに入れると、アニスの方を向いた。
「ねえ、アニー。今日は私の後ろに乗っていかない?」
「えっ」
シズアの後ろに乗った時の恐怖が脳裏に蘇り、アニスはひきつった表情になる。
「えー、いやぁ、私は自分のがあるから――」
「だってアニーは遅いんだもの。帰り遅くなりたくないから、賢者様のところにはサッと行こうよ。駄目?」
シズアが上目遣いにおねだりの姿勢になる。
大好きなシズアにおねだりをされて、拒否できるようなアニスではなかった。
先生が眼鏡をすると言うのは、勿論シズアの前世のルールでもありません。
でも、何となくそんなイメージがあるのは、漫画か何かの読み過ぎでしょうか。




